1996年9月、凶弾に倒れ25歳の若さでこの世を去った2PAC。アルバム総売上枚数7,500万枚を超え、この世を去った後も未発表曲でアルバムが幾つもリリースされすべてが大ヒット。エミネム、スヌープ・ドッグらが惜しみないリスペクトをし続けるなど、いまだその人気は衰えを知らない“音楽界のレジェンド”だ。そんな2PACの半生を映画化した『オール・アイズ・オン・ミー』が今冬日本公開されることが決定した。
ニューヨークのスラムで生まれ育った2PAC(トゥパック・シャクール)。ブラック・パンサー党員の母に連れられ、住まいを転々としていたため、あまり周りに馴染めない辛い幼少期を送っていた。1986年、一家はボルチモアに移り住み、2PACはボルチモア芸術学校に入学。その頃からラップに没頭し、数々の詩を書き始める。1991年ソロデビューを果たした彼は、着々とその名を上げていくが、ある日レコーディングに訪れていたスタジオで強盗に襲われ、その身に銃弾5発を受けてしまう。一命を取り留めた2PACは、この事件を仕組んだのは、たまたま同じスタジオにいたショーン“パフィ”コムズとノトーリアスB.I.G.だと思い込み、やがてヒップホップ界史上最悪の東西抗争が幕を開けてしまう。そして遂に、1996年9月7日ラスベガスで2PACは銃撃され、その6日後の9月13日に25歳の若さで人生の幕を閉じることとなる。
本日「6月16日」は、2PACの生誕日であり、北米ではこのタイミングに合わせ、なんと約2,000館という大規模なスクリーン数で公開初日を迎えている。今なお影響力を持つ音楽界のレジェンドを描いた映画というだけあり、日本でも記憶にも新しい大ヒット映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』を凌ぐ盛り上がりを公開前からみせている。ゴシップを放ち続け、常に危険と隣り合わせにいた2PACの知られざる真実とは? 音楽映画の枠をぶち壊すセンセーショナルな一本の誕生だ。