なぜ法廷サスペンスを手掛けたのか?
公式記者会見でのQ&Aより。
Q 釜山映画祭に参加されてのお気持ちをお願い致します。
<福山>釜山映画祭は今回2回目ですが、前回はずっと一日中取材ばっかりだったので全然街の雰囲気が分からなかったのですが、昨日釜山に入りまして時間があったので1日街を周ってきまして色んなところにいけたので改めて街の魅力を感じながらの映画祭への参加になっています。お招き頂き大変光栄に思っています。
<是枝>新作を福山さんと「そして父になる」以来になりますから4年ぶりに大好きな釜山の映画祭にやってくることができて本当に嬉しく思っております。呼んで頂いた映画祭関係者の皆様ありがとうございます。そして、今日ここに来ていただいた記者の皆さん、今日の公式上映に来ていただけるファンの方々にもお礼申し上げます。今回の滞在はいつもよりはちょっと少し長く、ご紹介頂いたように映画祭だけではない、いくつかのプロジェクトにも参加させて頂いています。とても充実した日々を送っております。AFAの校長先生は去年の11月、映画祭直後に亡くなられたキム・ジソクさんが東京の僕の事務所にいらっしゃって是非来年のAFAの校長先生をと、とても熱いオファーを頂いてお引き受けさせて頂いたものですから今回の映画祭にジソクさんがいらっしゃらないのがとても残念ですが、彼の熱意をなんとか形にしたいと思って一生懸命やっております。
Q まず、監督に質問です。今まで家族をテーマにして映画を多く演出されていましたが、今回は法廷サスペンスという今までとは違ったジャンルに挑戦されていますが、何かきっかけがあったのでしょうか?また影響を受けた事件などがありましたか?
<是枝>しばらくホームドラマを続けていたのは自分のパーソナルな生活の中で一番、母親を亡くしたり子供が出来たり、この10年は動きが沢山あって自分にとって切実なモチーフを映画に落とし込んでいくという作業をやっていたという感じなんですね。決してそこで問題が解決されたわけではないんですけれども。やや視野を広げてみて同じように自分がこの日本社会で生きていて、何に切実な関心を持ちうるだろうかということを少し視点を高くとってみて考えてみたときに、人が人を裁くということについてもう少し掘り下げて考えてみたいと思ったのがスタートでした。ジャンルに関して言うと、一人の殺人犯を主人公にしたときにどういう作品の世界観というのをホームドラマとは違う形で撮影の方法とか美術の在り方を考えていくのはこれは新しいチャレンジだったんですけど、自分にはサスペンスというよりはどちらかというと作品全体の世界観としてはのフィルムノアールかと。モノクロとカラーの違いはありますけども古典的な作品を見直しながらカメラマンと美術の種田さんと一緒に相談しながら作品の世界観を決めていったというようなプロセスがありました。
ジョン・ウーと是枝の違いは?
Q 福山さんに質問です。『追捕 MANHUNT』ではジョン・ウー監督、『三度目の殺人』では是枝監督と、二人の巨匠監督の映画に出演された感想と、お二人の違う点を教えてください。
<福山>今回、偶然にも釜山映画祭で是枝監督の作品と、ジョン・ウー監督の作品が上映されるということは、とても光栄で嬉しく思います。 昨夜、時間があったので食事の後に、お酒を飲みに行きました。道路沿いに映画祭に出品されている作品のビルボードが飾ってあって、そこでも偶然にも「三度目の殺人」と「追捕」のビルボードが二つ並んであって、記念撮影をしました。すごく嬉しかったです。二人の巨匠の共通点は、映画に対しての愛情。映画と共に生き、映画と共に人生を全うするんだろうなと感じさせる、愛情と覚悟とでもいいましょうか?何もかもが、生きている時間、感じていること、そのすべてが映画になって、作品になっていくというお二人なんだろうなと思いました。今回の2作品でいうと、両作品とも台本がずっと撮影中、撮影の最後まで変化し続けるという共通点がありました。それは僕にとってすごくワクワクする興奮する現場で、話が全く変わっていくわけではないので、監督が撮りながら、もっとこうしたい、もっとこうなったほうがいいのではないかという監督の思いがどんどん有機的に効果的に映画というその作品に最終的にはつながっていくので、そのLIVE感といいますか、コンサートでいう生演奏のようなそういったようなものを現場でずっと見させていただいていて、演者である僕自身もすごく興奮できる現場でした。偶然にも、ファンである是枝監督、ファンであるジョンウー監督が同じような作り方をされていたことがうれしい体験でした。
Q 監督に質問です。『三度目の殺人』は死刑についての意味を含めているのでしょうか?また、監督は死刑制度についてどうお考えでしょうか?
<是枝>映画の中では二度しか人が殺されないのに「三度目の殺人」というタイトルが付いていて何なんだというのが結構日本でも色んな方が色んな感想や意見を述べていて面白いなと思ってみているので、勿論それを死刑制度だとか司法による殺人だという捉え方をする方も数多くいらっしゃいましたし、色んな解釈が成り立つようなタイトルにしたつもりなのでその答えも全く否定はいたしません。この映画自体が死刑制度に対して反対をする目的でつくられたということは全くない。僕自身が死刑制度に対しては、態度としては存続を支持しない立場に立っていますが、それを訴えるために作った映画ではありません。この映画でやろうとしたことはもう少し普遍的なというか制度というよりは人が見て見ぬ振りをする、見たつもりになってしまう、分かったつもりになってしまう、分かっているのに分からない振りをしてしまうという何かから目を背けてしまうそういうこと自体は法廷では裁かれないので、裁かれない罪について描いてみたいと思った。そちらのほうが映画の中心にあるといいなと思いながら撮りました。
鍵括弧つきの真実が、どの程度の真実なのか
Q 法廷とは、多くの人が考えているより真実を明らかにする場所でないという感想を持ちました。裁判で勝つためには、真実は何かということより、法廷のルールや言語をいかに理解し、活用するかが勝利に繋がるんだと思いました。
<是枝>映画を作る時に、弁護士さんたち、今回は現役7人の方に脚本作りに入って頂きまして、実際に模擬接見、模擬裁判を弁護士チーム、検察官チーム、犯人役もやってもらい繰り返し撮影して、それを文字起こしして脚本にしていく作業をやっていました。協力してくださった弁護士が、ごはんを食べながら「法廷って別に真実を明らかにする場所じゃないんですよね」とつぶやいたのがこの映画を書いていく大きなきっかけになりました。「でしたら何をする場所なんですか?」ときいたら、「僕らの立場からすれば利害調整ですね。僕らの立場からすると真実はわからないですからね」、とすごく明快におっしゃられたんですよ。タイムマシーンがあるわけでもないですし、法廷にいる人は誰ひとり殺害の現場にはいないわけです。弁護士も検察官も裁判官も。そんな中で、人間同士で何ができるのか考えていくのはとても怖いなと思ったのと同時に、弁護士の態度としてはすごく誠実だとも思いました。
それで、真実なんてどうせわからないんだと思っていた弁護士が、今回ばかりはそれに手を触れてみたくなるという話にしよういう逆説的なストーリーラインを考えたのが今回の映画です。
真実というのがあるかないかというよりも、あったとしても私たちにはわからないのではないか?むしろわかったと思ってしまう方が怖いのではないか?この映画の着地点は三隅は金のために人を殺してたぶん死刑になっていくのでしょう。明快な答えが出ています。僕らが触れるのは多分そういう答えだけであって、僕らが触れているそういう鍵括弧つきの真実が、どの程度真実なのかを問うてみたい、そんな趣旨で作っています。