迷ってしまうことが多いかも。そんなときはぜひこのコーナーを参考に。スクリーン編集部が
“最高品質”の映画を厳選し、今見るべき一本をオススメします。今月の映画はクリス・エヴァンズ主演の感動作「gifted/ギフテッド」です。
今月のオススメの1本
「gifted/ギフテッド」
生まれながらに数学の天才児だった少女と、その育て方をめぐって対立する祖母と叔父の姿を通して、本当の幸せとは何かを問いかける感動作。「アメイジング・スパイダーマン」シリーズを手がけたマーク・ウェブ監督が、自身の原点であるヒューマンドラマに回帰。主演を務めるのはマーベル・ヒーロー“キャプテン・アメリカ”役でおなじみのクリス・エヴァンズ。少女役には天才少女子役として話題のマッケナ・グレース。
編集部レビュー
大好きな人の笑顔があればそれでいい
持って生まれた天才のことを「ギフテッド」と言う。神から特別な才能を「贈られた者」。だから、その力は世界のために役立てなければならない。例えばその子が将来、ガンやエイズの特効薬を発明できる天才だというのに、フツーの学校に行かせてフツーの人間にしちゃったらそれは「罪悪」だと。日本人には今一つ馴染みのない考え方だけど、これ映画のキーワード。
でも主人公は、彼女に小学生らしい感情や友情を育んで欲しいと、フツーの学校に行かせる。その決断、正しいの?と聞かれた主人公が「自信ない」と答えるシーンに共感した。そう、親だって本当はおっかなびっくりなんだよ。正しいことをしているつもりで、実は相手を傷つけていたりする。そして進むべき方向を見失った時、道標になるのは愛する人の笑顔。子供でも家族でも恋人でもいい。その笑顔を見たくて人は頑張るんだね。
愛とは何かと問われたら見せたい一本
天才児の姪っ子と、それを男手ひとつで育てる叔父という設定に「I am Sam/アイ・アム・サム」を思い出した。あの映画が大好きな(僕のような)人にとってはたまらない作品だと思う。当時ダコタ・ファニングの登場は衝撃的だったけれど、本作で少女役を演じるマッケナ・グレースもそれに負けない愛らしさ。弱冠11歳にして、SNSのフォロワーが42万人もいるというから恐るべし。
とはいえ、これがただのチャーミングな映画で終わっていないのは、「(500)日のサマー」のマーク・ウェブ監督らしい、じんわり心を温めてくれるキメこまやかな心理描写のおかげ。大人たちの事情に振り回され、私なんて生まれない方が良かったと自暴自棄になる少女と、そんな彼女にある方法で“愛”とは何かを教える叔父(クリス・エヴァンズ名演!)。胸が熱くなる名シーンでした。
叔父と姪っていうより、もはや恋人同士!?
神様から与えられたような特別な才能を持っている子供をギフテッドと呼び、そういった才能をもっと伸ばすために特別な学校に通わせるギフテッド教育なるものがあることを初めてこの映画で知りました。ネーミングセンスが相変わらずかっこいいな、アメリカは…と思いつつ、そんな優れた才能を持っているメアリー(マッケナちゃん)の可愛さと賢さに序盤から引き込まれていきます。
もうすでに女としての術も心得ているのか、叔父さん(クリエヴァ)の膝の上に乗って甘える姿は、姪というよりもはや恋人同士のよう。クリエヴァもそんな愛らしい存在のメアリーと離れることはできないと本心を打ち明けるシーンには思わず胸キュン♥叔父と姪って親子とはまた違った関係性があるのかしら…と、変な想像しましたが、決してそういう映画ではありません!感動必至です!
等身大のキャップに胸キュン♥
最近は「キャプテン・アメリカ」のイメージが強いクリス・エヴァンズですが、本作ではいつものスーパーヒーローではなく、メアリーを想って“普通の教育”を受けさせたいと望む心優しい叔父さん(普通の青年)という役どころ。女性関係にちょっぴりヤンチャな所もあるフランクですが、至る所にメアリーへの愛情が溢れており、メアリーにとっては何が正しいのか迷いながらも、自分の考えを曲げません。そんなフランクというキャラクターに説得力を持たせられるのは、クリス・エヴァンズならでは。彼自身に誠実さ、清潔さ、信念を貫く、といったイメージがあるからこそ、と感じました。
ちなみに一番のお気に入りのシーンは、メアリーがフランクのお腹の上に座って軽く跳ねながら歌う場面。あれをされてもびくともしないのは、さすがキャップの腹筋ですね!
マッケナ・グレースという稀有な存在に感謝
考えるべきは、英才教育を施すべきかどうかではなく、英才教育するとしてその環境をどのようにすべきかだ。そこを曖昧にしてこの映画は語れない。マッケナ・グレース演じるメアリーはすでにその才能を開花させている。だからこそ通学し始めた小学校で問題が起きるのだ。叔父フランクも、メアリーの才能を押さえつけようとしているわけではない。才能は伸ばしてやりたいと思っているのだ。
肉親の愛情、隣人の親切、そういった環境があれば、普通の子供とは違う教育を受けてもメアリーは伸びていけるだろう。自分の個性を押し殺すことなく。それがメアリーにとってもフランクにとっても、一番望ましい方向性だろう。
そして、その物語を観客に実感させることができたのは、マッケナという稀有な存在がいたからだ。彼女がいなければこの映画はこれほどの魅力を持たなかっただろう。
ただの“子供映画”の枠に収まらない
天才少女とその叔父の感動ドラマと言うだけでなく、そこに少女の祖母=叔父の母を絡ませた描写が興味深かった。しかも彼女は叔父の姉=自身の娘を、もしかしたら死に追いやったかもしれない存在。それでもなお孫娘を数学漬けにしようとする冷酷さを発揮しつつ、どこか憎み切れない人間臭さも併せ持つ。あえて自分の息子と裁判までして親権を争い、何としても亡き娘の成し遂げえなかった“偉業”を達成しようとするエゴの塊なのに、『悪気はない』というスタンスを崩さない。
この我々の常識では計り知れない登場人物がいることで、ただ“子供映画”の枠に収まらず、アメリカの偏った天才児育成事情、親権に関するままならない現実なども垣間見せ、「クレイマー、クレイマー」や「I am Sam/アイ・アム・サム」に連なる問題作になりえている。