!注意!
本作は1980年にオーストリアで実際に起こった事件を基に描かれた作品です。実在の殺人鬼の心理状態を探るべく制作されたスリラー映画であり、娯楽を趣旨としたホラー映画ではありません。この手の作品を好まない方、心臓の弱い方はご鑑賞をご遠慮ください。
本物の“異常” を目撃する覚悟はできましたか?
SCREEN3月号の80ページにて発表されている『映画評論家が選んだ最も優れた映画2020』で、私は「アングスト/不安」(1983)を第8位に選出している。たとえ日本劇場初公開でも、1983年に製作されたこのような旧作を、私がベストテンに据える事はほとんど無い。映画は作られたその時代の空気の中に於いてこそ評価すべき、と考えているからだ。
しかもこの映画、1988年に『鮮血と絶叫のメロディー/引き裂かれた夜』というタイトルでビデオ発売はされている。当時は見逃していたけれど。
だがしかし敢えて今回選出したのは、とても旧作とは思えぬ普遍の新鮮さ、あればこそ。それどころか、ドローン撮影も無き時代に、これどうやって撮った!?的映像の釣瓶打ちなのだ。
見る者の“不安”を増幅させる撮影法とカメラワーク
開巻、一見ハンサムながらどこか神経症的翳りある、アーウィン・レダー扮する殺人鬼Kの登場Kをとらえる不安定で奇妙な画角。Kが歩き出すとピッタリくっついて離れぬカメラ。
どうやら役者の体にカメラを装着しているらしく、不思議な眩暈感で一気に“不安”な世界に引き摺りこまれる。今で言う自撮りの先取りか。
そうかと思うと、極端な口や目元のアップだ。立ち寄った食堂で、極太のフランクフルトを貪る口のどアップと、カウンターにいる美女たちのアップのカットバックが不気味な官能を煽りたてる。
この編集や撮影を担当したのは、ポーランド出身の知る人ぞ知るズビグニェフ・リプチンスキ。この映画のためにクレーン撮影や鏡を駆使した技術的小道具を開発し、このように、おぞましくもアートで独自のカメラワークを創りあげたという。
家屋に押し入り、老婦人や娘、車椅子の息子の一家三人を殺害の場面からは、常に俯瞰気味のショット、あるいは真逆の仰角ショットが“不安”を見事に増幅させる。いわゆる普通のミドルショットはほとんど無い。死体を隠そうとKが屋外に出ると、解放されたカメラの俯瞰ショットは更に魅力的に効果を増す。
耳に付いて離れない音楽も絶妙だ。塚本晋也監督「鉄男」のメタル打ち込みっぽい音を軸に哀切なリズムを被せ、観客の心理をざわつかせる。音楽は元タンジェリン・ドリームのドイツ出身クラウス・シュルツ。
映像に音を付けたのではなく、出来上がった曲を聴きながら映像が編集されたのだという。これも今で言うMTVっぽい、当時としては先進的な手法だろう。セリフは主人公のモノローグのみ、という“音”もただごとならぬ“不安”な空気を醸し出した。
本作の失敗で全財産を失ったジェラルド・カーグル監督
こうした時代に先駆けた演出を試みたのは、オーストリア出身のジェラルド・カーグル監督。あまり知られていないのは、これ一作しか撮っていないからか。20代の頃に映画祭を主宰したり、映画誌を立ち上げ編集したという、映画オタクの突然変異。
嵩じて、1980年オーストリア中を震え上がらせた一家惨殺事件に触発され、40万ユーロの借金をして、この映画を完成させた。しかし、映画興業は惨敗。
そりゃそうだろう。今見ても斬新なこの映画、いかにも時代に早すぎた。ジャンル映画とはいえ特殊メイクで楽しませたり、サム・ライミが仕掛けるようなエンタメではなく、シリアルキラーの心理を辿る言わば再現フィルム。全財産を失ったカーグル監督は、以降CMの制作で食いつなぎ借金返済に充てたとか。
だが撮り続けていたとしても、こうした狂った傑作は生涯に一本しか撮れないのが世の常だ。作家として前作を越えられない不安よりも、30数年を経て、ようやく時代が追いついて、こうして再評価される方がこの映画には、そしてカーグル監督にも幸福だったのかもしれない。
正直、シリアルキラーものは腐るほどあるが、その何れとも似ていない、アーティスティックな孤高の傑作なのだから。
「アングスト/不安」
2021年2月17日(水)発売
ブルーレイ5,800円+税、DVD=3,800円+税/キングレコード
特典:予告編集、ギャスパー・ノエコメント映像、監督インタビュー、ズビグニェフ・リプチンスキインタビュー、音声解説数種ほか
© 1983 Gerald Kargl Ges.m.b.H. Filmproduktion