世界中のオードリー・ファンが待ち焦がれた初の長編ドキュメンタリー映画『オードリー・ヘプバーン』の監督に抜擢されたのは、イギリスの新鋭、ヘレナ・コーンだ。オードリーが亡くなった翌年の1994年に生まれた、オードリーから見れば言わば”孫世代”の彼女に、そもそもなぜオードリーに興味を持ったのか?というあたりから話を聞いた。(インタビュアー/清藤秀人)

美しさの陰にコンプレックスを抱えていた

――まず、最初に観たオードリー映画はどの映画だったのでしょう?

コーン 『マイ・フェア・レディ』(64)です。母親がオードリーの大ファンでしたから。私が彼女に惹かれた理由は、当時のハリウッド女優とは演技スタイルも見た目も違っていたからです。実は私自身も若い頃細くて背が高くて、目も髪の茶色で、オードリーの黒いズボンに黒いタートルネックセーターというスタイルに憧れていました。そこから、本人はどんな人なのか?美しさの奥に潜む真実とは何なのか?という思いが強くなり、どんどん彼女のことを調べるようになったんです。

画像: ヘレナ・コーン監督

ヘレナ・コーン監督

――と言うことは、今回、幼い頃からの夢が叶ったと言えますね。

コーン まさにそう言えます。これまで本来のオードリーを描いたドキュメンタリーというのはあまりなかったと思うし、また、マリリン・モンローのように悲劇的な人生を歩んだ人とは違い、オードリーは悲劇を乗り越えた人なのであまり焦点が当たらなかったという背景もあって、今回はチャンスが巡って来たという感じです。私は彼女が悲劇を乗り越えたところに強く惹かれました。美しさの影でコンプレックスを抱え、様々な不安に苛まれ続けた人生に。そこに誰しも共感するはずだし、掘り下げる価値はあると思ったんです。

画像: Pictorial Press Ltd / Alamy Stock Photo

Pictorial Press Ltd / Alamy Stock Photo

――これまであまり画面に登場しなかった縁の人々の証言がとても貴重ですね。彼らをどうやって探し当てたんですか?

コーン 3年かかりました。でも、オードリーは友人たちと強い絆を築いていたので、ほとんどの人が出演を快諾してくれました。そこから作品の目的を丁寧に説明して、決してタブロイド的ではなく、彼女の本当の姿を描きたいという思いを理解してもらえるよう努力しました。そして、フィクションでもドキュメンタリーでもそうですが、自分が描きたいというキャラクターにこちらから心を開くことが大切です。今回、インタビュー中にその思いが溢れて何度も涙を流してしまいました。特に、エマ(オードリーの孫娘)との対話では、私と同じくオードリーが亡くなった後に生まれた彼女が、あれだけ立派な人物の孫として、それに見合うだけの存在なのかどうかについて葛藤している姿に共感してしまい、思わず泣いてしまったんです。

画像: オードリーの長男ショーンと孫のエマ Photo Simona Susnea

オードリーの長男ショーンと孫のエマ Photo Simona Susnea

生前の秘蔵のインタビュー・テープを探し当てたんです

――本作で際立っている点は、オードリー本人の肉声が随所に使われていて、人生の辛い経験について語っている部分ですね。あれはどうやって掘り起こしたんですか?

コーン とにかく彼女にインタビューしたことがあるジャーナリストたちに片っ端から連絡をとってデータが残ってないか聞いてみたのですが、ほとんどが所在不明という返事でした。そんな中で、唯一ジャーナリストのグレン・プラスキン(キャサリン・ヘプバーンやエリザベス・テーラー等のインタビューでも知られるジャーナリストでベストセラー作家)が1980年代の後半か90年代初頭に”LIFE誌”に載せたインタビューの中で、誌面には記載されなかったオードリーのコメントを抜き出して作品に配置しました。つまり、本人しか聞いてないテープをデータ化して送ってくれたんです。テープは全部で3時間あって、それはエモーショナルな体験になりました。オードリー本人が子供について、度重なる流産について、離婚について、彼女が幼い頃家を出た父親について、生涯抱えた心の不安について、演技について、人道活動について、とても生々しく語っていますから。そのインタビューは作品自体をとても意味深いものにしてくれました。他にも何人か彼女にインタビューしたジャーナリストがいるということは、まだまだ知られざるオードリーの肉声としいうのが世界のどこかに眠っているということですよね。

画像: ユニセフの活動に邁進した晩年のオードリー Pictorial Press Ltd / Alamy Stock Photo

ユニセフの活動に邁進した晩年のオードリー Pictorial Press Ltd / Alamy Stock Photo

――人道活動家としてその短い人生を捧げたオードリーが、もしも今、この戦争の時代に生きていたならどうしたと思いますか?

コーン 怒ったと思います。もしかして現地に足を運んだかもしれません。キャンペーンを張って積極的に取材も受けていたことでしょう。現地に出向いて写真を撮って、お金を寄付するだけのセレブとは違い、オードリーは国連に行って演説をして、何百万ドルもの寄付金を集めたのです。もしも生きていたら、本当に失望し、憤っていたに違いないのです。

画像: 生前の秘蔵のインタビュー・テープを探し当てたんです

『オードリー・ヘプバーン』
Audrey : More Than an Icon
2022年5月6日(金)より全国公開
(c) 2020 Salon Audrey Limited. ALL RIGHTS RESERVED.

『ローマの休日』『ティファニーで朝食を』『マイ・フェア・レディ』……数々の名作に主演し、スクリーンの妖精、永遠のファッション・アイコン、人道活動家など、様々なイメージと足跡を残して、1993年1月20日に63歳でこの世を去ったオードリー・ヘプバーン。本作は名声の裏に隠された知られざる彼女の素顔に迫る初のドキュメンタリーで、監督は気鋭の映像作家ヘレナ・コーン。
 幼いころに父親による裏切りを体験し、第二次世界大戦という過酷な環境の下で育ったオードリーは生涯をかけて過去のトラウマと向き合うことになり、私生活にも影響を及ぼした。『ローマの休日』で彗星のごとくアカデミー賞主演女優賞を獲得し、一躍ハリウッドを代表するトップスターとなっても家庭を優先し、晩年はユニセフの国際親善大使として世界の子どもたちのために、自身の名声を活かしたオードリーの真の姿とは?
(STAR CHANNEL MOVIES配給)

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