成田陽子
ロサンジェルス在住。ハリウッドのスターたちをインタビューし続けて40年。これまで数知れないセレブと直に会ってきたベテラン映画ジャーナリスト。本誌特別通信員としてハリウッド外国人映画記者協会に在籍。
40年前からあまり変わらないハリウッドの問題児然としたスタンス
3月10日のアカデミー賞授賞式で見事に助演男優賞を受賞したロバート・ダウニーJr.は、司会者のジミー・キンメルから「映画のDVDが発売される日まで役になりきっている究極の憑依演技の俳優!」と形容されていたが、今回の『オッペンハイマー』(2023)の役はしばらくぶりに彼の役者根性を揺さぶるものだったに違いない。
舞台に上がっておもむろに「僕がこの賞を穫れたのは、まずは、惨めな子供時代、それからアカデミー協会会員たちのおかげです、と言いたい」と相変わらず、ちょっぴりひねた内容のスピーチだった。しかし最後に奥方のスーザン・レヴィンに何度も何度も感謝の言葉を捧げていたのが彼女がドラッグ中毒で荒れていたロバートを必死に更生させたからに違いない。何はともあれ、本命の受賞でおめでたい快挙であった。
しかしロバートももう59歳だとは! 『レス・ザン・ゼロ』(1987)のドラッグ中毒のませた若者役で口から白い泡を吹いていたのが22歳の時だった訳だが、当時から40年近く経ってもあまり変わらず、今も変わらないハリウッドの問題児然としたスタンスが魅力的と言えよう。
当時のインタビューでは、俺からまともな答えなど期待してくれるな、非常識と呼ばれようと勝手にしやがれ、という好戦的と言うのか、挑戦の姿勢がロバートのエネルギーに、且つ、バネになっていたようだ。
初めて会ったのは、その『レス・ザン・ゼロ』だったが、当時はあのTVシリーズ「セックス・アンド・ザ・シティ」で後に大人気スターになったサラ・ジェシカ・パーカーと同棲中で、既にドラッグ問題を起こしていたため、会見でもわざと騒いだり、突然早口でシェイクスピアのセリフを言ってみたり、
「サラは社会活動が大好きで、干物になりそうなアシカを助けるグループの活動とか、メキシコ人の子供にスシを食べさせる会ってな運動に僕を引っ張りだして満足そうな顔をしているんだ。僕はうちで禅をしたり、カントの本をひも解いていたいのにね」
と、わざと英語にするとひどく卑猥な言葉になるドイツの哲学者の名前を出したりしては、裏で舌を出す様なハイパー(高揚)ぶりで、聞いているだけでこちらの方が疲れる有様だった。
しかし、その異常に速い頭の回転と内側の脆さを秘めつつ、ダメージコントロールなど気にもしない野蛮なポーズに天才的閃きと破滅的なパーソナリティーが覗けた。
人は僕のことをクレイジーだと思ってるようだが、そもそも誤解なんだよ
「僕の親父は自分で名前を変えて年齢を偽って陸軍に入ったり、ボクサーになったり、マイナーリーグの野球選手になったり、と僕以上に興奮して何でもやってしまうタイプだったんだ。後でアングラ映画の監督になったけれど、いつも人混みの中で目立っている騒がしいところがあった。
僕がまだ5歳ぐらいの頃、どこかの浜辺の波打ち際にいて、突然大波が来た時、僕は親父の脚にしがみついたんだ。親父は全く僕がいる事さえ忘れたように気にせずにそばの人達とおしゃべりをしていて、その時の僕のパニックと親父の気楽さのギャップをしっかり覚えている。面白くて頼もしい親父だった。
親父も俳優組合に登録していたので僕は自分の名前の下にジュニアと付けなくてはならず、ちょっと嫌だったけれど今では“RDJ”とまるで“JFK”みたいなイニシャルで呼ばれる事もあって、結構クールだと思っている」
そんな彼なりの演技論は、
「僕は単にハイ・メンテナンス(手間がかかる)人間だと思う。欲しいものを手に入れないとすごく固まってしまうんだ。例えば同じ俳優同士だとお互いのリズムを呑み込むものなのだけれど、それを外したり崩したりする俳優に会うとそいつのはらわたをえぐり出したくなる。そういう意味で僕は常に破戒寸前なのだよ。人々は僕をナッツ(クレイジー)だと思っているようだが、これはそもそもの誤解なのだ。ま、ナッツが天才と同義語ならば我慢するけれど」
などとけろっと言い捨てるのであった。