長年イタリアで映画を撮ることを夢見ていたナデリ監督が、遂に今作でイタリアでのオールロケを敢行。ミケランジェロやアントニオの彫刻に影響を受けたと語り、孤立無援のなか肉体を過剰に酷使する男の限界突破を美しく描き出した。また、敬愛する黒澤明作品のようなダイナミックなカメラワークと音響で表現された山々と人物の喜怒哀楽は、見る者の心を大きく揺さぶる。第73回ヴェネツィア国際映画祭「監督・ばんざい!賞」を受賞し、昨年度の東京フィルメックスでも回顧上映が特集されるなど、各国で注目を集めた『山〈モンテ〉』。
今作のプロモーションで昨年来日したアミール・ナデリ監督の単独インタビューが実現。
15年かかったという撮影までの道のりや、親日家として知られる監督が今作の編集を都内で行った話、また影響を受けた日本の名作なども語ってくれた。
【ストーリー】
中世後期イタリア。南アルプスの山の麓にある小さな村の外れで暮らすアゴスティーノと妻のニーナ、息子のジョヴァンニ。この村は壁のようにそびえる壮大な山に太陽の光を遮られており、思うように作物を育てることができずにいる。他の家族はよりよい暮らしを求めて去っていった。しかし、アゴスティーノとニーナは彼らの説得にも応じず、先祖の墓や亡き娘の墓があるこの地を離れようとはしなかった。飢えた家族となんとか生き延びるため、アゴスティーノはあらゆる手を尽くすが、周囲の村の者達からは異端者として差別され、遂にはそこに暮らすことさえも禁止されて家族は離れ離れになってしまう。神や自然、人間からも見棄てられたアゴスティーノは、たった一人で忌まわしき山と対峙する―。
京都で脚本を書いたこの映画には日本の魂が入っている
ーー今作の物語は15年前に既に監督の頭の中にあったそうですが、映画化するにあたりここまで時間がかかったのは何故でしょうか?
「まず、ひとつのアイデアが頭に浮かんできても、それを無理して映画化しようとは考えないんです。それはどの作品もそうで、自然に撮れる環境が整うのを待つようにしています。何故かというと、わたしは仕事として映画を撮るのではなく、自分が物語に対して投げかけた質問の答えになるのが映画だからです。それから黒澤明監督の作品のようなものを撮りたいと常々思っていたので、最初は西島秀俊(ナデリ監督の『CUT』で主演を務めている)さん主演で日本で撮りたかったんです。ところが肝心な“山”が日本にはなかった(笑)」
ーー監督のイメージに合う山がなかったということでしょうか?
「叩くと音が反響する山をイメージしていて、その音がこの映画の音楽を作るうえで非常に重要な要素だったんです。それで固い岩でできた山を探していたんですけど見つからなかった。そこで大理石から彫刻を彫り上げたミケランジェロを思い出して、日本で見つからないならイタリアで撮ればよいのではないかと思い直しました。脚本は京都で書いたので日本の魂が入っていますし、イタリアで撮っても日本の魂は無くならないはずだという自信もありました。イタリアでイメージに合う山を見つけて、そこは人の所有物ではあったんですけど許可を得て撮影することができました。セットではなく本物の山で撮影がしたかったので苦労しましたが、15年かけて良かったと思っています」
ーー何故“山”と人間が対峙する物語を書こうと思ったのですか?
「『駆ける少年』(86年)では火をイメージしていて、『水、風、砂』(89年)ではタイトルそのままのイメージ、それなら次は山だなと思って、そこから物語を書いていきました。『駆ける少年』と『CUT』(11年)と『山〈モンテ〉』は三部作になっていて、『駆ける少年』よりも『CUT』、『CUT』よりも『山〈モンテ〉』と、どんどん人間が辛い試練に立ち向かう映画になっていますよね(笑)。今作は現場も非常に過酷でしたが、スタッフもキャストもみんな自分の答えを見つけようという気持ちで一丸となって仕事をしてくれました」
ーーちなみに山は本当に叩いていたのでしょうか?
