ウォン・カーウァイ監督の『グランド・マスター』のプロモーション以来、10年ぶりの来日を果たしたトニーは、ホウ・シャオシェン監督とウォン・カーウァイ監督との思い出エピソードを語った。
ホウ・シャオシェン監督のおかげで文学が好きになり、
芸術に関する認識が深まった
会場から大きな拍手で迎えられたトニー・レオンは、主演を務めたホウ・シャオシェン監督の『悲情城市』について出演の経緯を明かした。
「映画に出て間もない頃、“いろんな作品で経験を積みたい”とか“いろんな監督やスタッフと仕事をしたい”と思っていたんです。そんな時に、ホウ監督からお声がけいただき、いい機会になると思ってお引き受けしました。ところが、当時は台湾の歴史をあまり知らず、勉強しなければいけなかったんですね。そしたら監督がたくさんの本をくださって、それを読んで役作りの準備をしました。それともう一つ、私は台湾の言葉が話せなかったこともあり、監督が私の役をろうあの青年という設定にしてくださいました。
事故が原因で話せなくなったアーティストの方を監督から紹介してもらい、台北から6時間かけて台南まで会いに行きました。そしてその方から表情やしぐさ、所作を学び、お芝居の参考にさせていただいたんです。それだけではまだ準備が足りなかったので、ひとりホテルにこもって本を読んだり、孤独に過ごすようにしていました。ろうあの方々の気持ちを理解するために、かなりきっちりと準備して、役作りをしながら挑んだ作品です」
続けて『悲情城市』やホウ監督への思いを真剣な眼差しで語ったトニー。
「『悲情城市』は私にとって初めての芸術映画で、現場で学ぶことが多かったです。先ほどホウ監督から本をたくさんいただいた話をしましたが、そのおかげで文学が好きになり、文学作品を読むことで登場人物の描写や情感を知ることができました。この時に芸術に関する認識が深まったと思うので、本当に大きな影響を受けた現場でしたね」
続いて、トークはウォン・カーウァイ監督とのエピソードへと変わり、長年タッグを組んで作品を作ってきた深い親交のあるウォン監督とのエピソードを語った。
「ちょうど自分の演技に対して悩んでいた頃にウォン監督に出会い、『欲望の翼』に出演することになりました。撮影で印象に残っているのは、共演したマギー・チャンの撮影は2、3テイクほどでOKが出るのですが、私の番になると20テイク以上繰り返してやっとOKが出たこと。ウォン監督は私の演技のどこが良くないのかをわかっていたんです(笑)
さらにウォン監督は、“あなたの芝居はテクニック的なものが多すぎる”と指摘して、私の演技のやり方を壊していったんです。そのあと完成した作品の自分の演技を見て、ウォン監督のすごさがわかりましたね。ウォン監督とはそれから20年間一緒に仕事をしていますが、役者の良いところを引き出すことに長けている方だと思います」
トニー・レオンにとって特別な作品『2046』の驚きの撮影秘話
今回の上映で、トニーはウォン監督の『2046』を選んだ。その理由について聞かれるとこんな風に答えた。
「この作品は、私にとって特別な作品です。みなさんご存知かもしれませんが『花様年華』とつながっていて、私は同じ人物を演じているのである意味続編と言えます。違う作品で同じ人物を演じるにあたり、監督は『花様年華』とは違う表現で、過去を忘れて新しい暮らしに向かう主人公の姿を演じて見せてほしいとおっしゃいました。その言葉を聞いて“これは大変だ”思い、『今回は髭をつけたいです』と監督に提案したところ、返ってきた答えは『ダメです』でした…(笑)。それでも絶対必要だと言い張って髭をつけることに成功したことは、映画をご覧になるとわかりますよね。
この話には後日談がありまして、カンヌ映画祭でのプレミア上映後のパーティで、監督が『やはり髭があって正解でしたね』とおっしゃったんです(笑)。役者は、何かのきっかけで役に没入することができるんだと、私はそう思います」
ユーモア溢れるエピソードで和やかな空気が流れるなか、最後に今後の展望について語った。
「ヨーロッパ映画にも出てみたいと思っていたところ、来年ドイツで撮影する映画に出演することが決まりました。今はその作品に入るための準備期間中で、たくさんの本や資料を読んでリサーチをしながら役作りをしています。今後はさまざまな国や地域の製作チームと一緒に映画を作りたいと思っています」
フォトセッション(トニーの希望で観客も撮影がOKに!)のあと、客席に向かって笑顔で手を振り、大きな歓声に包まれながらトニーはステージを後にした。
取材・文/奥村百恵
第36回東京国際映画祭は11月1日まで開催される。