80年代に映画デビューし、50代となった今もハリウッドを代表するスターとして君臨するジョニー・デップ。「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」(03)が世界的なヒットを記録しシリーズ化されたことで、孤高の海賊ジャック・スパロウはデップにとって一世一代の当たり役になった。
しかし、この風変わりな海賊をはじめ、デップはいわゆる典型的なヒーローよりも、社会からはみ出したアウトローや弱者を描いた作品に目を向け、時には人生の負け犬のようなキャラクターを演じることで魅力を放ち、映画ファンの心をわしづかみにしてきた。そんな彼がたどってきた俳優人生を振り返ってみたい。

酒とドラッグに溺れた10代・・・

デップは1963年6月9日、ケンタッキー州オーエンズボロで兄と2人の姉の4人兄妹の末っ子として生まれた。土木技師の父の仕事の関係で30回以上も引っ越しを繰り返し、7歳からフロリダに定住するも、15歳のときに両親は離婚。

少年時代は自傷行為に走り、酒とドラッグに溺れるなどすさんでいた。その一方で、兄の影響で音楽に傾倒していた彼は16歳で高校を中退すると、ミュージシャンを目指してロサンゼルスに移り住む。

画像: 「21ジャンプ・ストリート」

「21ジャンプ・ストリート」

訪れる転機。そしてスターの地位を確率

20歳のとき、メイクアップ・アーチストのロリ・アン・アリソンと結婚したことが人生の転機になる。デップはアリソンの元恋人だったニコラス・ケージと出会い、俳優への転身を勧められて、ホラー映画「エルム街の悪夢」(84)でデビュー。
「プラトーン」(86)の端役をつかむと、ティーン向けのTVシリーズ「21ジャンプ・ストリート」(87~90)で、高校に潜入する若き刑事役でたちまちブレイクする。

しかし、アイドル扱いされることを嫌ったデップは自分の活躍の場は映画と見定めて、「クライ・ベイビー」(90)で映画初主演を果たす。
そして、次ぐ「シザーハンズ」(90)で長年の盟友となるティム・バートンと出会い、作品もヒット。純真無垢な心を持つ異形の青年をナイーブに演じて、映画スターとしての人気を確立する。
 

「クライ・ベイビー」

デップが自分の過去と向き合えた作品とは

その頃、ハリウッドの若手スターと言えばトム・クルーズ、少し遅れてブラッド・ピットがいた。ほぼ同世代の彼らは何かと引き合いにされたが、クルーズやピットがハリウッドのメインストリームを行くのに対して、デップは人生の負け犬と言われる役どころを好み、そんな作品を描きがちな監督たちとのコラボも多かった。

たとえば初期の代表作である「ギルバート・グレイプ」(93)では田舎町で家族の世話に明け暮れ、自分を犠牲にして生きる主人公に扮した。それはデップに自身の貧しかった子ども時代や家族との記憶を思い起こさせ、デップ曰く『この映画に出たおかげで自らの暗い過去と向き合えた』とか。

画像: 「シザーハンズ」

「シザーハンズ」

そしてついに出会う、「パイレーツ・オブ・カリビアン」!

デップの人生絶頂期に、ディズニーランドのアトラクション「カリブの海賊」をもとにしたアドベンチャー映画、ディズニー制作の娯楽大作「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」(03)がオファーされた。

画像: 「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」

「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」

もっともこの作品、当初はあまり期待されていなかった。というのも、デップはインディーズ俳優と思われていたし、海賊映画は当たらないというのが定説だったからだ。しかも、出来上がった作品を見た当時のディズニーのCEOマイケル・アイズナーが『ジョニー・デップは映画を台無しにしている!あれは酔っ払っているのか!』と大激怒し、デップは降板寸前だったのだ。

ところが、蓋を開けると映画はまさかの大ヒット。アウトサイダー専門というイメージが強かったデップは、一気にメジャーに躍り出ただけでなく、アカデミー賞主演男優賞にノミネート。
また同年、ピープル誌の“最もセクシーな男性”にも選ばれるなど、期せずして名実共に世界的なスーパースターになったのだった。

後編はこちら!

 

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