大森さわこ
映画評論家。数多くの英国俳優・監督たちにインタビュー。自身の英国文化の原点はザ・ビートルズ。「トミー」ケン・ラッセル監督のロンドンの学会メンバー。
著書『ロスト・シネマ』(河出書房新社)、訳書『ウディ』(キネマ旬報社)など
ジュード・ロウはミステリーが似合う
英国の男優、ジュード・ロウにはミステリーが似合う。その表情からは本心が読み取れない謎めいた顔立ちのせいだろうか。
日本では、2022年4月に公開されたミステリー『不都合な理想の夫婦』で彼が演じるのは、英国出身の野心的なビジネスマン役。舞台は80年代で、アメリカで成功し、妻やふたりの子供たちと、景気のいい英国に戻って来る。クラシックな屋敷に住み、妻には毛皮のコートをプレゼント。大きな商談もまとまりそうで、上機嫌の主人公だが、理想とは異なり、次第に人生のバランスが崩れていく。
最初から最後まで不穏な空気が漂い、その展開が気になる。閉鎖的で、ダークな英国の風景にジュードの謎めいた”佇まい”が似合う。パーティではタキシードをダンディに着こなし、自身の野望に向かってつき進んでいく。
妙に理想が高く、やり方が強引に思えるところもあるが、彼には抵抗できない魅力がある。しかし、そんな彼に近づくと知らぬ間に火傷を負っている。
本心が読めない役を演じるとジュードのミステリアスな魅力が生きる。この作品で彼は英国インディペンデント・スピリット賞の主演男優賞候補となっている。
過去に『ロード・トゥ・パーディション』(2002、殺し屋役)、『シャーロック・ホームズ』シリーズ(2009~2011、ドクター・ワトソン役)、『サイド・エフェクト』(2013、精神科医の役)といったフィルム・ノアールやミステリー作品にも出演していたジュードだが、この新作を見ると、ミステリーが似合う男優であることが改めて分かる。
ジュード・ロウの初期の作品
1972年生まれのジュードの初の主演作は英国の小品『ショッピング』(1994)だった。若い男女の犯罪者を描いた映画で、ジュードはこの作品で後にパートナーとなるサディ・フロストと出会い、結婚している(フロストはフランシス・コッポラ監督の1992年『ドラキュラ』にも出演。ふたりは後に離婚)。
その後は男娼を演じたクリント・イーストウッド監督の『真夜中のサバナ』(1997)、英国の作家オスカー・ワイルドの恋人役を演じた『オスカー・ワイルド』(1997)、悲哀感あるSFとして日本では根強い人気を持つ『ガタカ』(1997)など、主演ではないものの、俳優としての可能性を広げてみせた作品が目立つ。
また、鬼才デイヴィッド・クローネンバーグ監督の『イグジステンズ』(1999)では主演をこなしている(ただ、この映画でのジュードは特に印象に残る演技ではなかった)。
そんな彼の人生を変えるきっかけとなったのも1本のミステリー映画だった。アンソニー・ミンゲラ監督の『リプリー』(1999)。この作品で彼の役者人生が変わっていく。
『リプリー』でのミンゲラ監督との運命的な出会い
1954年生まれのミンゲラ監督はもともとは英国の舞台で、戯曲家および演出家として活躍していて、その才能を評価されていた。映画は『愛しい人が眠るまで』(1991)や『最愛の恋人』(1993)などを手掛けていたが、国際的に大きな評価を得たのは、監督3作目『イングリッシュ・ペイシェント』(1996)からだ。この作品では監督の文学的なセンスが開花し、その年のアカデミー賞の作品賞・監督賞・脚色賞など9部門を獲得した。
そんなミンゲラとジュードはパトリシア・ハイスミス原作の『リプリー』(1999)で組むことになった。このミステリー小説は60年代にルネ・クレマン監督のフランス映画『太陽がいっぱい』(1960)として映画化されていたが、ミンゲラは原作に新たな命を吹き込んだ。
日本では『太陽がいっぱい』の根強い人気のせいで、公開時は不当に低い評価を受けていたが、ハイスミスの原作に”より忠実”なのは『リプリー』の方で、『太陽がいっぱい』の隠れテーマとなっていた男同士の愛をもっと正面から描いた野心作にもなっていた。
『リプリー』は海外での評価は高く、英国アカデミー賞では、作品賞・監督賞・脚色賞などにもノミネート。アメリカのゴールデン・グローブ賞の作品賞・監督賞候補にも上がっている。
アンソニー・ミンゲラは文学的なストーリーテリングにたけていたが、それだけではなく、独自の美意識を持っていた。キャスト、映像、音楽、衣装などにも気配りをし、とにかく、美しい映画を作り上げる。しかも、押しつけがましいところはなく、そのタッチはさりげなく控えめだ。
50年代のイタリアを舞台にした『リプリー』は特に監督の繊細な美意識が発揮された魅惑的な作品になっている。
主人公リプリーの憧れの男性を演じたジュード
ジュード・ロウが演じるのは裕福な金持ちの青年、ディッキー役で、アメリカの名門大学を卒業後、イタリアで自由気ままな生活を送っている。
