3月4日のオスカー賞で、衣装部門のプレゼンターとして舞台に上がって、「60年一緒だった夫が一昨年に亡くなって。。」と突然話し始めて、人々はテレプロンプターから外れて、自分のことを喋り出したのだろうか?と心配させたエヴァ・マリー・セイント。おもむろに「考えてみたらオスカーより私の方が年上なのですね」としんみり。1924年7月4日、ニュージャージー州生まれですから93歳。母と同い年です。

成田 陽子(なりた・ようこ)
ロサンジェルス在住。ハリウッドのスターたちをインタビューし続けて37 年。これまで数知れないセレブと直に会ってきたベテラン映画ジャーナリスト。SCREEN誌特別通信員としてハリウッド外国人映画記者協会に在籍。

「イーディス・ヘッドはかいオスカー候補になってました。映画の衣装はとても大事ですね」

としばらくハリウッドの衣装の歴史を話して、やっと候補者と受賞者の名前をアナウンスしましたが、その語り口のシャープなこと、言い淀んだりせずに、しっかりと言葉を発音して、そこらの若手俳優よりはるかに滑舌が良くて、嬉しくなりました。その上に、優しくて、上品で、誰もがこういう女性が自分のおばあさんだったらなあと思ったはず。

1954年の「波止場」でエリア・カザン監督にマーロン・ブランドの相手役として起用され、映画出演初めてにしてオスカー候補に選ばれて、晴れて受賞したというラッキーなスタートを切ってます。
ヒッチコック監督は「北北西に進路を取れ」(1959)にエヴァを起用、自分好みのブロンド女性にするために腰まであった髪を切るように命令、おまけに声を低くして、大人の女性のセクシーなトーンにするようにと。

高級デパートのバーグドーフ・グッドマンに連れて行き、格調のある、エレガントな洋服を選んだのもヒッチ自身でした。そして、彼の映画に出てくるほとんどのショートヘアーのブロンド美人の知的で、少し近寄りがたい、ミステリアスな女性に仕立て上げたのです。

ヒッチは

「君は台所が似合う女優を目指しているようだが、女性の観客は自分の生活からずっと遠くにいる女性に憧れ、それが逃避になっているのだよ。もう台所の女性は辞めたまえ」

と言ったそうですが、私も同感です。惨めで、強い耐えられている女性、汚い台所で貧しいお料理を強いられている女性の映画は敬遠、知的で、美しい女性がウイットを行使し、自分で独立して道を開いていく、といった映画のほうを選びます。もちろん例外はありますが、ヒッチはやはりビジネスを考えているのですね。

共演のケイリー グラントは緊張しているエヴァを見て

「ハイヒールを脱ぎ捨てて、楽しむ気分で映画に出なさいよ」

と助言したとか。いかにもリラックスモードが身上のケイリーが言いそうな言葉です。

1965年にジェフリー・ヘイデンという制作者の夫と結婚、息子と娘の二人の子供を授かり、2016年に亡くなっています。

2014年の「ニューヨーク冬物語」にコリン・ファレルと共演した時に会見しました。その前にも「スーパーマン リターン」(2006)に出演した時にもインタビューしたのですが、その時のツーショットは見つかりません。

繊細で、上品で、選ぶ言葉も的確な素晴らしいシニア レディー、お手本にしたい女性でした。

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