出会った頃のキティは一着しか服を持っていなかったんです
私がデザイナーとして初めてキティと出会ったのは1980年のこと。あの頃キティは、オーバーオール1着しかお洋服を持っていなくて、女の子なのにお洒落もできないなんて可哀そう!と思ったものです。そんな彼女にもっとカワイイ服を着させてあげたい! お洒落なワンピースをたくさん着させてあげたい! みんなが憧れるような服をたくさん作りたい! そこから色んなデザインを考えて、キティのお洋服をどんどん作っていきました。
初めはキティよりキキ&ララの方が人気が上
初めてキティと出会った頃サンリオでは、キキ&ララ(リトルツインスターズ)のほうが人気が上で、だから、なんとかキティを人気ものにしたくて、目標はキティがサンリオで一番のキャラクターになることでした。でも、その頃のキティは話しかけても全然応えてくれない…。毎日毎日、話しかけても何も返してくれないんです。夢もよく見ました。夢のなかですらキティはしゃべってくれませんでした。
キティが私に初めて語りかけてくれたのは、それから5年後のこと。1985年、ハローキティはサンリオで一番のキャラクターになりました。ずっと掲げていた目標が達成されたとき、「お姉さん、良かったね」って言ってくれたんです。誰も言ってくれない言葉を、キティだけが言ってくれた。すごく嬉しかったことを覚えています。キティもきっとその頃、私のことを友だちと感じるようになったのだと思います。
今では仕事がいっぱいで話しかけると怒られそう(笑)
今では友だちというより、芸能事務所の社長とタレントさんという感じです。キティは事務所で一番の売れっ子。私は社長だから、ほかのキャラクターのことも考えます。今はキティにはほとんど話しかけていません。仕事がいっぱいで話しかけると文句を言われそうだし(笑)、もしかしたら、「どうしてあの仕事をマイメロディちゃんに振ったの!」なんて怒られそう。自宅にもキティグッズは寝ているぬいぐるみしかありません。寝てるとしゃべらなくて安心なんです。(笑)。
山口裕子PROFILE
Yuko Yamaguchi
1980年にハローキティの3代目デザイナー就任。85年には、ハローキティをサンリオでトップセールスを誇るキャラクターに育てあげ、さらに90年代にはマライア・キャリー、パリス・ヒルトンなど海外セレブにも愛される世界的大ヒットキャラクターへと進化させる。㈱サンリオのディレクター&ゼネラルマネージャー。高知県高知市出身。
現在発売中の【訪日外国人向け新カルチャーマガジン Amazing!Japan】(全ての記事に英文和文併記)では、山口さんが何故キティはロンドン生まれかなどインタビューで魅力を語ります。
その他キティの45年ヒストリカルデザインを一挙公開。オープンした「サンリオギフトゲート浅草店」の紹介と限定グッズなど、知られざるハローキティを大特集!ぜひご覧ください。