初めて気がついたのですが、ローレンスの綴りは“Laurence”で、“Lawrence”という一般的なものではないこと。そしてローレンスというファーストネームを使うように念を押してきます。短くしたラリーという名前を昔は使っていたのですが、今は嫌っていること。
最近は名脇役のステータスを維持して、たくさんの作品に、刑事、麻薬売人の親分、弁護士、などで存在感たっぷりに出てきます。大柄なこと、顔が大きいこと、態度が大きいなどでスクリーンを占拠してしまうのですね。この日は妙にご機嫌が悪かったようで、ほとんどの質問に「あー、うー、分からんね。勝手に考えてくれないか」などとぶっきらぼうなのでした。
もう愛嬌を振りまく年でもないベテランですから、そういう日もあるのでしょうが、それにしても、映画の反則をするためのギャラも別個にもらっているスターなのです。
特にトランプ政権に対して、俳優なりアーティストとして何らかの意見なり、アイデアはありますか、という質問には、顔を硬くして、「そんなことに答える必要はない」って冷たい返事。
目下、わたくしはこの質問を多くのスターに投げかけて、とある雑誌の記事にと集めているのですが、まあ、スターたちの警戒心、距離を置きたいという心情、コメントを勝手に編集されて最初の意味と違って引用されるから困る、といった理由でコメントが取れないのです。
ともかく、ローレンスは早めに会見を終わらせて、そそくさと立ち去ったのでした。
1961年7月30日、ジョージア州のゴルフトーナメントで有名なオーガスタに生まれて、10歳から演技を始め、「地獄の黙示録」(1979)で注目されたのです。このフィリピンロケは数々の事故や事件が発生して、すでにマーティン・シーンや息子のエミリオ・エステベスから信じられないような思い出を聞いてますが、当時17歳だったローレンスもコッポラ監督の憑かれたような仕事ぶりを目の当たりにしたようです。
少年の頃から大作に触れ、風雪を経た大ベテランですから、こういう取りつく島もない態度もたまさか出てくるのでしょう。今年56歳になります。たまにはマスコミうんざりという姿勢もいかにも人間的と理解することにしましょう。
「マトリックス」の頃のツーショットはどこに行ったのでしょうか。いつか出てくることでしょう。
ジョン・ウィック第2章は2017年2月10日全米公開予定。