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スピルバーグ印の映画、米国ヤングスターが台頭し、
やがてキアヌ、ブラピ、レオらが次々と彗星のように出現
いまも続くスター&監督名鑑が付録につくようになったのが1980年。この年にはアルフレッド・ヒッチコック監督やスティーヴ・マックィーンが、翌年にはウィリアム・ワイラー監督、ウィリアム・ホールデンといった往年の監督・スターが亡くなり、映画界も新旧交代。スティーヴン・スピルバーグ監督は「レイダース/失われたアーク」「E.T.」と特大ヒットを飛ばした。
YA(ヤングアダルト)スター、ブラットパックと呼ばれる若手スターが台頭したのも80年代。マット・ディロン、ラルフ・マッチオ、ロブ・ロウらが新たな人気者になった。だが1983年に男優として23年ぶりに表紙を飾ったのはジャッキー・チェン。コミカルなカンフー・アクションが受けて読者選出人気投票で一位になるほどだったのだ。同じ1983年には急速に浸透してきたビデオ、レーザーディスクを紹介するレギュラー・ページが新設されている。また都内ではいわゆるミニシアターが次々と誕生し人気を集めた。
ジャッキー・チェンは毎号のようにカラーグラビアを飾った
「 トップガン」のトム・クルーズをフィーチャーした当時の記事
80年代中期には「ゴーストバスターズ」「グレムリン」などのSFX映画が人気を集め、特に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は大当たりし、主演のマイケル・J・フォックスは来日もして新たなトップスターとなった。
1986年には「トップガン」が登場、トム・クルーズは他の若手スターから一線を画する存在となり、翌1987年には「スタンド・バイ・ミー」でリヴァー・フェニックスが出てきた。「アナザー・カントリー」や「モーリス」がミニシアターでヒットし、英国美形男優ブームが起こったのもこの頃だった。
90年代に入ると「プリティ・ウーマン」のジュリア・ロバーツ、「恋人たちの予感」のメグ・ライアンら新たなヒロイン女優が日本でも人気を獲得、ジョディ・フォスターも「羊たちの沈黙」で再び人気に。「ホーム・アローン」のマコーレイ・カルキン、「ターミネーター2」のエドワード・ファーロング、「依頼人」のブラッド・レンフロといった子役スターも人気者になった。だが、新たなスターの台頭の影には悲報もあった。オードリー・ヘプバーン、リヴァー・フェニックスが惜しまれながら亡くなったのだ。
レオナルド・ディカプリオ、キアヌ・リーヴス、ブラッド・ピット、ジョニー・デップら、現在も活躍を続けるスターたちが登場したのもこの頃。レオは1994年に男優として十年ぶりに表紙を飾っている。
スクリーンは創刊50周年の1997年2月号からA4ワイドとさらに大判化していまのサイズになり、誌名も再びSCREENと英文表記になって現在に至っている。当時の興行記録を打ち立てた「タイタニック」が公開されたのもこの1997年だった。90年代最後の年1999年には「スター・ウォーズ」の新三部作第一弾「エピソード1/ファントム・メナス」や「マトリックス」の第一作、M・ナイト・シャマラン監督の「シックス・センス」などが公開されヒットを飛ばした。
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