「こんな怪物映画は売れないと言われたよ」
本作は、19 世紀のロンドンで”エレファント・マン“と呼ばれた実在の青年ジョゼフ・メリックの生涯と彼を取り巻く人々の交流を描いた感動作。
長編映画デビュー作『イレイザーヘッド』(77)でカルト的な人気を得つつも、当時 33 歳だった新鋭デイヴィッド・リンチ監督の名を一躍世界中に轟かせることとなった作品だ。
日本では 1981 年 5 月に公開され、国内外合わせたその年の全公開作品の中でナンバーワンの配収を記録。社会現象とも言える一大ブームを巻き起こした。
このたび解禁となるのは、デイヴィッド・リンチが『エレファント・マン』を製作するに至った、「エレファント・マンの始まり」 をリンチ自らが赤裸々に語るインタビュー映像。
カルト的人気を集めたリンチの長編映画デビュー作『イレイザーヘッド』(77)の後、自作の脚本に着手していたが、資金繰りがうまくいかずに断念。自身が監督として活躍できる作品を探していたところに、映画プロデューサーであるスチュアート・コーンフェルドが推薦してきた 4 作の脚本のうち一作目が『エレファント・マン』だった。
リンチは本作との運命的な出会いを振り返り「頭の中で小さな爆発が起こった気分だった。直感で”これだ!“とすぐに分かった」と語っている。
しかし「6件ほど製作会社を当たったがすべて断られた。こんな怪物映画は売れないと言われたよ」と当時の苦労を明かす。
そして、本作ではノンクレジットであるが、製作総指揮を担当したコメディ俳優で名高いメル・ブルックスがリンチを監督に起用した裏側も明らかに。当時リンチの存在を知らなかったブルックスは、『イレイザーヘッド』を見てから決断することを告げ、「僕は“終わった”と思った」と、リンチが
その時の心境を語る場面も。
その後ブルックスはリンチの作品をいたく気に入り、無事監督として『エレファント・マン』をスタートさせることとなったという。作品完成に至るまでの経緯や貴重なエピソードが語られるファン必見の映像だ。
エレファント・マン 4K修復版
2020年7月10日(金)より新宿ピカデリーほか全国“緊急”公開
配給:アンプラグド
©1980 BROOKSFILMS LTD