2021年8月に亡くなった俳優の千葉真一(享年82)。その自伝的書籍『侍役者道~我が息子たちへ~』が、12月22日に発売された。
そこで今回『侍役者道』の見どころ(読みどころ)でもある「日本人なら知っておきたい 世界の千葉ちゃん10大伝説」をざざっとご紹介しよう。

1:日本初のアクション俳優

たぐいまれなき身体能力を持ち、日体大でオリンピック選手を目指していた千葉真一。しかし学費稼ぎのアルバイトで肉体を酷使した結果、負傷。オリンピック出場を諦めなければならなくなってしまった。
 だが、そんなことでへこたれる千葉真一ではなかった! 東映ニューフェイスのオーディションに応募、見事26000人の中から選ばれ、さらに『新七色仮面』の主役に抜擢される。
 千葉真一は考えた……俺には肉体しかない!
そして、「危険なアクションも、すべて自分でやらせてください」と進言。結果、仮面被ったまま2丁拳銃持って2階から飛び降りちゃうような、無茶苦茶なアクションで視聴者を魅了していくのだった。

2:誰も見たことない、やったことない危険なスタント

1968年に始まったテレビドラマ『キイハンター』で千葉真一はブレイク。国民的アイドルに。
だが、それでもなお、危険なアクションを自ら演じ続けた。なぜなら、それは千葉真一にしかできなかったから! ヘリコプターやロープウェーに宙吊りになったり、砂浜でジープに引きずられたり。ときには格闘シーンで悪役を殴り飛ばしたあと、吹き飛んだ悪役ですらも千葉本人がスタントしたという。
人々は、こんな今まで見たことがなかった衝撃映像を、毎週見ることになるのであった。

画像: 『キイハンター』で国民的人気を得た頃

『キイハンター』で国民的人気を得た頃

3:深作監督との信頼関係と、最凶キャラクターの誕生

千葉真一の映画初主演は1961年の『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』。深作欣二監督の初監督作品でもあり、以後生涯に渡って、千葉真一×深作監督のタッグは続き、革命的な作品を世に生み出していく。
その代表的な作品が『仁義なき戦い 広島死闘篇』。当初千葉真一は、山中正治というストイックな若者役だったのだが、武闘派ヤクザ・大友勝利役だった北大路欣也が交代してほしいと言い出す。一度は、大激怒したものの、千葉真一は考えた……「深作監督はなぜ何も言わない。ひょっとして私に大友勝利を演じさせたいと思っているんじゃないか?」。
こうして、正義のヒーロー・千葉真一のイメージを一新する、いつも木刀を持ってタマを掻いている日本映画史上の最凶ヤクザが誕生した。

画像: 師と仰ぐ、深作欣二監督と

師と仰ぐ、深作欣二監督と

4:肉体は俳優の言葉……JAC創設

『キイハンター』撮影中のあるとき、吊橋の上で格闘するシーンがあった。いつもどおり悪役を殴り飛ばし、転落する悪役も自分で演じる千葉真一。しかし、タイミングがずれ、岩に激突。しばらく入院することに。
ベッドの上で、千葉真一は考えた……「自分以外にも、ちゃんとアクションのできる俳優を育てるしかない!」
そして誕生したのが、ジャパンアクションクラブ(JAC)だ。『宇宙からのメッセージ』『里見八犬伝』から『蒲田行進曲』の階段落ち、さらに特撮ヒーローまで、JACは日本のアクションに革命を起こしていく。だが、千葉はJACをただのスタントマン養成所にする気はまったくなかった。「肉体は俳優の言葉」をモットーに、真田広之、志穂美悦子といった演技も一流の俳優を生み出していくのであった。

画像: トレーニングの様子

トレーニングの様子

5:日本初のアクション監督

「もっと日本映画を面白くできないか」。常に考えていた千葉真一。だが、了見が狭い日本映画界では、イチ俳優の意見などそう簡単には通らない。理解あるのは深作監督くらい。だが、そんな現状を打破しようと思った男がもう一人。角川春樹プロデューサーだ。角川は千葉に『戦国自衛隊』のアクション監督を依頼。千葉はここぞとばかり、ためてきたアイデアを『戦国自衛隊』に注ぎ込む。ヘルメットにカメラをつけた役者目線撮影、騎馬武者の被弾シーンなどなど。
『戦国自衛隊』の成功をきっかけに、1990年には『リメインズ 美しき勇者たち』で、ついに千葉本人が監督を手がけるのであった。

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