多くの日本人にとって知られざる衝撃的な歴史の闇をえぐりだす
戦争映画というジャンルにおいて、ベトナムを題材にした名作、傑作は数知れない。マイケル・チミノの『ディア・ハンター』、フランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録』、オリバー・ストーンの『プラトーン』、スタンリー・キューブリックの『フルメタル・ジャケット』。
鬱蒼とした熱帯のジャングルにおける混沌とした戦いと、その死と背中合わせの極限体験が引き起こす人間の狂気を映像化したこれらの戦争映画は、今なお色褪せない強烈なインパクトを放っている。
しかしベトナムの歴史をさかのぼると、対米ベトナム戦争の前段としてインドシナ戦争があり、それ以前にはフランス統治下の長い植民地時代があった。フランス領インドシナとは、19世紀後半から1954年までフランスの支配下に置かれたインドシナ半島東部(現在のベトナム、ラオス・カンボジア)のことだが、この時代の複雑な歴史を扱った映画は決して多くない。
フランス映画祭2016で上映された『愛と死の谷』で絶賛を博した鬼才、ギョーム・ニクルーが新たに撮り上げた本作は、宗主国フランスの視点で第二次世界大戦末期におけるインドシナの凄惨な真実に迫った一作。
ベトナムでの現地ロケを敢行したことからもニクルー監督の並々ならぬ野心がうかがえるが、本作が描く当時のフランス領インドシナには日本軍が進駐しており、ベトナム人民はフランス軍と日本軍に二重支配されていた。多くの日本人にとって知られざる、衝撃的な歴史の闇をえぐり出した戦争ドラマである。
ひとりの若きフランス人兵士の壮絶なる肉体と魂の彷徨を通して本作があぶり出すのは、まさしくこの世の地獄というべき戦場の生々しい現実。ニクルー監督は殺戮という無慈悲な行為が日常化し、兵士がいともやすやすとただの肉塊に変わり果てていく戦争のあまりにも不条理なリアルを、いわゆる痛快な見せ場や扇情的なバイオレンスを一切排除した禁欲的な演出スタイルで映し出す。
透徹したリアリズムにほのかな幻想性が入り混じったその映像世界は、人間が人間でいられなくなる〈最も“死”に近い場所〉へと観る者を誘っていく。説明描写をあえて最小限にとどめ、想像と解釈の余地を広げた独特のストーリーテリングの手法も実に刺激的。心身共にずたずたに傷ついた主人公の“行き着く果て”はどこなのか、最後までまったく目が離せない。
主人公ロベールを演じるのは、『ロング・エンゲージメント』『ハンニバル・ライジング』『サンローラン』で世界中を魅了したギャスパー・ウリエル。持ち前の端正な美貌に加え、グザヴィエ・ドラン監督と組んだ『たかが世界の終わり』ではセザール賞に輝く繊細な名演技を披露したフランスのトップスターが、ベトナム人娼婦との激しいセックス・シーンも熱演。理性と狂気、愛と死の狭間でもがく兵士の痛切な運命を渾身の演技で体現した。
また名優ジェラール・ドパルデューが、ロベールの魂を救済しようとする作家役で出演し、映画に確かな重みを与えている。
この世の果て、数多(あまた)の終焉
2020年8月15日(金)より、シアター・イメージフォーラム他にて全国順次公開
配給:キノフィルムズ・木下グループ