SCREEN11月号で募集した“レジェンド・スター総選挙”に、たくさんのご応募ありがとうございました。人気最高潮のさなかに衝撃的な死を迎えた人、一時代を築いて惜しまれつつ世を去った人……今は亡きスターにも様々な最期がありますが、時代を越えてファンの心に残る人こそ“レジェンド・スター”。そんな伝説のスターたちに、『もう一度あの人にスクリーンで会いたい』というファンの声がたくさん集まりました。今回は、ベストテンを一挙ご紹介します。(文・金子裕子、井上健一/デジタル編集・スクリーン編集部)

第10位 ロビン・ウィリアムズ

観るものに笑顔を届ける生まれながらのエンターテイナー

1951.7.21-2014.8.11

画像: 観るものに笑顔を届ける生まれながらのエンターテイナー

誰もが親しみを覚える温かな人柄と屈託のない笑顔。ロビン・ウィリアムズといえば、いつもそんな姿が思い浮かぶ。それは、フォード社重役を父に持ち、名門ジュリアードで演技を学んだ育ちの良さゆえかもしれない。

その裏で、一時は酒とドラッグに溺れたことも。とはいえ、そこから立ち直った後の活躍は目覚ましかった。コメディアンとして培ったユーモアセンスを武器に、「グッドモーニング,ベトナム」(1987)、「ミセス・ダウト」(1993)などで三度のゴールデングローブ賞を受賞。

かと思えば、「いまを生きる」(1989)などではしっとりと人間味あふれる演技で観客の涙を誘い、「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」(1997)でアカデミー賞助演男優賞に輝く。その変幻自在ぶりは圧倒的だった。

そんな名優ロビンの訃報が突然、世界を駆け巡ったのは、2014年8月11日。63歳で自ら命を絶った悲しい最期に、ファンは驚きを隠せなかった。

認知症に苦しんでいた(それが動機かは不明)とも報道されたが、「レナードの朝」(1990)で、難病治療に取り組む医師を演じた彼には、「生きてほしかった」と今も願わずにはいられない。

ロビン・ウィリアムズ

画像: 「いまを生きる」(1989)より

「いまを生きる」(1989)より

プロフィール

シカゴ出身。名門ジュリアード音楽院を卒業後、スタンダップコメディアンとしてキャリアをスタートさせる。1978年から1982年に放送されたシットコム「モーク&ミンディ」の宇宙人モーク役でブレイクし、映画界へ進出を果たし、「ポパイ」(1980)でタイトルロールを演じた。

主な出演作品 : 「ガープの世界」(1982)、「グッドモーニング,ベトナム」(1987)、「いまを生きる」(1989)、「ミセス・ダウト」(1993)、「ジュマンジ」(1995)

第10位 ヴィヴィアン・リー

圧倒的な美貌と存在感で世界を魅了し続ける情熱の銀幕スター

1913.11.5-1967.7.8

映画史上の金字塔「風と共に去りぬ」(1939)、そして名作戯曲の映画化「欲望という名の電車」(1951)。30年のキャリアで20本足らずの出演作の中、二度のアカデミー賞主演女優賞に輝く類まれな実績。

いずれも、農場経営者の娘を演じたが、そこには裕福な家庭に育った彼女自身の姿がダブって見える。振り返ってみると、全てを失いながらも「明日は明日の風が吹く」と力強く夕陽を見つめるスカーレット・オハラを演じたのは、ローレンス・オリヴィエと熱烈な恋に落ち、未来への希望にあふれていた頃。

一方、その12年後に演じた「欲望という名の電車」のブランチには、オリヴィエと結婚しながらも、流産を経験し、結核や双極性障害に苦しんだ当時の心情が、そのまま反映されているかのようだ。

まさにヴィヴィアン・リーとは、自らの人生を役にぶつけることで輝く女優だった。だが、二度の栄冠を手にしながらも、彼女の心身は回復せず、1961年に離婚。

その後はオリヴィエの不在と共に情熱を失ったかのように、2本の映画に出演しただけで、1967年7月8日、結核のためロンドンで息を引き取る。53歳の鮮烈な生涯だった。

ヴィヴィアン・リー

画像: 「哀愁」(1940)より

「哀愁」(1940)より

プロフィール

インド・ダージリン生まれ。5歳のときにロンドンに移住し、王立演技学校とパリのコメディ・フランセーズで演技を学ぶ。1934年に「ThingsAre Looking Up」で銀幕デビュー。まもなく舞台でのレビューも飾る。1937年にアレクサンダー・コルダと契約後「無敵艦隊」(1937)に出演。

主な出演作品 :「 風と共に去りぬ」(1939)、「哀愁」(1940)、「シーザーとクレオパトラ」(1945)、「アンナ・カレーニナ」(1947)、「欲望という名の電車」(1951)

第9位 ポール・ウォーカー

愛娘、共演者、ファンの心に生き続ける演技と車と家族を愛した男

1973.9.12-2013.11.30

画像: 愛娘、共演者、ファンの心に生き続ける演技と車と家族を愛した男

遺作「ワイルド・スピード SKY MISSION」(2015)のラスト、クルマで去った彼は、今もどこかを走り続けているに違いない。まだシリーズが影も形もなかった頃、真っ先に第1作「ワイルド・スピード」(2001)への出演を決め、世界的大ヒット作に押し上げた功労者だった。

劇中と同型の日本車を所有するなど、カーマニアとしても有名な彼にとって、「ワイスピ」出演はまさに“渡りに船”。これを機にブレイクすると、シリーズ6作と並行して、「南極物語」(2006)、「父親たちの星条旗」(2006)などにも出演。

さらに、「逃走車」(2013)、「スティーラーズ」(2013)などでは製作も担当し、水を得た魚のように活躍の場を広げていった。

だが2013年11月30日、チャリティーイベントに参加した帰路、友人が運転する自動車で事故に遭い、死亡。

母が元モデル、祖父はボクサーという血筋に加え、Tシャツが似合う188センチの長身と引き締まった肉体は、アクションスターとして申し分なかっただけに、40歳での死を世界中が悲しんだ。なお、盟友ヴィン・ディーゼルの三女“ポーリーン”の名は、彼にちなんだものだという。

ポール・ウォーカー

「イントゥ・ザ・ブルー」(2005)より

プロフィール

カリフォルニア出身。モデルの母親の影響で幼い頃からCMやドラマに出演。1986年に「モンスター・イン・ザ・クローゼット 暗闇の悪魔」でスクリーンデビュー。コミュニティカレッジでの勉強に専念するため、俳優業から一時期遠ざかるも1993年にTVシリーズで復帰した。

主な出演作品 :「ワイルド・スピード」シリーズ(2001〜15)、「タイムライン」(2003)、「イントゥ・ザ・ブルー」(2005)、「南極物語」(2006)、「父親たちの星条旗」(2006)

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