1980年のニューヨークを背景に自らの少年時代を投影した自伝的作品『アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』が2023年5月12日(金)より全国公開されるジェームズ・グレイ監督が、日本公開を前にオンライン・インタビューに応えてくれた。

自分の五臓六腑から湧き出てくるような小さくても誠実な作品を作りたかったんです

『アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』

 1980年のニューヨーク。公立学校に通う12歳のポールは、教育熱心な母エスター、働き者の父アーヴィング、私立学校に通う兄テッドと暮らしていたが、なんとなく息苦しい日々。唯一心を許せるのは祖父のアーロンだけ。想像力豊かで奔放なポールは規律にうるさい学校生活にうんざりしていた頃、学校で問題児扱いされている黒人生徒ジョニーと親しくなる。だがある日ジョニーとつるんでいて犯した些細な悪さが二人の運命を大きく分けることになる……
『エヴァの告白』『アド・アストラ』などで知られるジェームズ・グレイ監督の自伝的ドラマで、出演はアン・ハサウェイ、ジェレミー・ストロング、バンクス・レペタ、アンソニー・ホプキンスほか。
© 2022 Focus Features, LLC.

画像: 『アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』

『アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』

──最近スティーヴン・スピルバーグ監督(『フェイブルマンズ』)やサム・メンデス監督(『エンパイア・オブ・ライト』)らも自身の少年期を題材にした自伝的ドラマを作っていて、あなたのこの作品も含め、なんとなくブームのようにも思えますが、本作を作ろうとしたきっかけは何だったのでしょうか。

グレイ「この作品の前にSFX、VFXなどの面でもアーティスティックな面でも非常に大きな映画を終えたばかりで疲弊してしまったんです。その時、自分はどうして俳優さんたちと仕事をするのが好きなのか、なぜ映画はこんなにも自分にとって美しいのかということを忘れてしまうほどだったんですね。ということで余分なことをそぎ落として自分の五臓六腑から湧き出てくるものを撮りたいと思いました。小さくていいから、自分の今の魂をそのまま伝えるような誠実な映画を撮ろうと思ったのがきっかけです。スピルバーグ監督やメンデス監督がどうしてああいいう映画を作ったのかはわかりませんが、多分聞いてみたら同じような気持ちだったのではないかと思います。
 それから今の映画の現状も関係しているかもしれません。今の映画の現状は本当に無力で、いい状態ではありません。映画館に足を運んでポップコーンを食べながら映画を観るという行為自体、特に様々な種類の映画を観るということ自体が脅威にさらされていると思います。自分の中にもしかしたらこういうことは続かないかも、という恐怖があったのかもしれません。それがきっかけで「みんなこういう映画を作っているのかな」と思ってしまうことがあります。でもそれは自分では無意識に感じていたことだと思いますが」

撮影中はなんだか自分に響くものがないなと思っていたのに、編集室でぼろぼろに泣いてしまったんです

──では本作を演出していた時の感じはどのようなものでしたか。フラッシュバックセラピーのような感じでしょうか。

画像: 『アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』演出中のグレイ監督(中央)

『アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』演出中のグレイ監督(中央)

