ドワイヨンとランドンが生み出した、新たなロダン像。来日したドワイヨン監督に制作の秘話の数々をうかがうことが出来、今回は監督の肉声を活かしたスタイルでまとめてみました。ロダンとカミーユの「師弟愛」から発展させて、元夫人であった女優のジェーン・バーキンとの愛についても、じっくりと聞かせていただきました。
本作の邦題タイトルのとおり、ロダンを描くとき、また、カミーユを描くときも、この二人の関係を切り離すことはできないでしょう。88年に公開されているブリューノ・ニュイッテン監督作品『カミーユ・クローデル』が話題になり、高い評価も得た結果、ロダンが愛弟子のカミーユと愛人関係となり、クローデルの才能を盗用した作品を発表し成功、世界的彫刻家として名声を高めたというイメージは多くの知るところとなりました。
しかし、これは事実ではないという信念を持って、ドワイヨン監督が描きたかったロダンは、寡黙で朴訥で一途な芸術家です。愛に不器用でクローデルと妻、二人の女に翻弄される、ピュアな魂を持つ一人の男だったのです。そんな男の生き方を、台詞を最小限にして静謐に描いた本作もまた、芸術的な作品として輝きを放っています。
ヴァンサン・ランドンに台詞はいらない。演じる肉体がロダンにふさわしい。
──ヴァンサン・ランドンさんが、『ティエリー・トグルドーの憂鬱』で来日なさった時にインタビューしまして、気持ちは新作のロダンのことで夢中のご様子が印象的でした。「彫刻の勉強もしているんだ」と、嬉しそうに語られていたので完成が楽しみでした。
「脚本を書いている段階から、ロダンは彼に決めていました。初めてヴァンサンに会ったのは1989年、セットという南仏の町で。アニエス・ヴァルダと彼がいて、私はそこで『ピストルと少年』を撮っており、ヴァンサンは違う映画の撮影で来ていたんです。そこで知り合い、今から10年程前に彼を主演にした映画を計画したのですが、結局資金が集まらず実現しませんでした。
その後カフェで偶然会ったり、仕事や道すがらすれ違ったりするたび、何かヴァンサンに出演してもらいたいと願っていたんです。
本作で彼を選んだ理由は、彼が『言葉』の俳優ではなく、『身体』で表現する『沈黙』の俳優だからなんです。ヴァンサン自身も本作では、もっと台詞を少なくして欲しいと言っていたくらいです。寡黙な俳優の中でも、ヴァンサンが最も実在のロダンに近いと思えました。適任でした」
──ロダン没後100年記念の映画制作で、いよいよランドンと仕事が出来ることになったというわけですね?
「それが最初は、没後100周年に際してロダンについてのドキュメンタリーを撮らないかと、あるプロデューサーに言われまして。ところが、ロダンについてシナリオを書き始めたら、フィクションのシーンが書けてしまい、最初の注文はお断りしました(笑)。そして、出来たシナリオをヴァンサンが読んで受け入れてくれ、なんと配給会社やプロデューサーを見つけてきてくれたんですよ。
私はパリから200キロ程離れた所、ノルマンディで野蛮人のように暮らしていましたからね(笑)、パリで顔の広いヴァンサンに全てお任せしました。
彼にとってロダンという彫刻家は特別な存在だったようで、俳優としてだけではなく資金集めにも並々ならない情熱を注いでくれたんです」
映画『カミーユ・クローデル』で評判が悪くなったロダンを描くこととは
──ロダンといえば、だいぶ前になりますがイザベル・アジャーニが出資までして主演し、アカデミー賞ノミネート、ベルリン映画祭やセザール賞でも受賞という成果を出した『カミーユ・クローデル』が日本でも大ヒットし、その作品ではロダンはジェラール・ドパルデューでして、未だそのイメージが強いのですが、監督はこの作品を意識されましたか?
