1993年1月20日、まだ63歳という若さでこの世を去った女優オードリー・ヘプバーン。数々の名作に主演した当時も熱狂的な人気を誇ったオードリーですが、その死後、四半世紀が経とうとしている今もなお、世代を越えた人々から愛される奇跡的な女優として知られています。そんな彼女の魅力、偉大さとは何か?改めて探ってみましょう。(文・清藤秀人)

編集部追記:2018年01月21日に公開された記事を2019年01月23日に一部更新しました

2019年1月20日は26回目の命日。オードリー・ヘプバーンの素顔を語ろう

01:ファッションと美の基準に革命をもたらす

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1950年代のハリウッドではマリリン・モンローやエリザベス・テーラーに代表されるグラマラスでセクシーな女優が人気だった。そこに突如登場したオードリーは、グラマーとは正反対のスリムなボディと、性別を超越した、そう、文字通り“妖精”のような魅力で映画界に独自の地位を築いて行く。

細い体にフィットしたクルーネックセーターや丈が短いパンツ、そして、バレリーナが履くようなフラットシューズは、オードリーが身に付けることによってヒットアイテムに。また、前髪は短く、サイドをカールした“ヘプバーンカット”を始め、作品毎に少しずつ変化していくヘアスタイルも含めて、ファッションアイコンとしてトレンドの発信源になって行く。

02:初主演作で世界に旋風を巻き起こす

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それはハリウッド映画史上、またオスカー史上稀に見る快挙だった。

それまで女優としてはほぼ無名だったオードリー・ヘプバーンが、ハリウッドデビュー作の「ローマの休日」で、いきなりアカデミー賞の主演女優賞をゲットしてしまったのだから。巨匠ウィリアム・ワイラーの演出に導かれ、こっそり抜け出したローマの街で恋と友情を紡ぐ王女の揺れ動く心を、生来の瑞々しい感性を駆使して演じきったオードリー。汚れ役や体当たり演技でなく、プリンセス役でオスカー受賞というのも画期的な出来事だった。

ハリウッド初の海外ロケ映画だった「ローマの休日」は、その海外、中でも日本で大ヒット。オードリーは“妖精”と呼ばれて一世を風靡する。

03:時を越えて愛される人気の根強さ

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市井の人々の日常に触れて心身共に解放されていく「ローマの休日」の王女、運転手の娘がパリで洗練されて帰郷する「麗しのサブリナ」、花売り娘が社交界デビューする「マイ・フェア・レディ」と、オードリーが演じた多種多様の変身物語は、演じる彼女の決して絵空事ではない、人物の感情に自分の感情を重ね合わせられる天性の才能によって具現化されたもの。そこが今も新しいファンを発掘し、且つリピーターが多い理由でもある。

恐らくそんな女優は滅多にいないし、装飾を抑えたシンプルな服の着こなしも、同じく時間の洗礼を受けないおしゃれの基本テキスト。繰り返し観ても、着ても飽きないオードリー映画とファッションなのだ。

04:私生活を守るセレブの先駆者

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女優として道を極める一方で、何よりも家庭を大切にしたオードリー。それは、幼い頃両親の離婚を経験した辛い思い出の裏返しでもあった。1954年に俳優兼製作者のメル・フェラーと結婚して以降も、スイスに構えた住まいと仕事場であるハリウッドを頻繁に往復。どんなに多忙でも夫婦の時間を優先するそのライフスタイルは、1960年に長男ショーンが誕生し、やがて、フェラーと離婚後、イタリアの精神科医アンドレア・ドッティとの再婚に伴いローマに移住してからも、ずっと変わらなかった。

慌ただしいショービジネス界とプライベートを完全に分けることで、心も体もリフレッシュする。そんな賢いセレブのパイオニアがオードリーだった。

05:死の直前までボランティア活動を

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第二次大戦の終結を当時の居住地オランダで迎えた時、ユニセフの前進UNRRAの支援活動を目の当たりにした経験と、生来の子供好きから、オードリーはユニセフの活動に何らかの形で貢献したいと願っていた。念願かなって1989年には正式にユニセフ親善大使に任命されるが、すでにその前からエチオピアを始め紛争地域で飢餓と病気で苦しむ幼い子供たちと面会。女優として培った知名度が基金の増加に繋がるのなら死をも厭わないその姿勢は、最後の訪問地ソマリアを訪れるまで変わらなかった。

そして、ソマリアから帰国して4ヶ月後の1992年9月、病によりこの世を去ったオードリー。それは自分の意思に従い生き切った濃厚な63年の生涯だった。

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