成田陽子
ロサンジェルス在住。ハリウッドのスターたちをインタビューし続けて40年。これまで数知れないセレブと直に会ってきたベテラン映画ジャーナリスト。本誌特別通信員としてハリウッド外国人映画記者協会に在籍。
ピアニストを目指していたけど先生が女優になることを勧めてくれたの
話題作『TAR/ター』(2023)で我を忘れたかのような憑依の激演を見せてくれるケイト・ブランシェット。全身全霊を投じてオブセッション(強迫観念)に取り憑かれた役作りは映画の画面から飛び出してきそうに迫力がある。ゴールデングローブ賞から英国オスカー賞とメインの主演女優賞を総なめしてきたがアジアン・パワーの台頭で3度目と予想されたオスカーは惜しくもミシェル・ヨーのもとに。
「人に好かれる役はある意味で易しいけれども、崩壊して行く性格が観客にどう受け入れられるか、そのあたりに私は挑戦を感じたのね。リディア(ター)が男性だったらパワーを乱用し、酷い行状をしても当たり前だと思われてきた。彼女なりに危機を乗り越えていくもののキャンセル・カルチャー(一種の排斥運動)の犠牲になってしまったのです」
「天才的で、ナルシスティックで、性的パワーに権力を行使するキャラクターをセイフティー・ネット(サーカスなどで安全を保つための網)無しで演じることが出来たのは、ひとえに監督のトッド・フィールドへの信頼のおかげ。彼は私のために脚本を書き、私が引き受けなかったら撮影をキャンセルすると宣言したのですよ」
「役のためにドイツ語を猛勉強し、ピアノのレッスンを始め、世界的な指揮者の資料を読み、動画を繰り返し観て練習に励みました。そしてマーラーの第五シンフォニーを空で指揮できる程になったものの、トッドにドイツのドレスデンの交響楽団と一緒に撮影すると言われた時は不安に襲われましたね」
「でも私はリディアになり切って『私は指揮者を演じる女優です。あなた方には映画の中で俳優として演奏して頂きます。ですからその辺の違いをご理解下さい』とドイツ語でお願いして、何とか撮影を終えました。映画でこれほど監督と深く、強いコラボレーションをしたのは初めて。舞台の監督と同様の結びつきを果たしたと思います」
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「そうそう、私が9歳の時、メルボルンでピアノのリサイタルに出て、曲を始めたところ先生が私の手を握って『もう、弾くのはお止めなさい。あなたはピアニストには向いてません。女優になると良いでしょう』と言ってくれたのです。 ピアノのテクニックより、自分なりにピアニストを演じていたのを見抜かれたに違いありません。この先生のおかげで私は迷うことなく演技の道を目指しました」
ケイトははっきりと言葉を選んでコメントして、記録だけを読み返すと厳しい人柄のように思えるだろうが実際は思いやりのある、優しいパーソナリティーの持ち主。
役作りは私の生きがい。生の舞台で演じる圧倒的スリルに勝るものはない
初めて会ったのは『オスカーとルシンダ』(1997)の時。レイフ・ファインズと共演した不思議なロマンス映画で、当時28歳のケイトはPTAに出かける母親のような地味な服装で、しゃちほこばっていたが、いざ口を開くと演技に対する情熱と深い知性が感じられてもう大物女優の片鱗が伺えた。
次に会った『エリザベス』(1998)の時は、既に余裕と貫禄がにじみ出て、豪州産の男優陣と違ってダウンアンダーのアクセントなど微塵もなく正統派の英語で話していた。
「役の度に女王になったり、婦警になったりするのが本当に刺激的。役作りの楽しさは私の生きがいでもある。夫(アンドリュー・アプトン)が演劇界で働いているのも大いに理解と支持を得られて最高の環境です」
「映画のコマ割りの演技やクローズアップでの技巧などはもちろん、やりがいがあるけれど、やはり生の舞台の圧倒的なスリルにはかなわないわね。目と鼻の先に観客が居て彼らと一体になってドラマを共有していく。毎日、毎晩、一度として同じ動きなど出来ないし、その瞬間を生き抜く演技こそ、女優としての最高の挑戦だと思うのよ」
お次は『ザ・ニュー・ボーイ』(2023)という豪州のアボリジニ(先住人)をテーマにした映画で尼僧の役を演じるそう。