LA在住の映画ジャーナリストとして活躍中の筆者が、“SCREEN”のインタビューなどで毎月たくさんのスターに会っている時に、彼らの思わぬ素顔を垣間見ることがあります。誰もが知りたい人気者たちの意外な面を毎月一人ずつお教えする興味シンシンのコーナーです。今回は、「君の名前で僕を呼んで」で話題沸騰!ティモシー・シャラメの登場です。

成田 陽子(なりた・ようこ)
ロサンジェルス在住。ハリウッドのスターたちをインタビューし続けて37 年。これまで数知れないセレブと直に会ってきたベテラン映画ジャーナリスト。本誌特別通信員としてハリウッド外国人映画記者協会に在籍。

アーミー・ハマーがティモシーを〝ティモテー〞と呼んでいる理由は?

フランス人の父親を持って生まれたためにティモシーは1年のうち3分の1以上はフランスで過ごして育ち、実際の名前の発音はティモテー、というそうで、実際「君の名前で僕を呼んで」で共演して実生活でも大の仲良しになったアーミー・ハマーはいつも『ティモテー』と呼んでいる。

さて、見る見るうちにオスカー候補の若手演技派に躍り出たティモシーには既に3回程会ったのだが、最初から文学的表現を会話に取り入れ、ちょっぴり斜めに構えたアングルで話しを進めるとびきりの知的人間であった。

小さい時からコマーシャルに出て、その後舞台の魅力に取り憑かれ、最初から舞台での演技を認められたせいだろう、舞台周辺で過ごした上に、高校生の時から芸術性の高いコミュニケーションを使っていた成果が覗いている。もちろん両親、祖父母のほとんどがハーヴァード大などの名門を卒業して作家になったり、制作者やパーフォーマーになったりの育ちも大いに影響しているだろうが。

ここで「君の名前…」の時のティモシーの落ち着いたインタヴューの内容を紹介しよう。

画像: 「君の名前で僕を呼んで」

「君の名前で僕を呼んで」

『僕が通った高校は「フェーム」のモデルになったフィオレロ・ラガーディア高校で、僕は完璧なまでの劇場っ子だった。ここで舞台装置から照明、エキストラの役から、歌って踊ってのミュージカル、シェークスピア劇と学年が進むと共に重要な技術を学んで、高3の時にTV の「ホームランド」の役を貰って、そこからテレビと映画の道が開いて行った。

でも僕は舞台の全てが大好き。映画はクローズアップでカメラを意識する時とかに全く違う演技が要求されるから、それもまたすごくチャレンジングだけれどね。

この映画は人生でたった1度の大恋愛を描いている。原作を何度か読んでどうしてそれほど多くの人に愛されるのか、よく分かった。アーミーの乗った列車が駅を去って行く。もう2度と会えないかもしれない彼が消えて行く。読んでいて僕は感動し、激情に襲われた。これ程の恋愛を僕はどこまで演じられるだろうと身震いしてしまった。

ベルリン映画祭に原作者のアンドレ・アシマンが出席していて、僕は彼のもとに行って「あなたの意見は誰のものより僕にとって重要です。僕の役作りは原作を貶めたりしなかったでしょうか」と不安に駆られながらも聞いてみた。彼は最高に親切な感想を言ってくれて僕は泣き崩れそうになってしまったんだよ。

撮影前に6週間、監督自身のヴィラでアーミー達と過ごした時間は素晴らしかった。ピアノとギターとイタリー語を習い、監督やアーミーと話し合い、おいしい料理を食べ、すっかりイタリーの田舎の鄙びた、でも知的刺激にも満ちた生活を満喫した。あの準備時間がこの映画の成功につながったと固く信じている』

画像: 筆者とシャラメ

筆者とシャラメ

母も女優、叔父は監督、伯母は脚本家という業界ファミリー

『両親とは何でも話す。セックスのこともゲイのことも、次の映画では麻薬中毒の若者の役なのだけれど麻薬の使用から中毒の恐ろしさまで詳しく話してくれたし。母はもともと女優だったから理解があるし、父はフランス人で文化の違いから、人種のこと、何でも気楽に会話が出来るという、極めてオープンな家庭に育って来た。そういう意味では僕はとってもラッキーだった。

祖父はハロルド・フレンダーといって「レスキュー・イン・デンマーク」という第2次大戦のホロコーストを描いた本を著したし、叔父は監督、伯母は脚本家だから僕は運命的に呪われているんだよ(笑)。それに僕の母はユダヤ系だから、映画の家族の背景もかなり分かるし。

大好きな夏の過ごし方? ヴァカンスで人が少なくなったパリで、エディット・ピアフや、ムーディーな歌なんか聞こえているカフェで色々なことを考えたり、本を読んだりの静かな時間が好き』

何とも大人のテイストを持つティモシーなのであった。

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