今日の映画界の礎にはレッドフォードの存在がある
「明日に向って撃て!」「スティング」など数々の名作に出演し、半世紀以上にわたって役者・映画製作者として名声を確立してきたロバート・レッドフォード。彼が俳優として引退を表明した「さらば愛しきアウトロー」のBluray&DVDが1月22日よりリリースされる。これを機に〝生きる伝説〞といわれる名優がたどった軌跡をSCREENの誌面とともに振り返ってみよう。
「明日に向って撃て!」で一躍世界のトップ俳優に
レッドフォードがグラビアページに登場し始めたのは「明日に向って撃て!」で大ブレークした70年代初頭。当時 33歳。下積み時代も長い、遅咲きのスターだった。
(1970年4月号/ 1970年11月号)
レッドフォードがSCREEN誌面に頻繁に登場するようになったのは「明日に向って撃て!」が日本公開された1970年頃から。公開当時は気鋭の若手俳優くらいの存在だったものの、映画の大ヒットとともに〝理想の美男子〞として世界的な人気を集め、毎号のように巻頭カラーページに掲載されるようになった。「大統領の陰謀」公開後の1977年のSCREEN読者選出では人気ナンバーワン俳優の座を獲得。
SCREEN読者が選ぶ人気俳優BEST1を獲得
70年代にヒット作を連発したレッドフォードは、1977年の読者人気投票で初の1位を獲得!当時は「大統領の陰謀」などの公開後 。2位はクリント・イーストウッドだった。(1977年5月号)
1984年には「ナチュラル」のキャンペーンで初来日も実現し、日本でも一大フィーバーを巻き起こした。しかし彼が〝生きる伝説〞と呼ばれる最大の理由は、彼が役者としてだけでなく製作者としても極めて大きな成功を収めたことにある。
初監督作品でいきなりアカデミー賞監督に
初監督した「普通の人々」でアカデミー監督賞を受賞。役者と製作の両方で成功した初の大スターに。髪をかきあげ照れながら『ありがとう』を連発したという受賞の模様が記事に。(1981年6月号)
初めてメガホンを取った1980年の「普通の人々」では、処女作にしてアカデミー監督賞を受賞。そして翌年にはサンダンス・インスティテュートを立ちあげた。若手映画監督の登竜門となったサンダンス映画祭は、のちにコーエン兄弟、クェンティン・タランティーノ、デミアン・チャゼルら多くの有名監督を輩出することになる。今日の映画界の礎にはレッドフォードの存在があるのだ。
新人監督の登竜門“サンダンス映画祭”を主催
80年代にサンダンス映画祭を自ら設立したレッドフォード。ここから多くの有望監督が輩出されたのはご存知の通り。「明日に向って撃て!」の役名にちなんで名づけられた。(1982年2月号)
待望の初来日で日本のファンも魅了
来日をしていない最後の大物スターといわれていたが、「ナチュラル」のPRで待望の初来日。誕生日を家で家族と過ごすため、わずか二日だけの貴重な日本滞在となった。(1984年11月号)
ブラッド・ピットとの“最強W美男”が話題に
まるで親子のように瓜二つといわれるブラッド・ピットとレッドフォードのW美男子共演が「スパイ・ゲーム」で実現。ピットは『実生活でも常に師と仰ぐ人』とコメント。(2002年2月号)
「アベンジャーズ」シリーズにも出演
破格のメガヒットを連発する“アベンジャーズ”ファミリーの一員でもあるレッドフォード。シールド高官として「エンドゲーム」にもカメオ出演し、世界歴代興行収入1位に貢献。(2014年6月号)
引退作「さらば愛しきアウトロー」で有終の美
俳優として引退を表明した「さらば愛しきアウトロー」の公開時には特集記事を展開。『心は30歳でも体は80歳の現実を受け入れないと』という本人のコメントを紹介。(2019年8月号)
俳優引退作となった「さらば愛しきアウトロー」もまたサンダンス映画祭でレッドフォードに才能を見出されたデヴィッド・ロウリー監督の作品だ。誰ひとり傷つけないという紳士的な犯行を繰り返した銀行強盗犯フォレスト・タッカーの実話の映画化で、愛すべき〝アウトロー〞を演じてきたレッドフォードの役者人生の集大成を感じさせる作品となった。本作を最後に、レッドフォードは俳優業からの引退を表明。引退の理由については『もうやりつくしたという気分』と語っている。
ロバート・レッドフォード、83歳。1970年代から約半世紀、第一線で活躍する〝現役〞として誌面を飾り続けているスターは他にほとんど例がない。この先も彼のような存在は出てこないだろう。そういう意味でもまた彼は〝生きる伝説〞なのである。