第24回釜山国際映画祭で、Gala Presentation部門へ『真実』の出品と、是枝裕和監督がAsian Filmmaker of the year(今年のアジア映画人賞)を受賞したことを受け、2019年10月5日(土)の授賞式と公式会見、Q&Aに出席した。

釜山映画祭で栄誉の受賞

昨年、『万引き家族』で日本映画21年ぶりの快挙となるカンヌ国際映画祭の最高賞“パルムドール”を受賞した是枝裕和監督。今や世界中で新作が待ち望まれる是枝監督の、長編14作目となる最新作で、日本人監督としては初の快挙となるヴェネチア国際映画祭コンペティション部門オープニング作品として華々しいワールドプレミアを行った映画『真実』が10月11日に日本で公開となる。

この度、本作が韓国南東部の都市釜山にて10月3日(木)~12日(土)まで開催されている第24回釜山国際映画祭で、Gala Presentation部門への出品と、また是枝監督がAsian Filmmaker of the year(今年のアジア映画人賞)を受賞した。

画像: 釜山映画祭で栄誉の受賞

ファミリードラマというよりは、”演じるとは”という問いからスタート

会場には韓国現地の記者に加え、海外から訪れた記者も多数参加。マスコミ席は満席となり、立ち見や、会場に入れない方も出てくるほど大盛況。そんな中、是枝監督のQAが始まった。
『こんにちは。まだちょっと空港ついてここに直行しているので落ち着かない気持ちもあるのですが、このような形でアジア映画人賞頂きまして、今年韓国映画がちょうど100周年ということで本当におめでたい年に、釜山映画祭という僕のデビューとほぼ同じ年を重ねながら、困難を乗り越えながら成熟していった映画祭でこの賞を受賞させて頂くという本当に光栄な時間をここで皆さんと分かち合えることを嬉しく思っています。宜しくお願い致します』
Q:言語の壁についてまた、錚々たるキャスティングについて
『コミュニケーションは、最初やはり僕は日本語しかできないのでどういう風に乗り越えていくかというのは最初の課題だったんですけども、とても素晴らしい通訳の方を見つける事ができて、この5年一緒に仕事をしている女性ですけれども、彼女にべたで半年間現場について頂いた、それが本当に大きかったなと思いますし、いつにもましてなるべく、直接言葉が通じないが故にお手紙を書いてスタッフにもキャストにもなるべく僕が何を考えているのかという事を文字にして相手に残るように伝えていこうという、日本でもやるようにしていることではあるのですが、今回は意識的に多くして意思の疎通を図りました。
10年ほど前にペ・ドゥナさんと一緒に映画を作りました。その時ももちろんお互い共通の言語はなかったんですけど、お互いに何を求めているのか、何が欠けているのかというのを、撮影を重ねていくにつれて、言葉がどんどん必要なくなっていきました。カットをかけて次どういう風にするのか、言葉を越えて次に進むべきみちはお互いが歩調をあわせて進めるようになっていきました。今回もそういう事が現場でありました。映画作りの面白さと言うのはそういう言葉を越えたところにあるんじゃないかと今回改めて思いました。
キャスティングは、10年以上前からジュリエット・ビノシュさんとは親しい付き合いがありまして、将来的には何か一緒に映画を作りませんかとオファーを僕が頂いた感じなんですけど。それにこたえる形で今回の話、ストーリーというものを、まだあらすじでしたけど渡したのが2015年。その段階では僕もカトリーヌ・ドヌーヴ、イーサン・ホークという名前をノートに書いていたものですから、3人ありきで考えていたものが、当初の予定通り夢がかなう形で今回作品になった感じです』

Q:家族の映画を作成しようと思った理由は。また俳優へのオマージュというのは意識されましたか。
『今回はファミリードラマというよりは、”演じるとは”という問いからスタートしておりまして、女優を主人公にしたものを撮ってみたいというところから一番最初にスタートしました。
その彼女を描くに当たって、じゃあ女優にならなかった娘の存在と若くして亡くなってしまったライバルの存在の二人を登場させて三角形の中で一人の女優を描いてみたいという事です。
オマージュという意識は自分の中にそんなになかったですけども、ただ撮らせて頂いたカトリーヌ・ドヌーヴという、本当に映画史の中で輝いている、しかも今も現役で活躍されている女優さんの魅力を作品の中で出来るだけ多面的に瑞々しく描きたい、そのことをとにかく自分の中の課題という風に考えて作りました。』

画像: ファミリードラマというよりは、”演じるとは”という問いからスタート

Q:さまざまな母と娘の形が登場していますが。
『映画の中にいろんな母と娘の関係を登場させたいと思いました。それはある時は、立場が逆転して見えたり、ある時は演じている母親が演じることのなかったライバルにみえたり、庭から聞こえてくる言葉が娘のものだと錯覚したり、いろんな場所で母と娘、娘と母というものを重層的に描いてみたいというのは最初からコンセプトにしていました。
それはカトリーヌ・ドヌーヴという女優をいろいろな側面から光を当てて多面的に描く一つの方法だったと思います。あとはやはり、祖母であり、女優であり、母であり、そして娘でもあるそういう事を目指しました』

Q:パルムドール受賞後の作品という事でプレッシャーがあったのか、またどのようにそれを克服されたのか。表現者として新しいものを作る悩みと観客に伝えたいと思った事。
『映画自体の企画は2015年に動き始めているので実は、『万引き家族』の前から動き始めているものだったので。『万引き家族』より後に動に始めた企画だったらそういうプレッシャーも感じたかもしれないけど。日ごろからプレッシャーというものを感じないものですから(笑)もちろん今回は受賞直後ニューヨークに行ってイーサンホークに出演交渉した時に、はじめましての挨拶のかわりに「コングラッチュレーション」でこのタイミングだと断りにくいんだよなと言われてパルムドール獲ってよかったなっていう、むしろそういう受賞の恩恵を直に受けたという記憶しか残っていません』

Q:日本人としてフランスで映画を撮ることについて、また映画を撮り続ける理由
『あまり普段映画を作っている時には日本映画を撮っているという意識はないですし、今回もフランス映画にしなければというプレッシャーがあったわけではないんですね。とにかくいい映画を作りたいという意識だけで撮ってきている事は事実なんですけれども。それでもやはり自分がこの映画を撮っていて同時代のアジアの監督たち、僕にとってはホウ・シャオシェンさんが大きな存在ですけども。ホウ・シャオシェンさんとか、イ・チャンドン、ジャ・ジャンクー、そういうこう同じ時代に映画を作っているアジアの同志、友人たちに触発されながら、刺激を受けながら自分も彼らに見てもらって恥ずかしくないものを作りたいという風に思いながら25年間やってきたので、そういう意識、ようするにアジアの映画人である意識だけは自分の心の底の方にあるんだろうなという風に思ってましたので、そういう意味でも今回の受賞というのは感慨深いものがあります。
何故撮るのかって言うのは本当に難しい質問なんですけど、今回のように日本を出てフランスでフランスのスタッフ、キャスト、アメリカのキャストと一緒に映画を作ったり、本当に優れた映画祭に招待を受けて参加をしてそこで出会う映画人たちとの交流を通して、それこそ自分が目に見える形で所属をしている国であるとか共同体というものより、もっとはるかに大きな豊かな映画という共同体の中にいさせてもらって、そこでフランスのようなナショナリズムとは無縁の地点で価値観を共有して映画を通して繋がっていけるという、そういう気持ちなんですよね。それは本当に幸せです。そういう時間は僕を映画の作り手としても一人の人間としても成長させてくれると思っているので作り続けます』

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