大森さわこ
映画評論家。数多くの英国俳優・監督たちにインタビュー。自身の英国文化の原点はザ・ビートルズ。「トミー」ケン・ラッセル監督のロンドンの学会メンバー。
著書『ロスト・シネマ』(河出書房新社)、訳書『ウディ』(キネマ旬報社)など
90年代は映画界の”おしどりカップル”として注目された才人たち
おしどりカップルと呼ばれる男女が映画界にはいるが、英国の場合、古くはローレンス・オリヴィエとヴィヴィアン・リー、エリザベス・テイラーとリチャード・バートンなどが、黄金のカップルといわれた。
近年、話題を呼んだ“おしどり”たちを探すと、ケネス・ブラナー×エマ・トンプソンにいきつく。90年代は英国発のパワー・カップルとして知られていた。
舞台公演で来日したふたり
ケネスとエマといえば、個人的に忘れられないツーショットが浮かぶ。1990年4月のこと。ふたりの記者会見が、東京のグローブ座で開かれ、そこで素顔のふたりを目撃した。ふたりの結婚は前年だったので、当時は新婚時代だったことになる。
ケネス率いるルネッサンス・シアター・カンパニーによるシェイクスピアの舞台『リア王』『夏の夜の夢』の上演のため来日だったが、ケネスの監督デビュー映画『ヘンリー五世』(1989)が海外で話題を呼び、日本公開も秋に控えていたので、特別会見が行われた(当時は映画界ではほぼ無名)。
1960年、アイルランドの労働者階級出身のケネスは気取りのない性格の演劇青年。1959年、ロンドンの芸能一家に生まれたエマは快活な口調が印象的だった。
ふたつの舞台も興味深く、特に『リア王』の舞台では性を超えた道化役のエマの才気が光っていた。
映画『ヘンリー五世』と気さくな素顔
ケネスには個人取材も行ったが、演劇と映画に夢を持っていて、監督デビュー作『ヘンリー五世』については『この作品は作られた時代が反映する戯曲。ローレンス・オリヴィエ版の映画『ヘンリィ五世』(1944)は戦時中に作られたので愛国的な視点があったが、今回は若者が主人公の冒険の映画にしたかった」と答えていた。
オリヴィエは30代後半でヘンリーを演じたが、当時のケネスは20代後半。それまで遊びまわっていた未熟な王子が、初めて軍を率いて戦争にいき、人間として成長する役だが、若い彼が主演することで、リアルな説得力があった。当時の彼は“オリヴィエの再来”と呼ばれた。
ケネスとエマの出会い
英国で出版されているエマの評伝本“Emma”(クリス・ニックソン著、1997年テイラー社刊)によると、ケネスはこの映画の製作中にエマにプロポーズしたそうだ。
ふたりの出会いは1986年に撮影が開始されたテレビ・ドラマ“Fortunes of War”(1987)で、ロケ中にロマンスに発展したという。当時のケネスは“英国演劇界の若き獅子”と呼ばれ、監督・俳優として才能が注目されていた。そんな彼にエマは興味津々だったという。
一方、エマはケンブリッジ大学時代はコメディ・クラブに在籍していて、卒業後はテレビや舞台のコメディエンヌとして知られていた。そんなエマの知的で、タフな部分にケネスはひかれたようだ(ただ、ケネスは共演相手に恋をしてしまう、という習性があったようだが……)。
『ヘンリー五世』はケネスの初監督・主演作になったが、この映画の製作で彼はへとへとに疲れ切っていたという。そんな彼を支え、励ましたのがエマだった。
彼女への感謝の気持ちもあって、無骨なヘンリーと結婚するフランスのプリンセス、キャサリン役にエマを起用。不器用な彼の求愛場面はユーモラスな見せ場となっている。
脇役も多彩で、若い頃のジュディ・デンチ、子役のクリスチャン・ベール、名優のポール・スコフィールド、シェイクスピア男優のデレク・ジャコビ等が出演。ケネスは俳優の使い方がうまいが、そんな彼と組むことでエマも女優として磨かれたのではないだろうか。
完成した映画には、リアルな臨場感があり、演劇の枠を超えて、視覚的な見せ場も多かった。アカデミー賞では、主演男優賞と監督賞候補となり、ケネスはハリウッドからも注目され、そこで監督2作目を撮ることになった。
ふたりのハリウッド進出作『愛と死の間で』
結婚したばかりのふたりがハリウッドに渡って取り組んだのはヒッチコック風のサスペンス映画『愛と死の間で』(1991)。過去に妻を殺した作曲家と殺されたピアニストの妻がモノクロで描かれ、その生まれ変わりであるかのような男女が出会う(この部分はカラー撮影)。女は記憶喪失で、男は探偵。やがて、過去の謎が明らかになり、ふたりは不思議な絆で結ばれていく。
ケネスもエマも、過去のカップルと現代のカップルの両方を演じて、演技の幅の広さを見せていた。
グローブ座で取材した時、この映画の準備を進めていて、「ロスが舞台なので、この街でみんながどんな話し方をするのか、観察しているんだよ」とケネスはハリウッド進出に意欲満々だった。
「僕自身はシンプルで、力強い作品が好きだ」とコメントしていたが、分かりやすくて、大衆性もある作風は彼の特長でもあり、そんな彼の個性は新作『ベルファスト』(2021)にも引きつがれている。
どこか敷居が高いイメージもあるシェイクスピア演劇も、彼の手にかかると大衆的なものになり、アメリカではそこを買われていたが、英国ではシェイクスピア演劇の若き才人として評価される一方、その大衆性を批判もされた。
英国ではバッシングも受ける
