コロナ禍にあり、すっかりコロナに邪魔された形になった、本連載インタビュー。毎回、ご登場の方をリアルに撮影して下さっていた写真家の安井進さんのオリジナル写真も、残念ながらお休みです。この間、コロナに負けない新作映画を選んでの、リモートによる監督インタビューを試みました。誰にとっても起こりうるハプニングを乗り越えて、観る者を心穏やかにしてくれるような作品、『Daughters』との出会いと、津田肇監督(カバー画像)インタビューが、映画へのモチベーションを上げてくれて嬉しいです。

「妊娠」が、ひきがねに。こだわりは「ルームシェア」

画像: 「妊娠」が、ひきがねに。こだわりは「ルームシェア」

──ご自身の体験を活かしたということですが、主人公の一人が、ルームシェアのパートナーの妊娠を知り、その彼女がシングルマザーとなっても、仕事を続けていくという意志をサポートするようになる。その小春という女性に、監督ご自身を託したということなのですね?

「そうですね。まず、私自身、学生時代から男二人のルームシェアというライフスタイルにこだわっていた経験があり、そういう生き方を映画作品の中に活かしてみたいと、かねてより思っていました。

自分自身も、血の繋がらない他人との暮らしというものに、こだわりを持って20代を送っていたわけです。22歳から現在も続けているイベントの演出という仕事に就いている中で、映像の仕事だけでなく空間づくりにも携わっていましたが、映画を撮りたい、映画監督として作品を作ってみたいという想いはずっと持ち続けていました。

そのきっかけになったのが、(現在、妻となっている女性の)「妊娠」でした。その体験が自分を突き動かし、映画を作るモチベーションになりました。だから、今回の作品に込めたキーワードは「ルームシェア」と「妊娠」。そして、妊娠させた男性を主人公にするより、女性同士の世界にする方が断然良いと思いましたね」

──映像作家というだけではなく、あえて映画監督になりたいと思うようになったのはいつ頃からだったのですか?

「かなり、幼いころから漠然と意識していたように思います。小学生の頃から図画工作が得意で成績も良かった。当時はまだ、大勢で作る映画を作りたいという願望以前に、一人で自分の世界を作り上げることが好きで、絵を描くことや空間を創りあげるというようなことに没頭していました。慶應大学時代には映画を作って、『東京学生映画祭』に出品したら受賞もしたんです」

──そうでしたか。映画監督をめざす気持は募るばかりだったのですね。その間に影響を受けた映画や映画監督というと?

「小学生高学年くらいからですから、ジブリもありますが、父親の影響が大きかったように思います。父親は黒澤明監督の作品が大好きだったのですが、作品を観るだけでなく、黒澤監督に関する資料などを数多くコレクションしていたりしていました。私も自然に黒澤監督の作品を観るようになり、特にカラー作品に魅了されていきました」

黒澤明、ゴダールの影響と、その色味

──というと『夢』(1990)とかですか

「まさに、黒澤監督の『夢』とか『乱』(1985)ですね。『夢』(8話オムニバス作品の中の『日照り雨』)に描かれた狐の嫁入りのシーン、狐の面の行列や、(『鴉』の)ゴッホの絵で鴉が飛んでいくところなどのインパクトに圧倒されました」

──『夢』の黒澤監督の絵コンテはまさに、アートでしたね。監督の今回の作品でも、絵画的と言うか、色彩に妥協を許さない点が多々あることがよくわかります。主人公のコスチュームや部屋の壁紙の色など。

「『Daughters』の主人公二人のコスチュームを黄色と青にして、強烈にシンボライズしたりしてみたかったのは、ジャン=リュック・ゴダールの『女は女である』(1961)とか、『気狂いピエロ』(1965)の圧倒的な色彩に影響されているように思います。

それが、若い女性二人の暮らしとして、現実的ではないと映ることもあるかも知れないですが、あえてリアルではない世界を意識しました。ドキュメンタリー作品で優れた映画が多い中、フィクションの映画はファンタジーに近くて良いと考えたんです。ファンタジックなムードのある部屋に暮らす二人をめざしました」

──なるほど、それにはやりがいも感じられたことでしょう。そして、コスチューム、美術、音楽と思いの丈を盛り込んだ作品ですが、ロケーションも、「脇役」といっても良いくらいに思い入れがあって手抜きがないですね。中目黒という場所へのこだわりの意味は?

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