「氷は野菜を美味くする」
ごく私的なことで恐縮だけど、サラダを作るために生野菜を氷水に放つとき、私は心の中で「氷は野菜を美味くする」とつぶやき、リヴァー・フェニックスの顔を思い出す。これは『モスキート・コースト』(1986年)でハリソン・フォードがしたり顔で息子に言った台詞だ。
ハリソン演じる発明家は文明を嫌い、家族を引き連れて未開の地に移り住んでいる。そんな信念を貫く父親のエゴに振り回され不自由な暮しを強いられることに不安と不満を募らせる長男を演じているのが、当時、16歳のリヴァー・フェニックスだ。やっとのことで製氷機を作り出し、得意満面に「氷は野菜を美味くする」なんて言いながら、現実問題をまったく直視していない父。そんな彼を見つめるあきらめと怒りと嘲笑と深い悲しみに彩られた息子の表情は、リヴァーならでは。
当時は、両親の影響で文明否定のヒッピー・コミューンで暮らしていたリヴァー自身の過去とキャラクターが重なり合い、さらに観客の共感を煽ったけど、いまにして思えば、もしもそういった経験をしていなくても、リヴァーはあの心に残る表情ができたに違いない。そう、天賦の才……。思春期の危うさ、脆さ、そしてひたむきを体現するために、彼はあの美しいルックスと才能を与えられて生まれてきたんだと思う。そして、その類希な才能が短命であることも、きっと神様が決めていたのだろうとも。
デビュー作『エクスプロラーズ』(1985年)から遺作の『ダーク・ブラッド』(1993年※完成は2012年)まで、たった14作だけど、その多彩な作品を観ると、なおさらその思いが強くなる。
『スタンド・バイ・ミー』の記憶
リヴァーが亡くなってから25年が過ぎた。四半世紀なんて、あっけなく過ぎるものだと、あらためて思う。初めて会ったのは、傑作青春映画『スタンド・バイ・ミー』(1986年)のプロモーションで来日した1987年4月。すでに全米で公開されて<ジェームズ・ディーンの再来>と脚光を浴びての来日だったけど、当のリヴァーはシャイで物静かな佇まい。ときおり、同伴してきた両親と弟や妹たちに送る優しいまなざしと気配りに、『スタンド・バイ・ミー』で演じたクリスの面影を垣間みた。
この時は、リヴァーの写真集を作るという企画だったので、スタジオ撮影はもちろん、ロケバスにフェニックス・ファミリーを乗せて半日以上も都内各地をロケ巡り。しかし、編集者やカメラマンの要求のすべてに快く応じ、ポーズをとりまくり、その合間の質問にも誠実に答えてくれた。ただひとつ“ノー”と言うのは、食事の時だけ。そう、周知のように厳格なビーガンである彼は、出される食べ物には並々ならぬ注意を払っていて、スナック菓子でさえ動物性の素材が入っていないかを気にしていた。そばのつゆがカツオだしだったことから箸を置いた話は有名だろう。
とにかく、その真摯にして爽やかで、時に無邪気な笑顔を見せるリヴァーにインタビュアーだった私はもとより、スタッフの誰もが好感を抱き、大好きになったのは言うまでもない。
その後キャリアを重ねるリヴァー、そして再会
その後、「大人になったねぇ」と思ったのは、大ヒットシリーズ『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989年)だった。ハリソン・フォード演じるヘンリー・ジョーンズJr.の若き日を演じたリヴァーは、それまでとはひと味違った冒険に瞳を輝かせる“青年の匂い”を漂わせ、さらには控えめながらハリウッド・スターのオーラも放っていた。純粋にかっこ良かった。この分なら“スター街道ばく進だ!”と、ハリウッド・スター大好きな私の期待は大きく膨らんだ。