英国で出版されたケネスの評伝本“Kenneth Branagh”(マーク・ホワイト著、2005年フェイバー&フェイバー刊)によれば、英国ではシェイクスピアは中産階級の娯楽というイメージがあったが、アイルランドのワーキング・クラス出身のケネスが、そこに新風を吹き込んだことで反発も買い、バッシングも受けたという。
やはり、英国は階級社会なのだろう。その点、階級が問われないアメリカへの進出はケネスには心地よかったはずだ。『愛と死の間で』はふたりのハリウッド・デビュー作となった。
その後は英国が舞台の群像劇『ピーターズ・フレンド』(1992)に監督・主演。エマも出演していて、大学の同級生たちの再会がホロ苦いタッチで描かれた佳作だった。
魅力的なヒロイン像を作り上げた『から騒ぎ』
ハリウッドに到着した頃、エマはあくまでも“ケネス・ブラナー夫人”で、ケネスの方が知名度が高かった。
ところが、エマがジェームズ・アイヴォリー監督の『ハワーズ・エンド』(1992)でアカデミー主演女優賞を手にしたあたりから、ふたりの立ち位置が変わる。
英国時代のエマは、コメディが得意だったが、やがてはドラマもうまい女優へと成長。家をめぐる葛藤を描いたこの美しい文芸作品(原作E.M.フォースター)では思慮深いヒロインに扮して、微妙な心の機微も見せた。
ハリウッドで変化した知名度
1993年にケネスはオールスター・キャストによる新たなシェイクスピア映画『から騒ぎ』(1993)を監督していた。エマは口が達者で、活力あふれるヒロインをいきいきと演じ、ブラナーが描き出した最高のヒロイン像として高く評価された。
しかし、1994年にエマが演技賞の候補に上がったのは、別の監督の作品だった。アイヴォリー監督の傑作『日の名残り』(1993)では主演女優賞候補、実話を基にした『父の祈りを』(1993)では助演女優賞候補のダブル・ノミネートとなった。
さらにエマはアーノルド・シュワルツェネッガー共演の『ジュニア』(1994)のようなメジャーなコメディにも出演。
主演と脚本をこなした1995年の『いつか晴れた日に』(ジェーン・オースティン原作、アン・リー監督)ではアカデミー賞の主演女優賞と脚色賞候補となり、後者を受賞。オスカーの演技賞と脚本賞の両方を手にした史上初の女優となった。
ふたりのハリウッド進出から数年が経過してみると、ケネスよりエマの方が名前を知られる俳優となっていた。
『いつか晴れた日に』の取材中に飛ばしたジョーク
『いつか晴れた日に』で1996年に来日したエマに取材する機会があったが、白のパンツスーツが似合い、知性と茶目っ気があふれるステキな女性だった。取材ではジョーク合戦のようになり、痛快だった。
オスカー像も持参していて、「いつも、オスカーといるの。お風呂に入る時も一緒よ」とジョークを飛ばしていた(キラキラの黄金像の現物も目撃!)。
当時の彼女にはアメリカのクリントン大統領の夫人、ヒラリー・クリントンのように”最高にできる女”のイメージもあった(『パーフェクト・カップル』(1998)ではヒラリーをモデルにした役も演じる)。
一方、ケネスは監督・主演の大作『フランケンシュタイン』(1994)が興行的につまずき、厳しい立場にいた。この映画で共演したヘレナ・ボナム・カーターとはロマンスの噂も出て、エマとの関係が不安定なものとなりつつあった。
ふたりのすれ違い
エマは『いつか晴れた日に』の監督をケネスに打診したこともあったが、彼は断ったようだ。この時、受けていたら、ふたりの関係も変わったのだろうか? 結局、エマはこの映画で共演した7歳年下の男優、グレッグ・ワイズとつきあうようになる。
ケネスとエマは1995年に離婚。その後、ケネスはヘレナ・ボナム・カーターとの同居を経て、2003年にアート・ディレクターのリンゼイ・ブラノックと再婚。エマは1999年にワイズとの間に子供が生まれ、こちらも2003年に彼と再婚している。
『いつか晴れた日に』でエマに取材した時、ケネスとは離婚後だった。「いつか、また、一緒に組みますか?」と聞いたら、「ケンと? もちろんよ」と明るく答えていたが、その後、コラボは実現していない。
現在はふたりとも60代になり、ケネスは「サー」、エマは「デイム」の称号もすでに獲得している。
『TENET テネット」や『クルエラ』で悪役も演じる
近年のケネスは監督としてはアメコミの映画化『マイティ・ソー』(2011)を大ヒットさせ、監督・脚本の『ベルファスト』(2021)ではオスカーのオリジナル脚本賞を手にした。
俳優としては話題作『TENET テネット』(2020)で残忍な大富豪を演じていたが、エマも大作『クルエラ』(2021)で魔女のような大物デザイナー役。年を重ねることで、ふたりとも裕福な悪役も演じきれる貫禄が出てきた。
若い頃のケネスとエマは、コラボを組んで刺激を与えあい、映画だけではなく、舞台の仕事も通じて成長してきた。『ヘンリー五世』や『から騒ぎ』といったシェイクスピア原作のコラボ作は、いま見てもおもしろいし、ふたりはお似合いのカップルに見える。英国から生まれた才人の”おしどり”として映画の歴史に名前を残したのだ。
(次回は「ジュード・ロウ × コラボの監督たち」となります)
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