(文・成田陽子/デジタル編集・スクリーン編集部)
成田陽子
ロサンジェルス在住。ハリウッドのスターたちをインタビューし続けて40年。これまで数知れないセレブと直に会ってきたベテラン映画ジャーナリスト。本誌特別通信員としてハリウッド外国人映画記者協会に在籍。
20年ぶりに共演したデンゼル・ワシントンも確かな成長ぶりを絶賛
ダコタ・ファニングに初めて会ったのは『I am Sam/アイ・アム・サム』(2001)でショーン・ペンの娘を演じた時。ダコタはその時7歳になったばかりで、顔はキュートで少女っぽかったが、実に落ち着いて、質問にはっきりとした声で明瞭に答えていた。
それから3年後に『マイ・ボディガード』(2004)でデンゼル・ワシントンと共演、この時、デンゼルは「少女なのに40歳ぐらいの女性の重量感を持っている」とたまげていたのである。
そして2023年、ほぼ20年後に『イコライザー THE FINAL』で再び共演し、「ザ・ベストの演技を見せてくれた。常にトップ・コンデイションで撮影に臨み、クルーたちに見せる気遣いも親切で僕はすっかりダコタ・ファンになってしまった」と再びデンゼルは絶賛。
ダコタは『マイ・ボディガード』の2年後に最年少のアカデミー協会のメンバーに選ばれ、同時に21歳以前の女優としては最高の400万ドルのギャラを受けるという記録をなしている。
そんなダコタはデンゼルのことを、
「究極のプロでどんな時も手を抜かず、それでいてあまり苦労しているように見せないスムーズな名優なんです」と称賛し、
「ニューヨーク大に通っている時にデンゼルのお嬢さんと友人同士になり、私は他の生徒達のように学生寮などに住まず、自分のマンションを買っていたのでそこで彼女と色々な人生計画をしゃべったり、大学生ならではの心配やら、問題の意見交換をしたもの。
少女役が有名になるとその後の役がすべて同じような役でそれを突っ切るのが凄く難しかった。でも大学に行き21歳になってそういう重荷が嘘のように消えて、それからは自分のやりたい役を選ぶことが出来るようになったのよ。あの開放感たらなかった」
という心境も語った。
ダコタの父親はプロ野球の選手、母親はプロテニスの選手なのだがスポーツの道に進むことは全く考えなかったと言っている。
南部のジョージア州コンヤースに生まれたために、
「南部ならではの淑女のマナーや躾を学んで、誰に対しても丁寧に優しく対応するのが私の生まれつきの習慣なのです。ロサンジェルスの高校に移った時は何もかもが自由でカジュアルでびっくり。チアリーディングのチームに入って頑張ったのよ。
それからニューヨークに行ってもうそれは全く異質の世界でした。でもね中学生時代からの友人とは今も付き合っていてしょっちゅう連絡したり、“心の友”として大事に思っています」
17歳の時にマーク・ジェイコブスのコマーシャルに出て超ショートスカートを履き、足の間に香水の瓶を見せているという構図に反対の声が上がり、この広告は中止となったというハプニングがあったが、15、16歳ぐらいに見えたダコタは、その時すでに17歳で「大人の広告」に出ても構わない年齢だったというエピソードもある。
共演俳優たちから可愛がられ、トム・クルーズからは今も贈り物が届く
ダコタは先輩スター達にとても可愛がられるようで『I am Sam/アイ・アム・サム』で共演したミシェル・ファイファーとは今でも親友の仲、『宇宙戦争』(2005)ではトム・クルーズと親友の間柄になり、ずっとダコタのお誕生日に彼はプレゼントを送ってくるそう。
「主に靴をプレゼントしてくれるのよ。それがいつもぴったりサイズがあうという不思議な直感を持っているみたい」クルーズは世界中の友人たちに白いケーキをクリスマスに贈るそうで、何とも義理堅い人のようだ。
『夢駆ける馬ドリーマー』(2005)で共演したカート・ラッセルはダコタに何と馬を一頭プレゼントしたという。
尊敬する女優はフランシス・マクドーマンド、大好きな女優はオードリー・ヘプバーンとグレース・ケリー。好きな服装はシンプルでかなりマニッシュなメンズウェアを着てアンドロジナスな雰囲気を出している。
まもなくTVシリーズ「リプリー」(2023)で、以前映画版(1999)でグウィネス・パルトローが演じたマージ役を演じるそうで、リプリー役を「SHERLOCK/シャーロック」のアンドリュー・スコットが手掛けるという。エキサイティングなドラマになりそうだ。