グレイ「実は撮影していた時はそれほど自分に響いてこなかったんですよ。俳優さんたちへの演出に夢中になっているとか、きちんとほしい絵が撮れているかとか、そういう方に頭が行っていて、現場で涙しながら演出するというのはなかったんです(笑)。ところが編集室に最初に行った日に、最初の撮影したフッテージを見た時、ボロボロに泣いてしまったんですね。それはやっぱりいろんなものに再び命を吹き込んで再生したからだと思います。もういなくなってしまった人々とか、すごく大事だった家族との夕食であったりとか、その場でいろいろと重要な会話が話し合われ、そうした会話や夕食っていうのはきっと忘れないし、その家もきっといつまでもここにあるんじゃないかみたいな気持ちになるけれども、でもそれはそうじゃないですよね。我々は、みんな本当に一時的にしかこの地上にはいない。人間なんて本当に一瞬の存在です。家だって今ある家は自分が住んでいた頃とは全然見え方も違うし、いろいろ工事して手も入っているし、もう違う人が住んでいるし、違ったデザインが施されている。そうした一時的であるということ、長くは続かない限りあるものであるということは素晴らしいことだし、同時に恐ろしいことでもあると思います。なので、そのフッテージを見始めた時にその想いがバーッと自分に湧き上がってきて泣いてしまったんだと思います。
 映画が完成したころには、もうそういう距離感もなくて、もう出せるアイデアは出し尽くした。あとはどうなるかわからないという気持ちでした。いろいろ考えがあったのは編集作業の時とか、音楽をつけている時でしたね。特にザ・クラッシュが演奏した「アルマゲドン・タイム」は自分にとってあの頃自分が住んでいた場所をリアルな形で思いださせてくれる曲になっているんです。ああいう楽曲って僕たちにとってそうした作用がありますよね。何か直接的な形で自分たちの過去が一気に蘇らせてくれるような、そういう力を持っているんだけれども僕にとってはあの曲がそういう力を持っていて、それと自分の撮影した映像が重なった時にやっぱり深く深く自分に響くものがありましたし、だからやはり作る中でいろいろとエネルギーを使い果たしたところはあると思います」

僕たちから去ってしまった世界、人々、場所といったものを描写したいと思っていました

──80年代が背景ですが、この映画のトーンがあなたの心にある80年代のイメージなのでしょうか。

画像: 僕たちから去ってしまった世界、人々、場所といったものを描写したいと思っていました

グレイ「映画の場合、僕らは毎秒24枚のスチール、あるいは写真を見ていることになるわけですが、どの静止画も、写真も、スチールも、僕たちがいずれ死ぬ、そういう限りある命を持っているのだということを思い起こさせてくれるものです。なぜならば、そこでは時間が凍結され、瞬時に私たちが取り戻すことができなくなってしまう、そういう瞬間が捉えられているからです。それぞれのスチールや写真のフレームの中には過ぎる時間を取り戻せないということから来るメランコリーが漂っていて、そして時間は容赦なく融解してゆき、僕たちはみな、ただその影響下にある。だから、この映画を作る時に一つのアイデアとしてあったのが、僕たちから去ってしまった世界、あるいは去ってしまった人々、時には場所もですが、そういうものを描写したいと思っていました。その儚さであったり、美しさであったり、メランコリーであったり、僕らはほんの一瞬しかここにはいないんだと、容赦なく知らされる。そういった部分というのが、本作のビジュアルに関する美学的なコンセプトとしてありました」

レーガン大統領当選のシーンに込めた意味とは……

──80年代を思わせるシーンでロナルド・レーガンが大統領に選ばれるシーンが出てきますが、これにはどういう思いを込めているのでしょうか。

画像: 演出中のグレイ監督

演出中のグレイ監督

グレイ「メッセージとして、何かこうだという風に決めつけるようなつもりはなかったし、したくなかったし、自分は政治的に左寄りか、中道左派的な考えを持っているけれども、でも、レーガンが悪いみたいなことを言いたかったわけではなくて、あえて言えば、あのシーンはレーガンをあざけるようなヤジを飛ばすような親が、自分たちの特権を守るために自分たちの子供を私立学校に入れていたりするっていう彼らの複雑なところを描きたかったんだと思います。僕なりの言い方で、人間っていうのがいかに複雑なものであって、だから他者を指さして笑ったり、バカにしたり糾弾したりすることは、いかに危険なのかっていうことを表現したんだという風に思っています。人間は誰しも複数の側面を持っているものだから。
 そしてレーガンの当選自体についてはやっぱりアメリカという国の大きな方向性の変化を象徴していたというふうには思うんですよね。文化的な変化が、彼が当選してから確実に顕著に現れて、特に倫理観ですけど、そういうのを彼は変えた。それまでは良いことをするのが大事だっていう倫理観であったのが、良い気分になることが大事だし、できるだけお金を稼ぐのが大事、他の人なんかどうでもいいっていう、そういう倫理観に全体的に変わってしまったと思っています。だから彼が当選したことで、すごくいろんな変化があったという風には思っていますね」