「もちろん、当時観ています。おかげでひとつ幸運だったことがあります。映画では、ロダンはものすごい悪人で、カミーユの才能を吸い取ってしまい、そのせいで、カミーユは精神を病んでしまうと描かれました。この「巨大な嘘」が流布され、以後ロダンについての映画を作ろうと思う人は、一人もいなくなったのです(笑)。資金集めの際も、『ロダン?あの悪人ですか?』と断られることもあったのですが、競争相手が全くいないということで、ずいぶん有利に働いてくれました。
ロダン美術館が100周年に際して、グラン・パレで大きな回顧展を開いた時などは、文化省から助成を得ていたでしょうが、全くその類の援助は受けていないですね。本作を作るにあたり、ロダン関係の書籍を30冊以上読みましたが、『カミーユ・クローデル』を観直すことはしませんでした」
──東京では、奇しくも同じ劇場での公開となり、以前の作品を観た観客にとっては、ロダンの真実を知ることが出来る、興味深い映画作品の公開となるわけです……。
「あの作品がヒットした理由は、明白です。メロドラマであり、女性の視点に立っていて、素晴らしい才能を持った女性を、ひどい男が踏みつける話だから、誰にとっても面白い(笑)。カミーユ・クローデルは才能があって、19歳の時にロダンに弟子入りし、ロダンは当時もう40歳ですでに巨匠の域でした。若い才能を盗んで、自分の作品を作るという必要もないでしょう。彼女を天才だとロダンが言ったのは、彼女に「恋」をしていたからなんです。
唯一、あの作品の良いところは、ロダンに愛を受けた才能ある女性の彫刻家の存在に光をあてたということ。また、ロダンとカミーユ・クローデルの関係を考えると、二人は確かに師弟愛で結ばれ、10年間一緒に仕事をし、愛し合うという関係は注目すべきことです。ロダンは遺言で、「ロダン美術館ができるのであれば、その一室をカミーユ・クローデルの展示室にするように」とまで言っているのですからね。
しかし、私の作品は、より強い、真実のロダンを描きたいという真面目な作品で、多くの動員や多くの受賞を狙う野心で作る作品とは無縁です。成功は納めないでしょう(笑)」
ドワイヨン監督と元夫人ジェーン・バーキンの絆は、師弟愛だったのか?
──師弟愛を越え、愛を独占し得なかったクローデルが芸術に邁進することも忘れ、自分を見失っていく愚かさや哀れが、本作ではリベラルに描かれていました。この機会に、臆せずお伺いしたいのですが、その師弟愛という点で、ドワイヨン監督も、夫人であったジェーン・バーキンさんと結ばれていたと考えてよろしいのでしょうか?
「彼女は私と一緒にいた当時には、既にかなりの映画に出ており、娯楽映画に出ていた彼女の方が有名でしたから、街でサインを求められるのは彼女でして、私は知られていない存在(笑)。私はなるべくテレビに出ないようにしていましたし、映画作家としても目立ちませんでしたからね。私達は二人で一緒にいるところを見られないようにしよう、と1、2年間は二人で出かけないようにしていました(笑)。
つまり、彼女は映画作家としての私の弟子ではありません。言うなら、3本作った私の作品で、彼女にドラマチックで悲劇的な役をさせ、それがきっかけでゴダールやリヴェットの映画に彼女が出演するようになっていった、という点では、私の功績はあるかも知れません。
別れた後、お互い別のところに住み、別の人と恋愛をし、何につけ関係がなくなりましたが、重要なことは、私の愛すべき大切な子供を彼女が作ってくれたということです」
──その愛を何と呼ぶべきでしょうか?
「(呼び名はないが)私達の恋愛を測ることができたなら、それはいつもとても強く、熱烈なものでした。ですが、それほどの強さをもってしても、別れは避けられませんでした」
と、そんな想いまでお聞かせ下さったドワイヨン監督。素敵なお答えばかりで、嬉しい限りでした。まだまだ誌面では書き切れないほどの誠意ある情熱的な語りが続きました。
悪評高い?ロダンの汚名挽回に、演じるヴァンサン・ランドンとタッグを組んでの挑戦、必ず成功されることでしょう。
11月11日(土)より、新宿ピカデリー、Bunkamuraル・シネマ他全国ロードショー
監督 ジャック・ドワイヨン
出演 ヴァンサン・ランドン、イジア・イジュラン、セヴリーヌ・カネル他
配給 松竹=コムストック・グループ
2017/フランス/120分/カラー
©Les Films de Lendemain / Shanna Besson