SCREEN75年の長い歴史のうちにはいろいろな記録や逸話なども生まれました。知っておくとちょっと自慢できるかもしれない? SCREENに関するトリビアをこっそりお教えしましょう。

トリビア1:タイトルロゴにも変遷あり

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本誌の表紙を飾るSCREEN(スクリーン)のロゴはこれまでに何度か変更されている。最初は今と同様英文のSCREENの横組み(1)でスタートしたが、ほどなく縦組み(2)に。そして創刊1周年でカタカナの「スクリーン」(3)になり、1959年1月号からロゴの端々が跳ね上がって少しぽってりした?スタイル(4)になり、その1年後のアラン・ドロンが表紙を飾った1960年1月号からロゴの先が尖ったようなシャープなスタイル(5)が定着。

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この形は20年近く続き、1979年2月号から少し空いていた文字間をすべて詰めて、ロゴに縁取りを付けた新スタイル(6)に変化(実はその前号に1度だけ縁取りなしバージョンも存在)。このバージョンも18年続き、次に変わったのは創刊50周年を迎えた1997年2月号で、ここから創刊当初の英文SCREEN(7)へ回帰。この時版形も現在のサイズに変更。

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これも20年以上続き、このロゴを縮小してセンターに置く現在の形(8)になったのは、大幅リニューアルに合わせた2021年3月号から。このようにタイトルロゴを見るだけでも本誌の長い歴史を感じてもらえることだろう。

トリビア2:表紙登場回数トップテン

オードリー・ヘプバーン

Photo by Getty Images

75年の歴史で、SCREENの表紙を飾ったスターは数知れずだが、最も多くカバーになったスターでは、やはり女王オードリー・ヘプバーンの32回が最高。ちなみに彼女が最初に表紙になったのは「ローマの休日」が日本初公開された1954年のことだ。2番手はジョニー・デップの30回。彼は人気最高潮だった2006年の12か月で7回表紙になるという記録も持っている。

3番目は80年代人気アイドルだったダイアン・レインの22回。続いてこちらも息の長い人気を誇るブラッド・ピットの20回、次いで「ロミオとジュリエット」(1968)で人気爆発したオリヴィア・ハッセーの18回。これに続くのは16回のキャンディス・バーゲン、ソフィ・マルソー、レオナルド・ディカプリオ、ダニエル・ラドクリフの4人だ。

トリビア3:年間人気1位獲得回数が最も多いスター

1951年度からスタートして現在までに70回を数えるSCREEN読者の年間ベストテンで、最も1位を多く獲得したのはやはりオードリー・ヘプバーン。彼女は総計14回もトップに輝いており、亡くなった後にも1位になる奇跡を起こしている。

2位は11回のジョニー・デップだが、彼は10年連続トップというほかのどのスターも追いつけない偉業を成し遂げている。3位は60年代~70年代に日本で圧倒的人気を誇ったフランス男優アラン・ドロンで7回。4位はその生きざまも共感を呼んでいたアンジェリーナ・ジョリーで6回。5位は『大脱走』などのスティーヴ・マックィーン、『スティング』などのポール・ニューマン、『がんばれ!ベアーズ』などのテイタム・オニールの3名が5回と続く。

トリビア4:こんな意外な人たちも登場しました

古いSCREENを紐解くと、こんな作家、文化人、芸能人が登場していた?と驚くことも。ジョン・フォード監督の「リオ・グランデの砦」について作家の井上靖、監督の谷口千吉らが(1952年2月号)、アルフレッド・ヒッチコック監督の『ダイヤルMを廻せ!』について作家・江戸川乱歩らが(1954年10月号)座談会を行っている。

他にも三島由紀夫、大藪春彦、星新一といった有名作家や、円谷英二特技監督、漫画家の手塚治虫が寄稿する記事も見られる。俳優・仲代達矢がイタリア映画「野獣暁に死す」(1968)に出演した時の手記なども掲載された。

また評論家の水野晴郎が連載していた対談コーナーのゲストとして、海外スターの他に赤塚不二夫、志村けん、山口百恵など漫画家から歌手まで様々な著名人が登場。また「ジョーズ」公開時、俳優・渥美清、漫画家・藤子不二雄、作家・石原慎太郎らの鑑賞コメント(1976年1月号)が掲載されている。これらの「発見」はまだほんの一部。機会があれば古書店などで探してみてほしい。

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