たった5日間で撮影した最初の長編『ファミリー・ネスト』
上映時間7時間18分の長尺『サタンタンゴ』(94)が製作から25年を経て日本初公開され、大きな反響を呼ぶなど、『ニーチェの馬』(11)を最後に56歳で映画監督を引退しながらもなお支持者を獲得し続けているハンガリーのタル・ベーラ監督。
唯一無二の映画作家といわれる彼の『サタンタンゴ』以前の足跡をたどる3作品(77年の長編デビュー作『ファミリー・ネスト』、81年作で珍しくカラー作品『アウトサイダー』、88年作で独自のスタイルを確立させた『ダムネーション/天罰』)を4Kデジタル・レストア版で一挙に上映する「タル・ベーラ 伝説前夜」がいよいよ1月29日より開催となるが、これを前にタル・ベーラ本人が日本のマスコミのインタビューに応えてくれた。
──45年前に製作された『ファミリー・ネスト』が今初めて日本で紹介されますが、どのような感慨がありますか。
タル・ベーラ(以下TB)『その時私は22歳で、たった5日間で撮影したんだ。当時は心の中が怒りで満ちていた。社会を憎み、人々が置かれている状況に怒っていた。そんな怒りのままにお金もなく、映画の作り方もよくわからないのに、とにかく社会に対してパンチを食わすような映画にしたかった。シネマが大好きだったんでね。みんなに人々の本当の生活がどんなものか見てもらいたいという一心だったが、製作に制限がなくて、シンプルな重みがあったと思う』
──社会に置き去りにされているような女性が主人公ですが、このころすでに現在で言うところの“ジェンダー・ギャップ”を扱うという意識などもあったのでしょうか。
TB『もともと、“穴蔵”のようなところに住んでいたファミリーが、不法占拠ということで警官に追い出されたことに怒りを覚えて映画にしたんだ。世の中にはこういうことも起きているというフィクションの形にしたけどね。この物語を描く中で、強い女性が主人公だったので、こういう話になったんだ。主人公を演じた(ラーツ)イレンとは友人になった。彼女は「ヴェルクマイスター・ハーモニー」(00)にも出ているよ。俳優とは信頼関係を結ばなくてはいけない。繋がりがある者同士がお互いに成長していけるのは美しいことだ。この映画がマンハイム映画祭などで受賞して成功した。私も映画作家として認められることになった。でも次の映画を作るために資格が必要になったので、この後で映画学校に通ったんだ』
──この映画で驚かされるのは、レイプされた女性がその後で加害者と何もなかったようにふるまっているシーンがあることです。これはどういう意図で描いたのでしょうか。
TB『マンハイムで上映した時、フェミニスト団体がこんなことはあり得ないと抗議してきたよ。レイプされた女性が加害者とこんなことができるだろうかと。でも起きてしまったことを彼女はどうすることもできない。冷酷だが、人生のロジックとして見せたかった。またこのシーンの後にもう一つ重要なシーンがある。加害者の一人と彼の妻が抱擁しあうところだ。ここでは彼らがいかに愛し合っているかがわかる。これもまた人生というわけだ』
──その次の『アウトサイダー』では現代にも通じる普遍的なものが描かれていますね。ご自身の作品を今になって見返してみることはありますか。
TB『実は自分の映画があまり好きではないのでね(笑)。でも見直さなくても撮影した時のことは全部覚えているよ。「ファミリー・ネスト」ではドラマをやったので、「アウトサイダー」では違うことにチャレンジしたかった。前にやったやり方を新しい作品にもあてはめることはできない。常に前に進んでいかなければ。私は小説が好きなので、今度は小説のように常に浮遊している感覚の作品にするのが面白そうだと思った。あの映画の主人公たちとはある小さな町で出会って、自然とこういうヒッピー的なやり方が浮かんできた。私は当時25,6歳くらいで同じ世代に向けて発信したかったんだ』
『ダムネーション/天罰』の作風には日本での出来事が影響している
──『ダムネーション/天罰』はずっと雨が降っているシーンですね。『ニーチェの馬』ではずっと風が吹いていて、その時は人工のマシンを使って風を吹かせたとおっしゃっていたようですが、これも雨の降るマシンを使ったのでしょうか。またこの映画では野犬が出てくるシーンがありますが、それは特別なドッグトレーナーを使ったのでしょうか。
TB『雨のシーンではレインマシン(雨を降らせる機械)を使ったよ。それとあの犬は本当はレックスというんだが、私は自然や動物のシーンを掘り下げていくのが好きでね。動物は共演する俳優と一緒にずっと遊ばせておくんだ。動物は遊ぶのが好きだからそれによって絆ができるようにね。「サタンタンゴ」の猫と少女のシーンもそうだ』
と語った監督は、なぜ自分の映画に自然や動物のそういうシーンを入れるようになったかの原因の一つに、最初の来日があると語りだした。
