世界的に優れた活躍を見せる芸術家たちに贈られる『高松宮殿下記念世界文化賞』の演劇・映像部門で、トップ・バレエダンサーであり、俳優として数々の映画にも出演してきたミハイル・バリシニコフが受賞。10月18日に行なわれた授与式に先がけ、その前日、記念の会見を行ないました。

忘れられない〝玉さん〞と過ごした日々

画像: 「愛と喝采の日々」 ©Photos by Shigeo Sugita

「愛と喝采の日々」

©Photos by Shigeo Sugita

映画ファンにとっては、「愛と喝采の日々」(77)「ホワイトナイツ/白夜」(85)「ダンサー」(87)などで人気を呼んだロシア出身の世界的バレエダンサー、ミハイル・バリシニコフ。最近ではTVシリーズ「SEXAND THE CITY」でヒロイン、キャリーがお付き合いするロシア人芸術家アレクサンドル・ペトロフスキー役といえば、分かる人もいるだろう。「愛と喝采の日々」ではアカデミー賞助演男優賞候補になるなど、その美形と天才芸術家ぶりが、かつて多くの女性ファンを魅了した。

画像: 「ホワイトナイツ/白夜」 ©Photos by Shigeo Sugita

「ホワイトナイツ/白夜」

©Photos by Shigeo Sugita

今回の受賞を『とても光栄』と喜び、1969年に初来日したことを懐かしそうに思い出すミーシャ。『初めて日本に来た時、能楽堂や歌舞伎座も訪れ、日本の古典芸能の世界に触れ、その精密さや厳しい作法に驚いたものです。六時間にも及ぶめくるめく舞台展開など、もう50年も前の鑑賞体験ですが私の記憶の中に、常に留まっています』 

日本の古典芸とミーシャといえば、すぐに思い出されるのが、98年に歌舞伎俳優、坂東玉三郎と共演した舞台かもしれない。『私は彼を〝玉さん〞と呼ぶのですが、いまも玉さんと肩を並べて一緒に舞台をプロデュースしたあの日々は忘れられません。彼は他では決して得られない、演技の上での節度、制御を、目もくらむようなパフォーマンスの中に与えてくれました。中国の伝統にも精通していて、生きた百科事典のようでした。そしてニューヨークに戻ってから、彼が私に本当に与えてくれたものは自信だったと気づいたのです。いかに多くのことを彼から学んだかと感じると同時に、今でも玉さんのことを考えると、自然に姿勢を正します。私はいつも姿勢が悪くて、もっと首のあたりを開くことを心がけるようにと言われていたもので(笑)』

新たな才能ある芸術家をサポートしたい

画像: 受賞会見で、左からバリシニコフ、音楽部門のユッスー・ンドゥール、絵画部門のシリン・ネシャット、建築部門のラファエル・モネオ、彫刻部門のエル・アナツイの受賞者たち ©Photos by Shigeo Sugita

受賞会見で、左からバリシニコフ、音楽部門のユッスー・ンドゥール、絵画部門のシリン・ネシャット、建築部門のラファエル・モネオ、彫刻部門のエル・アナツイの受賞者たち

©Photos by Shigeo Sugita

その〝玉さん〞のおかげなのか、ダンサーとして今も努力を続けるミーシャ。『古典をやるにしても、ポストモダンをやるにしても、自分の体を常に自分が要求するように動かせなくてはいけない。若い時のロシアでの修練の日々を思い起こすと、あらためて感謝する気持ちで一杯です。9歳の時に何か芸術と恋に落ちるような感じで、すべてを忘れてダンスに没入しました。それから毎日努力を続けることになり、時には嫌悪感も覚えるのですが、それがやがて愛おしく思えてきたりと、相混ざるようになるんです。そんな修練を続けるのは容易ではありませんが、異常な自己規律が必要になります。でもどんなジャンルであれ、それを追求しなくてはいけない』 

ストイックな彼の姿勢がヒシヒシ伝わってくる言葉が続く。そんなミーシャは、ニューヨークでバリシニコフ・アート・センターという新たな芸術家の育成の場を開設した。『2005年に開設したのですが、40年近く住んだニューヨークで、年齢とキャリアを考えた時、もしかするともう私は長くないかも(笑)?何か意味のある形で人生を過ごしたいと思い、常にサポートしてくれた観客や同僚などにもっと自らの可能性を覚醒してほしい、積極的に夢を実現してほしいということで手がけはじめました。若い人もベテランもいろんな形で芸術家をサポートしています』

新たな才能、埋もれた才能に光を当てる事業を、今の使命と考えているというミーシャは、まさに受賞に相応しい芸術家といえよう。

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