次作の『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』(1990年)では、当時コミカルな演技で一世を風靡していたオスカー俳優ケヴィン・クラインや親友キアヌ・リーヴズと共演。年上の人妻に猛アタックするヘンテコなピザ屋の店員を演じている姿を見た時は、その爆笑演技のうまさと、絶妙な弾けっぷりに拍手喝采。これまでの暗い過去を持つ少年の姿は微塵も無く、ひたすらユニークでクレイジーな“恋するピザ屋”になり切っていた。哀愁漂う美少年からの脱皮であり、今後のキャリアの多彩さを予期させるものでもあったと思うのだが……。
確かに、その一年後にキアヌ・リーヴズと再び共演した『マイ・プライベート・アイダホ』(1991年)は、悲しくてせつない、観客の胸に刺さる素晴らしい青春映画だった。若き日のリヴァーとキアヌの美しさも、みごとにスクリーンに映し出されている。しかし、内容が、あまりに痛い。リヴァーが演じるのは、緊張するとどこででも眠ってしまうナルコレプシー症のストリート・チルドレンであり、男娼として暮らしているマイク。そんな彼が頼りにするのがキアヌ演じる男娼仲間のスコットだが、じつは彼は市長の息子。まったく違った生い立ちの二人の魂が寄り添い合って生きていたかに見えたが、現実はそう甘くない。涙ながらにスコットに想いを伝えるマイク。スコットの裏切りを知って深い眠りに落ちていくマイク……。リヴァーの演技はみごとすぎるほど真に迫っていたが、同時に、せつなさと悲しみが胸に深く刺さって、癒しがたい痛みが残る。
じつは、リヴァーと二度目に会ったのがこの『マイ・プライベート・アイダホ』を携えての来日だった。
「これまでのどの作品よりも、のめり込んだ。キアヌと一緒に夜のストリートに立って、観察をして役作りもしたし。とにかく、キャラクターに同化した感触、快感を初めて味わったんだ。これからは、こういう仕事をしていきたい」
リヴァーがエージェントの反対を押し切り、ガス・ヴァン・サント監督に惚れ込んでほぼノーギャラで出演したという経緯も、ある種、納得。その希望は叶えられ、みごとな一作として結実した。そして、久しぶりに会ったリヴァーは、以前のように真摯であり気遣いもありながらも、若きクセ者俳優の風情も漂わせていた。しかし、そのいっぽうで、午前中にもかかわらず、インタビューの最中にはブラディ・マリーのグラスを手にしていたのには、驚かされた。
誤解を恐れずに、勝手な私見を言わせていただけるなら、私はこの“インディペンデント映画出演で得た快感”が、リヴァーの死期を早めたような気がしている。というのも、エージェントは、リヴァーのインディペンデント指向を遮るかのように『マイ・プライベート・アイダホ』から間髪置かずにロバート・レッドフォード主演のメジャー作『スニーカーズ』(1992年)に出演させている。しかも、そんな状況に抵抗するかのようにリヴァーは、『愛と呼ばれるもの』(1993年)、サム・シェパード監督作の『アメリカン・レガシー』(1993年)と、次々にインディペンデント作品に出演し続けていた。
そして訪れる1993年10月31日
そして、1993年10月31日。死のニュースを聞いた私は、2年4ヶ月前に会った時のリヴァーの“歪み”を思い出していた。自分の内なる想いと、現実のキャップ。俳優としての素晴らしい才能と磨けば光るスター性を持っていただけに、周囲の期待は大きいが、果たして、それに応えることが自分の本当にしたいことなのか?その迷いが、ギャップが、リヴァーの心を歪ませ、生きて行くバランスを狂わせ、悲しい結末を迎えてしまったのだろうか。
生きていれば今年で48歳になるが、その姿は想像できない。兄の死を看取ったホアキン・フェニックスも間もなく44歳になり、堂々の演技派として活躍しているが、やはり兄とは違うだろう。ファンとしては、あの甘くせつなく美しい、若き日のリヴァー・フェニックスの姿をスクリーンで噛み締めつつ、永遠に胸に刻み込んでおきたいと思うばかりだ。