はじめて企画されてから実に5年。難航に難航を重ねて遂に1971年に公開されたスティーヴ・マックィーン主演、空前の超大作カーレース映画「栄光のル・マン」。難航の原因は監督の途中交代や製作費の使い過ぎなど色々あったようだが、すべてはこの映画に賭けた製作者スティーヴ・マックィーンの意欲の表れであった。

ル・マンにマックィーンが出場か!?

画像1: ドキュメンタリー映画「スティーヴ・マックィーン その男とル・マン」(2016年)より

ドキュメンタリー映画「スティーヴ・マックィーン その男とル・マン」(2016年)より

アメリカ映画界最大のスターと言われたスティーヴ・マックィーンが自ら主宰する製作会社ソーラー・プロダクション。このソーラー・プロをもって製作に臨んだ映画「栄光のル・マン」。マックィーンは、事実上、製作・脚本・監督・主演の四役をこなし生涯の夢を実現させた。
1970年6月13~14日、その年の“ル・マン”はプロ・レーサーでもないマックィーンがポルシェに乗って出場しようとして話題となったが、生命保険会社からの横槍か、ソーラー・プロの万が一の配慮か、結局はマックィーンのレース出場は果たせなかった。
パリから車で約3時間、“ル・マン”のレース場近くに、ソーラー・プロが撮影のために作ったソーラー・ビレッジ。写真は、撮影が難航するなか現場付近を行ったり来たりするマックィーン。マックィーンと言えば、映画「大脱走」をはじめ、プライベートでも大型バイクで疾走しているイメージが強いが、そのマックィーンがホンダのスーパーカブに乗っているとは、本田宗一郎さんもご存じだったのだろうか(笑)。

画像2: ドキュメンタリー映画「スティーヴ・マックィーン その男とル・マン」(2016年)より

ドキュメンタリー映画「スティーヴ・マックィーン その男とル・マン」(2016年)より

臨場感にこだわったマックィーンの思い

もともと製作予算700万ドルが900万ドルとなったと言われるこの映画、本当のレースの模様を約90台のカメラで撮影したと言う。さらに、マックィーンはその後のどんな撮影シーンにもすべて立ち会い、監督に細かく指示を出し続けたことが、当初予定の巨匠ジョン・スタージェスの交代に繋がったとも言われる。
前の車がスピンを起こして数回転、ガードレールにぶつかって止まるというシーン。パナビジョン・カメラを積んだポルシェが大胆に後を追う。前方の車が予定通りスピンを起こし急停止。カメラを積んだポルシェは急ブレーキも及ばず前の車に激突。ドライバーは軽いかすり傷で済んだもののカメラ車は故障。そういった撮影の一コマにもマックィーンの執念を感じる。しかし、これで撮影は、車が直るまでしばらく休み。写真からはマックィーンの心のうちは伺い知れないが、撮影が予定通り進まずイライラがつのる…、そんな、らしくない表情なのかもしれない。

画像: リー・H・カッツィン監督と ドキュメンタリー映画「スティーヴ・マックィーン その男とル・マン」(2016年)より

リー・H・カッツィン監督と
ドキュメンタリー映画「スティーヴ・マックィーン その男とル・マン」(2016年)より

実はこの写真、「なつかしのハリウッドスターカレンダー2018」の9~10月を飾っている。その他、映画「ローマの休日」(1953)の撮影中のオードリー・ヘプバーンとウィリアム・ワイラー監督(1~2月)、仲睦まじいポール・ニューマン夫妻(3~4月)、第14回カンヌ国際映画祭(1961)にて人気絶頂のアラン・ドロン(5~6月)、撮影の合間にサインに応じるアン・マーグレット(7~8月)、警察官らと仲良く腕組みするマリリン・モンロー(11~12月)など、なつかしのハリウッドスターたちがカレンダーで甦る。来年のカレンダーに“なつかしのハリウッドスター”はいかがだろうか?

This article is a sponsored article by
''.