イーストウッドは事故よりもその後日に興味を持った。
クリント・イーストウッドの『ハドソン川の奇跡』が、めでたくも当スクリーン誌の“映画評論家選出による外国映画ベストテン”の第1位に輝いた。
聞けばイーストウッド作品が1位に輝いたのは過去に『許されざる者』、『ミスティック・リバー』、『ミリオンダラー・ベイビー』、『グラン・トリノ』があり、5度目の栄誉という。惜しくも1位にならなかったものの、ベストテンに入った作品を考えると、『許されざる者』以降の監督作品は殆ど網羅されることになる。ここまでコンスタントに抜きんでた作品を発表し続ける映画監督は、アメリカ映画界のみならず、世界を見まわしてもおよそ例がない。
本作では前作『アメリカン・スナイパー』に続いて、実在の人物にスポットを当てている。描くのは、突然の事故に冷静に対処したことで英雄に祭り上げられ、一方で資質を厳しく問われることになったパイロット、チェスリー・サレンバーガー(通称サリー)の姿だ。
2009年1月15日、ニューヨーク上空でサリーが操縦する旅客機が鳥の群れに遭遇。両エンジンが停止したため、サリーは極寒のハドソン川への不時着水を選択した。この咄嗟の判断によって、乗員155名は無事に生還することができたのだ――。
ニュースは日本でも大々的に報じられ、マスコミはサリーを英雄ともてはやしたが、事故調査委員会は、コンピュータのデータなどから類推して、空港に戻れたのではないかという疑念を抱く。これによってサリーと副操縦士は委員会で尋問を求められた。長年の経験に培われた判断よりもコンピュータのデータを重んじる現代の風潮。機械は間違わないという固定観念にサリーたちは反証することになる。イーストウッドが興味を惹いたのは、事故それ自体よりも、後日談の方にあった。
サリー自身が書いた原作(ジェフリー・ザスローとの共著)をもとに、『パーフェクト・ストレンジャー』のトッド・コマーニキが脚本を担当した。市井の人物の心情をつかみ取ることに長けているというのが、小説家で、監督作もあるコマーニキを起用した理由とか。
この脚本が巧みなのは、事故後、事故調査委員会を待つサリーの姿から、ストーリーがはじまることだ。彼はひょっとしたらニューヨークの摩天楼に旅客機が突入したかもしれない、という悪夢に悩まされ、委員会では事故に至る過程を音で再現されることになる。
イーストウッドは過不足のない語り口で、サリーのプロとしての資質、人間性を浮かび上がらせる。考えてみれば、イーストウッド作品は常にヒロイズムに対する考察がモチーフとなってきたが、本作はいっそう顕著だ。
経験を積み技術を誇るパイロットが機械の判断によって過失を疑われる事実。彼はそれまで考えたこともなかった、飛行機にまつわる過去の記憶、さらにパイロットとしての自分の判断を、心のなかで精査することになる。
ヒロイズムに対する考察と死生観が伝わってくる。
イーストウッドはこの過程を描くことでヒーローというもの、その在りようを浮き彫りにする。サリー本人の協力のもとに、節度をもって彼の行動を紡ぎ、称えているのだ。
しかも、近年のイーストウッド作品と同じく、本作でも彼の死生観がくっきりと映像に反映されている。サリーの行動を通して、死と生が紙一重であることが描かれる。確かに年齢が増せば増すほど人生に対して諦観が増し、行動の結果に偶然がいかに大きく作用しているかを痛感するものだ。イーストウッド自身が実際にそう考えているかどうかは想像するしかないが、少なくとも映像のイメージを通して、みる者はそうした感慨に囚われる。
もちろん、イーストウッドはエンターテインメントとしての配慮は欠かさない。不時着水のスペクタクルを完璧に再現するために、本作では全編、ALEXA IMAX65㎜カメラを採用。ニューヨーク市内にロケーションを敢行するとともに、救助に尽力した機関の協力を得て、事故の一部始終を大画面にスリリングに映像化してみせた。『ミリオンダラー・ベイビー』をはじめ、数々の作品で彼をサポートした撮影監督、トム・スターンとのコラボレーションの妙。すでに結果は分かっていることなのに、映像にみなぎるサスペンスに思わず手に汗を握る。まこと、イーストウッドの巧みな演出ぶりにただ脱帽したくなる。
出演者では、俳優の持ち味を大事にするイーストウッド演出のもと、やはりサリーを演じるトム・ハンクスの存在感がすばらしい。市井の善人役を得意にしている彼が、ここでは自らを省みる寡黙なパイロットをさりげなく演じている。もはや若くはない。年輪を重ねた容姿からペーソスが漂い、渋みが際立つ。
さらに副操縦士を演じるアーロン・エッカート、良妻を絵にかいたような妻役のローラ・リニーも、作品をきっちりと支えている。
なによりもこれだけの内容を、なんと96分で描き切った。イーストウッドの力量に圧倒される。まだまだ現役でいてほしい匠である。