SCREEN 2022年2月号で本格的創刊から75年を迎えたSCREEN。その長い道のりは、戦後、日本人が愛した外国映画や海外スターの歴史と重なるといっても過言ではないでしょう。そこで75周年を記念して、SCREENが日本の読者に紹介してきた数えきれない人気映画&スターの変遷を、本誌のトリビアと共に振り返ってみましょう。今回は、1960年代から1970年代に注目します。(文・松坂克己/デジタル編集・スクリーン編集部)

アラン・ドロン、007、アメリカン・ニューシネマ、
カンフー&オカルト・ブーム、スター・ウォーズが時代を作る

『太陽がいっぱい』でブレイクしたアラン・ドロンは日本人に長く愛された

60年代に入るとスターの人気地図も様変わりするようになった。まず1960年に登場したのが「太陽がいっぱい」のアラン・ドロン。翌1961年暮れには「ウエスト・サイド物語」が公開されて歴史的ロングランを記録、主演のジョージ・チャキリスも大人気となった。1963年には「007」シリーズの第一作「007は殺しの番号」(後に「ドクター・ノオ」に改題)が公開されショーン・コネリーも人気者の仲間入りをした。女優もヨーロッパからブリジット・バルドー、ジャクリーヌ・ササール、ミレーヌ・ドモンジョといった新しいタイプが登場し人気となった。俳優ばかりでなく、「道」「抵抗」「居酒屋」などのヨーロッパ映画がロードショー館でヒットした。

ブリジット・バルドー

キャサリン・ロス

画像: 「ウエスト・サイド物語」のジョージ・チャキリス(中央)も大人気

「ウエスト・サイド物語」のジョージ・チャキリス(中央)も大人気

60年代中期から後半にかけて、スクリーンはいまに至るスタイルを確立していく。創刊20周年の1967年2月号からはA4判に大型化、すでにTVページは十数ページにも及ぶようになっていた。モノクログラビアではスターのお宅拝見や撮影ロケ現場訪問のようなオフショットが目立っている。またピンナップでは水着写真も見られるようになった。

六年連続読者の人気投票一位だったオードリー・ヘプバーンを抑え、ジュリー・アンドリュースが「サウンド・オブ・ミュージック」の大ヒットで一位になったのもこの時期。また「007は二度死ぬ」の日本ロケも行なわれている。イタリア製西部劇〝マカロニ・ウェスタン〞も熱狂的なブームになった。

日本ロケを行った「007は二度死ぬ」の密着レポートも行った

60年代末から70年代にかけては「俺たちに明日はない」「イージー・ライダー」などアメリカン・ニューシネマも話題になり、フェイ・ダナウェイ、キャサリン・ロスら新世代女優が表紙を飾るようになっていく。また「ある愛の詩」「小さな恋のメロディ」のような純愛映画もヒット、さらには「ゴッドファーザー」の大ヒットでフランシス・フォード・コッポラも大監督の仲間入りをした。

画像: 英国本国よりも日本で人気が高かった「小さな恋のメロディ」

英国本国よりも日本で人気が高かった「小さな恋のメロディ」

そして1973年、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」が大ヒット、ブルース・リーはその時すでに亡くなっていたが「ドラゴン危機一発」などの彼の旧作も公開され、カンフー映画ブームが巻き起こり、未知の世界だった香港スターにも注目が集まるようになった。

画像1: 【創刊75周年記念】人気映画&スター変遷を振り返る Part2 1960年代〜1970年代

「燃えよドラゴン」のブルース・リーがカラーグラビアを飾った

画像2: 【創刊75周年記念】人気映画&スター変遷を振り返る Part2 1960年代〜1970年代

パニック映画ブームを呼んだ「タワーリング・インフェルノ」の記事

画像3: 【創刊75周年記念】人気映画&スター変遷を振り返る Part2 1960年代〜1970年代

「スター・ウォーズ」でハリソン・フォードとキャリー・フィッシャーが来日

また「エクソシスト」がオカルト・ブームの引き金となり、「タワーリング・インフェルノ」などのパニック大作ブームも同時期に起こるなど、一本の大ヒット作とそれに追随する作品による一過性のブームが多くなったのもこの時期の特徴と言えるだろう。

1978年には映画史を変えたと言っても過言ではない作品が登場した。ジョージ・ルーカス監督の「スター・ウォーズ」だ。スピルバーグの「未知との遭遇」も同じ年に公開されており、お正月や夏休みといった書き入れ時にはSF作品が公開されるようになっていく。なお、1968年の第29回ベネチア映画祭で催された国際図書展で、スクリーンは最高賞のサンマルコ獅子賞に輝いている。

画像: 本誌が受賞したベネチア国際映画祭サンマルコ獅子賞の盾

本誌が受賞したベネチア国際映画祭サンマルコ獅子賞の盾

Photos by Getty Images

Part3(1980年代〜1990年代)はこちら

This article is a sponsored article by
''.