絶交状態ではなかったセザンヌとゾラを描く
フランスの画家ポール・セザンヌと言えば、知らぬ人のない印象派の巨匠。しかし、晩年まで不遇であった画家でもあります。あの、一見したら「静物画」で済まされてしまいそうな『リンゴの籠のある静物』や『サント・ヴィクトワール山』が、1880年代当時、ポスト印象派として、いかに型にはまらない独自の斬新な描き方であったかということを、『セザンヌと過ごした時間』は明らかにしてくれます。
生まれ故郷の南仏のエクス=アン・プロヴァンスで幼い頃から友人であったのがエミール・ゾラ。彼もまた後に著名な小説家になったことから、セザンヌに注目する時、ゾラの存在も必ずついて廻ります。その友情は、ゾラの書いた『制作』で彼がセザンヌを誹謗し、結果、決裂したことが史実に残されています。その後二人は生涯会うことがなかった、と。
その定説を覆すべく、新たなセザンヌの側面を描こうと取り組んだのがダニエル・トンプソン監督。あのソフィー・マルソー主演の『ラ・ブーム』(80)やイザベル・アジャーニ主演『王妃マルゴ』(94)で脚本家としてのキャリアを誇り、さらに監督となって『ブッシュ・ド・ノエル』(99)を皮切りに多数のフレンチ・コメディのヒット・メーカーとして知られる存在です。そんな彼女が、今回の新作『セザンヌと過ごした時間』では、セザンヌという特異な天才への愛を捧げています。
無名画家セザンヌと成功した小説家ゾラの友情
コメディのジャンルではいつも注目されて来た監督でしたが、実在の画家セザンヌとゾラを映画化しようと長い間調査を重ね、史実に疑問を持つようになっていたところ、2014年にサザビーズで競売された、絶交していたはずのセザンヌがゾラにあてた手紙の存在が明らかとなり、色めき立ったと言います。
「二人は離れられなかったはずという、私の考えの裏づけをもらった思いでした。その瞬間から、自分のイマジネーションが無限に広がったのです」
セザンヌは富豪の家庭に生まれた子息。画家をめざしますが、親からは理解されず、金銭的援助も限られ貧窮な暮らしの中で、それでも独自の作風を生み出すことに情熱を傾けます。落選を繰り返し、画壇入りすることも叶わず、全くの無名時代が続きます。変人とも思われかねない奇行も目立ったとか。監督はその一挙手一投足を巧みに描き、セザンヌを映画に蘇らせます。
「あくまで、歴史的偉人ではない、描くことに憑りつかれた若者としてのセザンヌをめざしました」
一方のゾラは、貧しい家庭に生まれ育つものの、『ナナ』『居酒屋』など小説の世界で成功し、裕福になって行きます。知識人として世間からも尊敬される、成功者としての暮らしを営むように。セザンヌの生活面を助けることもしばしばで、新しい手法のセザンヌの才能を評価し、自らの筆の力で擁護する場があれば、惜しむことなく応援したのです。
フランスを代表する二人のギョームが競演
いわゆる無頼派として知られるセザンヌですが、りんごや山というような「不動」のものにこだわり、「静物画」を「静物画」ではない域にまで描き切る、入魂の一作をめざすのです。それに取り組む姿は常軌を逸するほど。何しろ妻や愛人をモデルにする時、生身の女性の姿に対し「動くな、りんごは動かない」と叱咤し、長時間不動でいることを強いたりするのだから困ったものです。
「そんなセザンヌを演じる俳優を誰にするかが一番の決め手でした。最初はセザンヌにはギョーム・カネを考えていました。ゾラから先に決めようと、ギョーム・ガリエンヌに依頼。そうしたら『僕こそがセザンヌさ!』と、もう凄い熱意で。それで、脚本を読んでもらって、セザンヌ役に決めちゃった(笑)」
恐れながら、監督、キャスティングって、そんな風でいいんでしょうか?
「演りたい人が演るのが一番だということを、私は信じて来たのよ」
と、エレガントに、毅然と。
かくして、ギョーム・カネがゾラに収まり……。いきさつを知っていたにもかかわらず、カネからの文句はまったく出なかったそうで、大人です、カネ! 実在のゾラにも等しく、ふさわしい。ともあれ、フランス映画界を代表する二人のギョームが競演する、フランス二大芸術家の交流と離別、けれども結局は離れられなかった二人が描かれることに。
脚本を思うまま映画にするため監督になる
彼らの故郷、エクス=アン・プロヴァンスは、今なお17世紀から18世紀の姿をそのまま留めている、まるで時間が止まっているかのような場所だとか。そこでの撮影が、本作に輝きを生み美しい映像が得られたと、監督。
「TGV(フランスの新幹線)で駅に着くと、セザンヌ出口とゾラ出口がありますよ(笑)。二人の息吹を今も感じさせる場所でした」
そして、最後の場面で、セザンヌが描いた『サント・ヴィクトワール山』と寸分たがわない、世界遺産となった実際の山がクローズ・アップされるや、大きな感動が突如迫り来るのです。涙が溢れ、とまらない! 静かな進行の中で、セザンヌの絵画作品の色彩にも近い映像と、セザンヌの独自の世界の創造性を目の当たりに出来る、トンプソン監督の脚本・監督の手腕がうかがえます。
最後に、優れた脚本家であったことに留まらず、監督へと進んだそのわけをうかがうと、
「映画監督だった父親の作品の脚本を書き出して、知らないうちに多くの作品を手がけるようになっていましたが、ある時気づいたんです。自分が書いた内容が上手く映画にされていないことに。すべては監督の手の内で、脚本家が監督に指示する権限はないですから。それなら自分の脚本は、自分で監督しなくてはいけないな、と」
こだわって書いた世界を自らの手で映像にする喜びを知ってしまうと、もう後には戻れない、とでも言いたげに監督は静かにほほ笑んでいました。彼女の描くセザンヌ、そしてゾラ、南プロバンスにしばし身を委ねてみれば、きっと心洗われる思いがすることでしょう。
『セザンヌと過ごした時間』
監督・脚本/ダニエル・トンプソン
出演/ギョーム・ガリエンヌ、ギョーム・カネ、アリス・ポル、デボラ・フランソワ、サビーヌ・アゼマほか
2016年/フランス/114分/カラー
配給/セテラ・インターナショナル
9月2日(土)よりBunkamura ル・シネマほか全国順次公開中
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