人気バラエティ番組を多数手掛けた名プロデューサー吉川圭三さんが今まで影響を受けた映画の数々を独自の視点で、溢れる映画への想いや、知られざる逸話とともにご紹介します。今回はスティーヴン・スピルバーグ監督の『激突!』。「あおり運転」の恐怖と暴力をMAXまで演出したサスペンス作品ついてスピルバーグの卓越した撮影技術の凄さとその手法を解説してくれました。

吉川圭三

1957年東京・下町生まれ。「恋のから騒ぎ」「踊る!さんま御殿」「笑ってコラえて」の企画・制作総指揮・日本テレビの制作次長を経て、現在、KADOKAWA・ドワンゴ・エグゼクティブ・プロデューサー。著書も多数あり、ジブリ作品『思い出のマーニー』(2014)では脚本第一稿も手掛ける。

Illustration /うえむら のぶこ

若きスティーヴン・スピルバーグ監督に学ぶ

私はこの5年間、大学で教鞭を取っている。この学校で映像プロデュース概論なるものを教えている。仕事で多忙な私だが、コラムを書いたり大学で教える事はその準備のために「何かを考えたり」「何かを見つけたり」「何かを調べたり」する機会を与えてくれる。

かつてスタジオジブリの小冊子「熱風」で鈴木敏夫プロデューサーに「吉川さんは映画が好きみたいだから連載やってみませんか?」と声をかけられ「映画ジャンル論」なるものを書いた時は大変だったが勉強にもなった。ギャング映画・SF映画・社会派映画ほかについて書くために毎月100本以上の映画を見返し様々な映画本も読んだものである。(この連載はその後文春文庫で発刊された)そしてこの本が名刺がわりになり、大学で映像について教えたり、実写映画のプロデューサーになることができた訳である。

授業では映画・テレビ・ネット配信動画の歴史・実務・内情に加え私の解説で数本の映画をダイジェストで見せている。ただ私も変わり者だから彼ら学生があまり見ていないものを鑑賞させている。ミュージカル映画『雨に唄えば』(1952)のシド・チャリシーの見事な舞いとか、『地獄の黙示録』(1979)のベトナムの小村を米軍ヘリコプター大隊が襲うシーンを見せた後に『ラストエンペラー』(1987)の紫禁城での清朝最後の皇帝・溥儀の戴冠シーンを見せて撮影監督が同じヴィットリオ・ストラーロだと説明したり、黒澤明監督は『七人の侍』(1954)ではなく『赤ひげ』(1965)の若手医師の加山雄三を精神に異常をきたした二木てるみが襲うシーンを見せたり、仏映画の頂点ジャン=ピエール・メルヴィル監督の『サムライ』を見せたりする。現在若い彼らが毎日見ているCG多用のヒーロー映画や新作の日本映画や配信動画と最も遠い映画を見せてどこが凄いのかを教えたりしている。

『激突!』で見せた撮影技術の凄さ

画像: 『激突!』(1971)

『激突!』(1971)

130名の学生はもちろんほとんど観た事が無い映像だが衝撃を受けている様である。そして最近私が発見したある映像も見せてみた。それは自宅の本棚に置いてあったスティーヴン・スピルバーグ監督の最初の作品『激突!』(1971)のDVD特典として入っていた「スピルバーグ監督による作品解説」である。

ご存知のように若い頃、彼はスタッフ気取りでユニバーサル映画の撮影所に潜り込み、24才であの名シリーズの刑事コロンボの第3話目の「構想の死角」の演出をする。今このドラマを見ても窓際で犯人とコロンボが熱く話をしている中、重要な証拠の品が彼らから遠いテーブルの端に置いてあるのにカメラがドリーし接近するシーンにドキドキしてしまう。このドラマをキッカケに彼は撮影所内に個室と秘書を持つ。

ある日秘書が雑誌「プレイボーイ」で発見したのが才気溢れる小説家・脚本家のリチャード・マシスンの異色の短編小説だった。物語は自動車で遠くに仕事に出かける平凡なセールスマンが排気ガスに辟易して田舎の道路で大型トラックを追い越す。だが、このトラックの運転手が追い抜かされた事を逆恨みし、セールスマンにあらゆる嫌がらせをして来るというセリフの極端に少ないシンプルだが根源的な恐怖を感じさせるサスペンス映画である。

トラックの運転手の顔が見えない。その男が何故そんな事を仕掛けてくるのかその理由もわからない。考えてみれば我々の日常にも起こりうる“不条理な理由なき暴力や非道な行為”にも通じる所がある。DVD特典映像ではスピルバーグがこの映画を撮るに至った経緯と、トラックを何台もオーディションし、それにあたかも人格が宿っているかの様に美術部に昆虫の死骸やゴミでトラックの前面を汚すように指示した事や、わずか10日間で撮り上げた秘密が惜しげもなく語られる。綿密な道路の手書きの地図とどこにカメラを置けば最小限の車やトラックの移動で短時間に全てのショットを撮り上げる事ができるのか? 彼がこの映画の撮影を綿密な計画で低予算で撮りあげた様子がわかる。企画の選び方のセンスと卓越した撮影技術は瞬く間に評判となり、次回作の「ジョーズ」へと繋がる。

画像: 撮影現場で指示を出す監督

撮影現場で指示を出す監督

スティーヴン・スピルバーグ プロフィール

1946年12月18日、オハイオ州シンシナティ―生まれ。少年時代から8ミリに熱中。大学時代の短編『Amblin』が認められてユニバーサルのTV監督となり、『刑事コロンボ』を演出、70年以降は映画作品が中心、『激突!』(1971)『ジョーズ』(1975)『E.T. 』(1982)『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984)『シンドラーのリスト』(1993)等、数多くの製作作品を含めヒットメーカーとして活躍。

いま本作を観てわかるのだが、スピルバーグはなかなか鮫そのものを見せない。当時その鮫が機械仕掛けのハリボテだったとしても、見せないことによる映像と音楽のサスペンスが観客の緊張を極限まで持ってゆく。映画史に詳しいスピルバーグならば1933年に制作された最初の『キング・コング』を意識していたはずだ。キング・コングが中々出てこない事で結末まで持ってゆく手法は『ジョーズ』(1975)にまで波及していると思う。最新の映画も良いが作り手に取っては過去作は宝の山なのである。

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