今のティーンがこの映画を観た時に言いたい言葉は1年前と違っている

──そのようにアメリカの良い面と悪い面が子どもの視点で描かれていると思いますが、今のティーンが見たらどう感じてほしいですか。

画像: 今のティーンがこの映画を観た時に言いたい言葉は1年前と違っている

グレイ「1年前に聞かれていたら、それよりは今の方が答えるのが難しい質問だと思います。これが1年前だったらば、おそらく10代の方には<世界がかつてどうであったか、そして多くの意味でいまだにどうであるかっていうことを、この映画を通して見てほしい>と答えたと思います。そうすることは必要だと思うんですね。トーマス・ハーディの引用で<もし、より良くある方法があるのだとすれば、それは一番最悪なものを見ることにある>と思うという言葉があるんですけれど、僕はアートの目的っていうのは、我々人間がいかに素晴らしいのかとか、いろんなことに長けているのかっていうことを改めて思い出させてくれるためにあるのではないと思っています。
 だから、例えば、この部分は自分の人生にとても似てるな、でもこの辺は違うとか、あるいは歴史的にこういうことがあったんだとか。アメリカっていう国はこうだったんだとか、そんなことを感じてもらいたいっていう風に1年前なら答えたと思うんですけれど、今、自分も作品との距離感を少し持てて、ポジティブな意味でもネガティブな意味でも、皆さんが見たリアクションはどんなものだったかっていうのも分かった上で思うのは、<歴史を変えさせるな。歴史を消させるな。皆さんはありのままを、そのまま見る必要があるから>って言うと思います。
 アートっていうのは、やっぱり私たちのトリガー、何かの引き金になったり、何か揮発剤的なものであるべきだと思っているんですね。例えば何か大きな権力が<自分の心が良い状態じゃないことは正しくない>という風に言ったとき、それをただそのまま受け入れるな、と言いたいです。少しくらい自分の気持ちが良いところがなかったとしても、それも人生の一部だと思うんですよね。だから、それはそれで良いんだと思うんです。10代の方には、世界の状況を見て涙したりするのは全然良いことだよ、と言いたいですね。それから物事に対する、より幅広いものの見方が私たちに必要だと思うので、そうした部分を感じ取ってもらえたらなって言うと思います」

アンソニー・ホプキンスを祖父役に起用した理由は?

──祖父役のアンソニー・ホプキンスは実際のお爺様と似ていたんですか。

グレイ「ドキュメンタリーを作っているわけではないので、民俗学的に正しいか否かとかはあまり考えませんでした。ここで僕らが迫ろうとしているのはより大きな真実だし、何か超越している資質、感情でも深みのある、何か質感のあるものを見つけようとするわけです。他の役者さんにはちょっと申し訳ないかもしれないけれど、やっぱりアンソニー・ホプキンスは映画史においても本当に偉大なる役者の一人です。だから、彼がやりたいって言ったら、作り手はやっぱりイエスと言うべきだし、ぜひ参加してくださいっていうものでしょう」

 監督はこの時、実際の祖父の写真を見せて、こう続けてくれた。
「これが実際の祖父で、これが2歳のころの僕。この写真から10年後ぐらいが映画の舞台になっているので、ちょっと年齢は違うけれども、なんとなくアンソニーは<祖父の感じ>っていうのを持っている、あるいは表現してくれているのがわかるでしょう。なのであまり遠からずという感じでした。なんだか不思議な感じですごくピッタリだったんですよね。でも、似ている・似ていないっていうことでキャスティングしたわけでは全くないし、それは僕にとって重要なことではなかった。なぜなら重要なのはエモーショナルな真実がそこにあることだからです」

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