20世紀後半を代表するフランスのアクションスター、ジャン=ポール・ベルモンドの代表作の数々を一気に上映する“ジャン=ポール・ベルモンド傑作選”が2020年10月30日から開催されます。ベルモンドとはいったいどんなスターだったのかを改めて検証すると共に、傑作選で上映される作品をご紹介しましょう。(文・松坂 克己/デジタル編集・スクリーン編集部)

スタントなしのアクションスターの元祖

画像: 「勝手にしやがれ」(1960)で一気にブレイク

「勝手にしやがれ」(1960)で一気にブレイク

ジャン=ポール・ベルモンドといえば「勝手にしやがれ」(1960)「気狂いピエロ」(1965)といったジャン=リュック・ゴダール監督によるヌーベルバーグ作品で語られることが多い。だが彼にはもう一つの顔、いやこちらが本領という別の面がある。アクションスターとしての顔だ。

今回開催される“ジャン=ポール・ベルモンド傑作選”では、1960年代から70年代の、ベルモンドが最も油の乗り切っていた時期のアクションが見られるのだ。

ベルモンドは1933年4月9日、パリ郊外の生れ。父は著名な彫刻家で母も画家だった。幼少時は病弱だったが、回復してからはサッカーに熱中、その後ボクサーを志した時期もある。やがて演技に興味を示しコンセルバトワールに入学、1956年に卒業する頃には有望な若手として認められるようになっていた。

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映画デビューは1957年。1959年のクロード・シャブロル監督の「二重の鍵」(1959)で注目され、翌年の「勝手にしやがれ」で一気にブレイクした。だが、ベルモンドが本領を発揮するのはこの後だ。

当時売り出し中だったフィリップ・ド・ブロカ監督と組んだ「大盗賊」(1962)が大ヒット。コメディ・タッチのアクションで、以降ベルモンドはこの種の作品を連発、フランス映画界を代表するスターとなっていく。

ド・ブロカ監督とはその後も「リオの男」(1963)「カトマンズの男」(1965)と大ヒット・アクションで組み、ベルモンドはスタントなしで危険なアクションを演じることでも知られるようになっていった。トム・クルーズ、ジャッキー・チェンの元祖のような存在なのだ。

アラン・ドロンを凌ぐ人気で数々の賞にも輝いた

この時期にはアラン・ドロンも人気だったが、フランス国内での人気はベルモンドの方が高く、70年代にはフランス映画界で最も出演料の高い俳優にもなっている。1972年の「交換結婚」からは自らの製作会社セリト・フィルムを設立して製作にも乗り出した。50代半ばでアクションから卒業、クロード・ルルーシュ監督の「ライオンと呼ばれた男」(1988)で初めてセザール賞主演男優賞を受賞、2011年にはカンヌ国際映画祭で名誉パルムドール、2016年にはベネチア国際映画祭の栄誉金獅子賞など多くの生涯功労賞を受賞、2019年にはレジオンドヌール勲章を授与された。2003年にはなんと70歳で娘をもうけてもいる。

アクションスターとしては同時代のスティーヴ・マックィーン、クリント・イーストウッドと並び称されることも多く、マックィーンの「ブリット」(1968)のカーチェイスにベルモンドが「華麗なる大泥棒」(1971)でオマージュを捧げたり、逆にベルモンドの「恐怖に襲われた街」(1975)の地下鉄の屋根の上のシーンをマックィーンが「ハンター」(1980)でやり返したりということもあった。日本では漫画家にもベルモンドのファンが多く、『ルパン三世』(モンキー・パンチ作)『コブラ』(寺沢武一作)はいずれもベルモンドがモデル。ベルモンドがいなければこの人気キャラクターも誕生しなかっただろう。

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