前回のマヤ・ホークがイーサン・ホークとユマ・サーマンの長女だったのに続いて、今回はダンカン・ジョーンズを紹介しましょう。
2年前に亡くなったデヴィッド・ボウイとアメリカ人のモデルだった最初の妻、アンジェラとの間に生まれた長男。
あまりにも有名な父親の跡を全く継がず、音楽の道はきっぱりと拒否して、CMヴィデオから映画監督としてすでにかなりの評価を得ています。

成田 陽子(なりた・ようこ)
ロサンジェルス在住。ハリウッドのスターたちをインタビューし続けて37 年。これまで数知れないセレブと直に会ってきたベテラン映画ジャーナリスト。SCREEN誌特別通信員としてハリウッド外国人映画記者協会に在籍。

今回は「ミュート」MUTE(啞)というベルリンを舞台にした映画で、主人公の啞のバーテンダーになるのはアレキサンダー サースガード、脇にポール ラッドとジャスティン・セロー(1昨日にジェニファー・アニストンと別居を発表したばかりです)を配置しての、近未来のSFドラマでのインタヴュー。

「父が1970年代にこよなく愛したベルリンをイメージして、父へのオマージュにしました。実はもう16年間もこのアイデアを考えて、やっと映画化に実現したのです。ベルリンには何度も行って、大好きな街。僕はスイスの全寮制の学校に行きましたが、そこはフランス語地域で残念ながらドイツ語はあまりしゃべれません。少しは話せますけれど」

とダンカンはとっても丁寧に、始終ニコニコして話をします。育ちの良さと言うより、天然の良心を持った人間のようで、これはロンドンのスーパースターの家に生まれて、ちやほやされても、そういうことに甘えずに育った、強い信念の持ち主のように見えます。

交際していたフィリピン系アメリカ人の写真家の女性、ローニー・ロンクゥイロRodene Ronquillo が乳がんと診断された日に、市役所に駆け込んで結婚式を挙げた行動など、慈愛に溢れた若者で、そばで話を聞いていると、まるで神に仕える羊飼いのように思えてきます。

1971年5月30日ロンドンのブロムリーにDuncan Haywood Jonesとして生まれました。父母は1980年に離婚、ダンカンは父親のデヴィッドに引き取られて育ちました。

前述したスイスの学校はローザンヌにあって、それからスコットランドの全寮制の学校に移り、大学は英国のウースター大、次はアメリカのテネシー州のヴァンダービルト大で哲学の博士課程を受けましたが、途中で退学、それからロンドンの映画学校で監督コースを学ぶなど、かなり教育意識が高いようです。

2009年には「ムーン」サム・ロックウェル主演を監督。2011年には「ソース・コード」ジェイク ジレンホール主演の映画を監督しています。2016年「ワークラフト」、トラヴィス・フィメル主演のSF映画を監督。

2012年11月にローニーと結婚、16年7月に長男のステントンが生まれ、現在お腹の中に女の子が宿っているそう。

「父のドキュメンタリーを見る暇もないほど忙しくて、映画の準備から、息子の世話に大きなお腹のおくさんを助けなくてはならないし」

と微笑ましい3人半の日常の光景が覗けます。

「実は僕は音楽を聴かないんだ。ワイフが車に乗っている時は彼女のためにR&Bなどを付けるけれど、僕一人だとトーク番組のみ。携帯にも音楽は入って無いし」

とかなりショッキングなことを白状。父親のあまりの音楽の過剰に反抗しているのか、心理的な拒否なのか、いずれにせよ、このダンカンが「ミュート」という映画を作ったのがなんとなく理解できるような。

いつもユーモラスなTシャツを着ているダンカンのこの日のTシャツは「ソース・コード」(2011年に監督)からの記念品だそうです。

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