★リヴァー・フェニックス/ジョニー・デップ メモリアル・アイテム <THE VIPER ROOM>グリーン・ルーム:ナンバー・プレート【③】
1993年10月30日夜、ジョニー・デップがギタリストとして参加するバンド「P」の演奏を鑑賞するために、ナイトクラブ「THE VIPER ROOM/ザ・ヴァイパー・ルーム」(カリフォルニア州ウェスト・ハリウッド)を弟のホアキン・フェニックス、恋人のサマンサ・マシスらと訪れていたリヴァー・フェニックスは、薬物の過剰摂取が原因による心不全で日付が変わった10月31日に23歳の若さで急逝。現場には、死亡当日の早朝から、友人、知人、ファンらが多数訪れ、献花と共に追悼のメッセージを寄せた。
その後、リヴァー・フェニックスの遺体は火葬され、遺灰はフロリダで空中散布されたために墓所が存在せず、「THE VIPER ROOM」は、今も彼を偲ぶ多くの熱烈なファンが巡礼する思い出の地となっている。
1993年当時の「THE VIPER ROOM」は、ジョニー・デップが共同経営者の一人として名を連ねており、ルーム・ナンバー【③】はジョニーの控え室(グリーン・ルーム)として使用されていた。ここには、親交の深かったリヴァー・フェニックスも何度か訪れていたものと推測される。
このシンボリックなプレートは、厚みのある大きなボードを彫刻・加工・塗装して仕上げたもので、ルーム・ナンバー【③】のエントランスドアに固定されていたが、2004年5月、ジョニー・デップが「THE VIPER ROOM」の経営から退くことになり、その記念のギフトとしてジョニーへ贈呈される予定となっていた。 しかし、前年の「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」(2003年夏公開)の大ヒットから、公私ともに多忙を極めていたジョニーが、このメッセージと日付(裏面に記載)が書かれた記念品を受け取る機会はなく、その後、縁あってSCREEN Collectionsに譲渡・保管されることとなった。