「本当に叩いていました。撮影の最後の一週間はアゴスティーノ役のアンドレアの手がほとんど動かなくなって、撮影が終わってからもしばらく手から山の匂いが消えなかったそうです。本当は山を叩くシーンだけ他の人に吹き替えて手元のインサートを撮ろうと思ったんですけど、アンドレアが“それは絶対にダメです”と言ったんです。彼が山を叩く姿はまるで自分自身と戦っているようでしたし、自分の限界を試したいという気持ちで挑んでいたようです」
ーーアゴスティーノが一心不乱に山を叩くシーンは息をするのを忘れてしまうほど圧倒されましたし、映画を観終わったあとしばらく椅子から立ち上がれなかったです。
「撮影中のエピソードとして覚えているのが、夜になると山がわめき声を上げている気がして、それは山が怒っているのか痛がっているのかわかりませんが、私は我を忘れてずっと山に向かって謝っていたんです(笑)。それってなんだか日本的な考えだと思いませんか?(笑)。スタッフも最初は私のことをおかしくなったかと思ったみたいですが、そのうち見慣れていったみたいです。それと、あなたが観終わったあとに立てなくなったのは映像の力ではなく、この映画から何か答えを貰って、それを自分の中で解決しようとしたからかもしれないですね」
ーーそうかもしれませんね。それが何かはまだ自分ではわからないのですが。
「もしかしたら日本で脚本を書いたことも影響しているかもしれません。今作が日本で公開されることは、まるで自分の子供を海外留学をさせて戻ってきたような感覚でもあるというか。脚本だけじゃなく、イタリアでの撮影を終えてすぐに東京に戻ってきて、西荻窪でずっと編集作業をしていたんです。何故かというとイタリア語を耳に入れたくなかったのと、日本だとより内向的になれるからです」
ーー西荻窪で今作の編集をされていたとは驚きです!! 今作の他にも日本で脚本を書いた作品はありますか?
「アメリカで撮った新作『マジック・ランタン』(2018年の第19回東京フィルメックスにて上映)を含めて4本ほど日本で脚本を書いています。日本はイランの文化に近いと思っていて、不思議と祖国にいるような感じがするんです。今はアメリカに住んでいますが、体はアメリカで心は日本にあると思っています」
ーー昨年、東京国際映画祭でナデリ監督のワークショップを拝見したのですが、参加者に日本の名作の話を熱意を込めてお話されていたのが印象的でした。
「現代の役者を目指す若者達は純粋すぎるが故に簡単に海外のものを模写してしまうんです。私は日本映画の黄金時代の名作から色んなものを学んできましたが、彼らはそれらの作品がすぐ側にあって字幕も必要ないのに不思議と海外の映画ばかり観ているんです。それは決して悪いことではありませんが、私からしたら一体そこから何を学べるのかという疑問が浮かびます。黄金時代の日本の名作は映画業界を目指す人にとってとても大切で、全世界の宝だと思います。黒澤明さん、市川崑さん、溝口健二さん、小林正樹さんなどの巨匠達は日本の文化や芸術、美術を上手く使って全部自分のものにして映画を撮っているんです。それが今の日本映画にはなくなっているような気がして。それから、イタリア人はずっとしゃべっているので“間”というのが存在しません。ですが日本だと会話しているときなど独特の“間”というものがありますよね。日本で映画を撮るならば“間”を大事にして欲しいなと思います」
ーー監督は幼い頃から色んな国の映画を観て育ったのでしょうか?
「幼い頃から様々な国の映画を観て育ちました。というのも、イランは石油が売れるので、そのお金を映画や芸術にかけられるから今も昔も文化的に豊かなんです。『CUT』の中で100本の映画を引用していますが、その中に入っている溝口健二監督の『雨月物語』(53年)、黒澤明監督の『蜘蛛巣城』(57年)、小津安二郎監督の『晩春』(49年)からは非常に大きな影響を受けています。この3作品は映画業界を目指す人達に是非見て頂きたいです」
ーーナデリ監督から日本、そして日本の名作への愛がひしひしと伝わってきますが、いつか日本でまた映画を撮りたいというお気持ちは?
「もちろんあります! 次は日本で撮りたと考えています。実は日本にいる間はドトールで脚本を書いているんです(笑)。そう言えばドトールで紅茶を注文するとティーバックを置く青い紙がついてきますよね。それをメモ変わりに使ったりするので全部とってあるんです。千個以上はあると思いますよ(笑)」
ーーそのうちドトールが舞台の映画の脚本も完成しそうですね(笑)
「ドトールが出資してくれるなら書きましょうか(笑)。そのせいで紅茶の料金が値上がりしてしまうかもしれませんが(笑)」
(インタビュアー・文/奥村百恵)
『山〈モンテ〉』
2019年2月9日(土)よりアップリンク吉祥寺にて公開!以降全国順次公開!
監督・脚本・編集・音響:アミール・ナデリ
製作:カルロ・ヒンターマン/ジェラルド・パニチ/リノ・シアレッタ/エリック・ニアリ
撮影:ロベルト・ チマッティ
美術:ダニエレ・フラベッティ
衣装:モニカ・トラッポリーニ
装飾:ララ・シキック
録音:ジャンフランコ・トルトラ
出演:アンドレア・サルトレッティ、クラウディア・ポテンツァ、
ザッカーリア・ザンゲッリーニ、ジョヴァンニ、
セバスティアン・エイサス、アンナ・ボ ナイウート
配給:ニコニコフィルム
© 2016 Citrullo International, Zivago Media, Cineric, Ciné-sud Promotion. Licensed by TVCO. All rights reserved.