小野田寛郎元陸軍少尉が戦争が終わったことを知らされず、終戦後30年近くの間、最後は一人になっても指令に背くことなく、任務を遂行したことを描き切ったフランス映画『ONODA』。脚本も手がけたアルチュール・アラリ監督は、この出来事は「寓話」でもあり、理不尽な事実である。そこには曖昧で複雑な人の想いがあり、それは今の周囲の人間関係にも通じると言う。日本では未だ作られることのなかった、日本のために戦い続けた一人の男のことを、渾身の映画作品にしたフランス人監督として、アラリ監督にインタビューしないわけにはいかないと思った。

カンヌ国際映画祭でワールド・プレミア上映に

画像: カンヌ国際映画祭でワールド・プレミア上映に

第二次世界大戦終戦から75年目を迎えた今年。カンヌ映画祭「ある視点」部門のオープニングを飾ったのが、本作、『ONODA』だった。日本公開においては、「一万夜を越えて」という副題がつけられた。

終戦後30年近く、最後は一人になっても戦いをやめなかった、小野田元少尉という一人の日本兵の生還。当時日本と日本人にとって衝撃的な出来事以外の何物でもなかった。現在も、彼自身の手記は多数残されている。当時はマスコミでの寵児となり、時の人となって、日本で彼を知らない者はいなかったはずである。

しかし、今思えば不思議なくらいだが、未だ日本では誰も彼のことを映画化することはなかったのだ。そのことに今気づかされたのは、フランス人監督、アルチュール・アラリ監督が作った本作だった!

これは少なからずの衝撃だ。ほとんどが日本人俳優、日本語で作られて完成をみる。令和を迎えた今の日本は、91歳まで生きた小野田元少尉の死後7年を迎え、彼の存在を知らない世代も増えている。そんな時期に、小野田元少尉がフランス映画で蘇ることになった。

終戦を知らずに、30年近く戦い続けた「サムライ」

戦局が危うくなった1944年の日本、陸軍中野学校二俣分校で遊撃(ゲリラ)戦の特殊訓練を、教官の谷口義美(イッセー尾方)から徹底して叩き込まれていた小野田寛郎(青年期・遠藤雄弥、成年期・津田寛治)。フィリピン・ルバング島での任務を命じられる。学んだことは、「玉砕」してはいけないということ。どんなことをしてでも、生き延びて諜報活動を続けよというものだった。

ルバング島では、ジャングルでの過酷な生活が続き、飢えや病気で仲間が死んでいく中、小野田はあらゆる機知を使って隊を励まし、さらに奥地へと向かっていく。その間に日本が敗戦し、戦争が終結していくことになることも知らされぬままに。

最後まで一緒に行動を共にしていた、上等兵の小塚金七(青年期・松浦祐也、成年期・千葉哲也)も命を落とし、小野田はただ一人になってしまうが、任務を愚直に遂げようと、諦めることはなかった。

残留日本兵が存在することが明らかになり、政府も家族も帰還を促すが、空しい結果となる。日本から来たバックパッカーの青年が小野田と遭遇し説得を試みるも、上官の任務を解く命令があれば帰国すると言う小野田であったが……。

本作に描かれる最後の残留日本兵、小野田寛郎。彼の存在を当時、知り得た者にも、知らなかった者にも実に興味深い映画の誕生だ。

画像: 終戦を知らずに、30年近く戦い続けた「サムライ」

『ONODA』に力を貸してくれた日本人功労者の存在

── 小野田寛郎元少尉(以降、監督のご発言に従い、小野田さんと表記)のことをフランス人の監督の手によって、このように微細な表現で、今の時代に映画で表現していただけることには、日本人である私としては、まずは感謝の気持ちしかありません。作っていただいてありがとうございました。

第二次世界大戦の終戦から75年以上も経ち、小野田さんのことを知らない世代も増えつつあり、ましてや戦中は、フランスと日本は敵対関係にあったわけですから。

そんな風に言っていただけて、ありがとうございます。

── 映画の最後には、映画プロデューサーとして、長く日本とフランスの架け橋となって活躍され、一昨年に惜しまれて亡くなられた吉武美知子さんに捧げるという謝意が記されていましたが、これは彼女を日本人の代表の一人として掲げたものなのか、やはり、この作品に関わっていらっしゃったのですか?

彼女は、今回の作品のプロデューサーではないものの、制作当初に尽力をいただいた存在なんです。最初の出会いは、彼女がプロデュースした諏訪敦彦監督作品『ライオンは今夜死ぬ』(2017)という作品に、私が出演したときでした。

その後は、私の初監督作である『汚れたダイアモンド』(2016)という作品を気に入って下さって、日本での配給や公開についていろいろと動いて下さった。本作についてもキャステイングなど、日本サイドの様々な人や会社に繋いでくれたのも彼女でした。

原作で初めて知った、小野田さんの持つ「曖昧さ」

── そうだったんですか。それなのに、本作を観ることなく亡くなってしまったんですね。もしかしたら天国で小野田さんと一緒にご覧になっているかもしれないですね。

そして、アラリ監督は、以前から何か冒険をテーマにしたような作品を手がけようとなさっていたとのこと。父上から、小野田さんのことを聞かされたときにご興味を持たれたそうですね。ベルナール・サンドロン氏が著わした、『ONODA 30 ans seul en guerre』をお読みになった後の、小野田さんについての第一印象はどのようなものだったのでしょうか?

小野田さんを尊敬できるかとか、彼のしたことが正しいのか間違っているのか、というような判断はすぐには出来ませんでした。まずは、途方もないぞ、この人はとか、この話は本当のことなのかという気持ちでしたね。

そして、この出来事は現実離れした「寓話」にも思えてきましたし、もの凄く不条理にも思えました。そうして、彼の中で何が起きていたか、どうしてこんなことが可能だったかと考えてみると、これは日本の昔ながらの「サムライ」とか「軍隊」にある精神性とか、何か大きな普遍的なものを感じたんです。

── なるほど。そうした多くの疑問や興味を、監督に抱かせた小野田さんだった。その存在が監督を突き動かして、この映画が出来たわけですね。

生きて、敵国の情報収集をゲリラ的に続けよ、と教える特殊部隊の様な「中野学校」の存在や、その教えに徹頭徹尾、従った小野田さん像と生き延びた歳月を、微細にみごとに描かれました。それにしても、常軌を逸したかのような上官の命令や、そこに忠誠を尽くす小野田さんたち日本兵を理解できたのでしょうか?

画像: 原作で初めて知った、小野田さんの持つ「曖昧さ」

本来、命令に対しての誠実さとか、忠誠心とか、尽くす気持ちというのはポジティブな精神もとづく行動のはずです。しかし、任務とはいえ、それを果たすことで、小野田さんは殺人者や強奪者にもなってしまう。そういう小野田さんの気持ちは、「曖昧さ」に満ちていると感じました。そういう曖昧さや複雑さに興味を惹かれました。

また、(理不尽とも思える)軍部の指令も、日本だけのことだとは思えませんでした。それらは、今の自分の周りの人間関係にも起きている曖昧さに、共通しているように思えて共鳴出来ました。

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