アジア発のロジックで映画を製作する足場を作るべき時が来ています
今回の世界文化賞受賞者は、絵画部門でソフィー・カル、彫刻部門でドリス・サルセド、建築部門で坂茂、音楽部門でマリア・ジョアン・ピレシュが受賞。そして演劇・映像部門でアン・リーが受賞者となった。
台湾人としてこの世界文化賞では初の受賞者となったアン・リー監督は「本当に驚きました。昔から長い間影響を受けて来た日本からこのような賞をいただけることは大変光栄です。映画は多くの人が協力して出来上がるものなので、その点から見ると私は最も受賞から遠い人物かもしれませんが。私自身は観客のしもべに過ぎず、演劇は神殿、映画は学校です。その学びに終わりはありません」と受賞者記者会見で挨拶し、その後の個別懇親会では、自身の功績やキャリアなどを振り返ってくれた。
日本に影響を受けたというが、どのような影響だったのかという問いについて、
「私は台湾で育ち、中華圏の価値観を持っていますが、家族や知人が日本人に近い関係があったんです。子供の頃はあまり日本映画が近所の映画館で公開されなかったのですが、時々日本映画が上映されると劇場が満席になった記憶があります。5歳の頃、『モスラ』を見て魅了されました(笑)。巨大な怪獣が東京タワーを倒して繭を作るシーンに圧倒されたのを覚えています。実は昨日、時間があったので妻と都内を散策していたんですが、ちょうど東京タワーの近くを通って、この映画のスペクタクルシーンを思い出しました(笑)。渡米してから多くの日本映画に触れましたが、西洋のものを上手く東洋の中に咀嚼して表現しているという印象でした。悲しみという感情は西洋と東洋で捉え方が違いますが、悲しみと同時に優しさが潜んでいるのが東洋の感覚。悲しみを栄養にして熟成させ、そこから優しさが生まれるといった発想は西洋にはあまりありません。黒澤(明)も溝口(健二)も小津(安二郎)もそうした表現が顕著です。『座頭市』や大島(渚)の映画も好きです。映画の他に日本の漫画も私の中では大きな要素ですし、一口では語りきれませんね」
と説明し、「モスラの歌」も少し口ずさんでくれた。
アジアから世界に進出し成功した監督として、どういう意識を持っているのだろうか。
「いつも自問自答しています。私が映画界に入った90年代初頭までは日本が東洋ではオンリーワンのシネマティックな文化を持つ国でしたが、今や中国、インド、韓国など様々なアジアの国が世界で脚光を浴びています。私がアメリカで学んだのも米国発の映画言語で、その時代が長く続いていましたが、アメリカのロジックだけではもう映画は疲弊していると思います。アメリカ以外の言葉を使っても映画を製作できるという足場を作るべきと思います。先ほど話したような悲しみの表現でも、アメリカと違うストーリーが出来るはず。私も硬直したものを一度壊して新たなものを発揮したいですね」
と語る監督は、ここ数年新作を発表していないが、この間に「映画とは何か」を初めて考えるようになったのだそう。
「文化とは何かということはいつも考えますが、映画について考えることはこれまでありませんでした。3Dで映画を撮ることにどんな意味が?と考えてもなかなか答えが出ない。ただサメが泳ぎ続けないと死んでしまうように、私も映画を作り続けるしかないのです。しかしメディアは変化するべきでしょう。新たな魅力を作ることで観客が映画館に帰って来る動機になりますから」
会見のところどころで自分が今“脆弱な状態にある”と何度か口にしたあたり、真剣に現在の映画界と向き合っているアン・リー監督は、両親が中国出身で、実は台湾も本来の故郷のような感じがせず、アメリカ時代はやはり異邦人というポジションだったことなどから、自らがどこにも根付くことのないアウトサイダー(部外者)である立場が世界を股にかけ映画を作る原動力でもあると確信しているようだ。
最後にこれまで一緒に仕事をした中でインスパイアされた人物を尋ねると、
「映画に出てくる虎のトレーナーと互いに泣きながら語り合った(虎は人間の気持ちなどわからないので、トレーナーが虎の気持ちにならなくてはならない。同じように監督も俳優の気持ちにならなくてはならないそうだ)ことや、『ラスト、コーション』の麻雀デザイナー、空撮用のヘリコプターの操縦士など、そうした人たちの些細なことが心に引っかかる性分なんです(笑)。あえて言えば初期の私の映画のプロデューサー、ジェームズ・シェイマスや編集者のティム・スクワイアズ(『ラスト、コーション』)などの名前が浮かびますが、みんな素晴らしい人ばかりでした。3日あれば全員答えられるかも」
と穏やかな笑顔を浮かべながら明かしてくれた。
プロフィール
1954年10月23日、台湾出身。国立芸術学校卒業後、渡米して映画を学ぶ。91年『推手』で長編監督デビュー。93年『ウエディング・バンケット』がベルリン映画祭で金熊賞受賞。『ブロークバック・マウンテン』(05)『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』(12)で2度アカデミー賞監督賞を受賞するなど、世界の映画賞を席巻している。他の作品に『いつか晴れた日に』(95)『グリーン・デスティニー』(00)『ラスト、コーション』(07)など。