TB『私の初期の作品とその後の作品の大きな違いの一つは、最初は先ほども言ったように、目の前にある怒りを映像化して世界を変えてやるという意識が働いていた。だがその後、一歩前に進んで、宇宙と人間世界の関りを深く掘り下げていくようになっていく。その原因の一つが1984年に最初に日本に行ったときの出来事にある。「ダムネーション/天罰」はその時の考えよって作ったものだ。まず9時間もある能の舞台を見たのだが、演者が舞台の端から端までゆっくり横切るのを30分もかけて見せられたのだが、その演出方法が見ているうちにそれがだんだん理解できるようになった。それから名前は失念したが90歳くらいの教授にあるミュージアムに連れていかれ、そこで白い紙に二つの黒い点が打たれた大きな絵画のようなものを見せられた。教授が言うには私ら西洋人はこの黒い点を見るが、教授(東洋人)はその背景の白い空間を見る、と言われ、それはとても合点のいくものだった。帰りの飛行機の中で私は自分が愚かだったと気が付いた。なぜもっと白い部分に目を向けなかったのかと。映画のストーリーばかりを見るのではなく、その背景にあるものを描くべきだと。起きていることそのものを描くべきと考えたんだ』
こうして『ダムネーション/天罰』でその後に続くタル・ベーラ・スタイルが確立したのだ。
──『ファミリー・ネスト』は5日で撮影したということですが、『ダムネーション/天罰』はどのくらいかかったのですか。撮影期間が少ないせいか前者はアップの映像が多く、後者は逆にロングショットが多いですよね。
TB『はっきり覚えていないが、30日くらいかと思う。長い間、映画を作ってきたが、最初の「ファミリー・ネスト」と最後の「ニーチェの馬」の間にも共通点はあるよ。たとえば長回しのテイクや、長いモノローグなど、同じ技術を使って製作していたところもあるが、意識的に最初は社会に対して「ファック!」という気持ちで作っていたのが、だんだんそれだけではないと気づき始めた。社会的な問題だけでなく、存在論的な考えに移っていったんだ。世界をより理解できるようになって、そんな自分の視点がアップショットからワイドショットへの移行に現れているんだと思う』
──今回初上映される3作品は偶然なのかわかりませんが、いずれもハンガリーが民主化される前の製作だと思いますが、その後の作品製作状況と違いはありましたか。
TB『いまだって民主化されているのか怪しいな。(と冗談を言ってから)若いころは政治の検閲に苦しめられた。その後はマーケット(市場)の検閲に苦しめられてきた。どっちがいいかはわからんね。今も私は民主主義のために闘っているつもりだよ』
映画製作は引退したが、別の形で今も現役なのだと主張しているかのような名匠タル・ベーラだった。
『タル・ベーラ 伝説前夜』
1月29日より東京・シアター・イメージフォーラムにて公開
『ニーチェの馬』(11)を最後に56歳という若さで映画監督から引退した後も、伝説的な上映時間7時間18分の『サタンタンゴ』(94)が日本で初公開されるなど、熱狂的な支持者を生み出しているタル・ベーラ監督。その足跡をたどるべく『サタンタンゴ』以前、伝説前夜の日本初公開3作を4Kデジタル・リストア版で一挙上映。(配給:ビターズ・エンド)
『ダムネーション/天罰』(1988)
罪に絡めとられていく人々の姿を「映画史上最も素晴らしいモノクローム」(Village Voice)で捉え、タル・ベーラ・スタイルを確立させた記念碑的作品。
『ファミリー・ネスト』(1977)
住宅難のブダペストで夫の両親と同居する若夫婦の姿を16ミリカメラを用いてドキュメンタリースタイルで5日間で撮影した鮮烈なデビュー作。
『アウトサイダー』(1981)
社会に適合できないミュージシャンの姿を描いた監督第2作で、珍しいカラー作品。この作品がきっかけで監督は国家当局から目を付けられた。
タル・ベーラ
1955年ハンガリー、ベーチ生まれ。哲学者志望だった16歳のベーラは生活困窮したジプシーの短編8ミリを撮り、反体制的として大学の入試資格を失った後、逮捕されたことも。釈放後『ファミリー・ネスト』(77)を発表してマンハイム国際映画祭でグランプリを受賞。ブダペストの映画芸術アカデミーに入学し、在学中に『アウトサイダー』(81)を発表。「秋の暦」(84)で音楽のヴィーグ・ミハーイと、『ダムネーション/天罰』(88)で作家のクラスナホルカイ・ラースローと出会い、その後のすべての作品で共同作業を行う。94年に上映時間7時間を超える『サタンタンゴ』を発表し、世界中を驚愕させた。00年に『ヴェルクマイスター・ハーモニー』がベルリン国際映画祭で上映され、高い評価を受けた。続く『倫敦から来た男』(07)はカンヌ国際映画祭コンペティション部門でプレミア上映された。そして11年、自ら「最後の映画」と明言した『ニーチェの馬』を発表。ベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グランプリ)と国際批評家連盟賞をW受賞。現在は世界各地でワークショップ、マスタークラスを行い、後輩の育成に勤しんでいる。
(TEXT 米崎明宏)