主人公のリプリー(マット・デイモン)は、そんな彼をアメリカに連れ戻すよう、ディッキーの父親に依頼され、彼が住むイタリアに向かう。
ピアノの調律師として地味な生活を送ってきたリプリーは、ディッキーが体現する贅沢な世界に憧れを抱く。一流のファッションをさらりと身にまとい、美しい恋人と暮らし、ジャズクラブに出入りする。
主人公はディッキーにやがて同性愛的な感情を抱き、その愛はやがて殺意へと変わっていく。ミンゲラ監督はディッキー役のキャスティングの時、原作ではアメリカ人だが、成熟した雰囲気がほしくて、英国男優を考えたという。
そして、異色のミステリー『クロコダイルの涙』(1998)を見て、ジュードに目をつけた。この映画の彼は吸血鬼的な謎めいた青年を演じて、優雅な雰囲気を見せていた。この映画のジュードには60年代の英国の個性派男優、テレンス・スタンプを思わせるミステリアスな雰囲気もあった。
『リプリー』に出演した時、ジュードは20代後半だったが、ヨーロッパ男優らしいシックな魅力もあり、まさに”男が夢みる理想の男性像”を体現している(「もし、なれるなら、僕もジュード・ロウになりたい」と監督もブルーレイ収録のインタビューで答えている)。
この役でジュードは英国アカデミー賞の助演男優賞を受賞し、アカデミー賞の助演男優賞にもノミネート。ジュードはディッキー役で俳優として飛躍した。
『コールド・マウンテン』で2度目のオスカー候補
ジュードは『コールド・マウンテン』でミンゲラと2度目のコンビを組むことになる。この映画の宣伝で、日本に初来日した2004年、記者会見の席で私はジュードにこんな質問を投げたことがある。
「ミンゲラ監督は日本に来た時、『ジュードは僕のためになら、どんな役も演じてくれる俳優』と言ってましたが、彼と仕事についてどう思いますか?」。これに対してジュードは答えた。
「彼は『リプリー』で人間としても、俳優としても、僕自身が気づかなかった部分をうまく引き出してくれた。心から信頼できる監督なので、どんな役でも引き受けるだろう。僕はそれまでヒーローを演じたことがなかったが、『コールド・マウンテン』で初めてヒーローを演じることになった。監督のことを信頼していなければ、この役を引き受けることはなかったと思う」
当時のジュードには初々しさが残っていて、キラキラ輝くカリスマ性があった。そして、言葉の端々からミンゲラ監督への深いリスペクトと信頼感が伝わってきた。
『コールド・マウンテン』はチャールズ・フレイザーの小説の映画化で、アメリカの南北戦争によってひきされた恋人たちの愛が軸となる。ジュード演じる主人公はやがては脱走兵となって、愛する人(ニコール・キッドマン)の待つ故郷へ戻ろうとする。そんな彼の“精神的な旅”が描かれていく。
旅の途中で、彼は堕落した牧師(フィリップ・シーモア・ホフマン)やひとりで子供を育てる若き未亡人(ナタリー・ポートマン)などに出会い、人生の奥深さを知る。ミンゲラ監督のスケールの大きな映像と俳優たちの好演が見もので、ジュードはこの映画でオスカーの主演男優賞候補となり、共演のレネー・ゼルウィガーは同賞の助演女優賞を手にしている。
ジュードが演じる農夫のインマンは多くを語らないが、彼の内側にはいろいろな感情がある。戦争で見てしまった人間の残酷さや痛み、追いつめられても尊厳を保とうとする強さ、ひとりの女性への一途な愛。人間の複雑な感情を見せるジュードは、30代前半にして俳優として深みを増し、彼のキャリアの中、ベスト演技のひとつとなっている。
ミンゲラの遺作となった『こわれゆく世界の中で』
その後、ジュードはミンゲラ監督との3回目のコンビ『こわれゆく世界の中で』(2007)にも主演している。ミンゲラ監督との前2作は過去の話だったが、この映画の舞台は現代のロンドン。街の再開発が進むキングス・クロスにオフィスをかまえる設計士の役。
自閉症の娘を持つ恋人(ロビン・ライト・ペン)と共に暮らしているが、母娘の間に入っていけないものを感じている。やがて、移民としてロンドンで暮らす女性(ジュリエット・ビノシュ)と親しくなるが、実は彼女の息子は主人公の事務所からパソコンなどを盗んだ窃盗団のメンバーだった。
ロンドンの都市部の再開発や移民の問題、自閉症の娘との関係など、現代的なテーマを盛り込みつつ、ふたりの女性との愛が描かれた作品。内容を盛り込みすぎたところがあり、公開時はあまり高い評価を得られなかったが、ジュードが監督と共に現代のロンドンの変化を見つめた、という意味では興味深い作品だ。
ミンゲラ監督はいつも選曲に凝るが、この映画では映画音楽界の大物ガブリエル・ヤレドと『トレインスポッティング』の音楽で知られる英国のバンド、アンダーワールドが音楽を担当。クラシック的な音楽と先鋭的なロックがミックスされたユニークなサントラとなっている。
また、『リプリー』ではバッハの音楽とヤレドのインスト曲、チェット・ベイカーを中心にしたジャズなどを融合。『コールド・マウンテン』では、ヤレド作曲の詩的な音楽とアメリカ音楽界の才人、T・ボーン・バーネットのトラディショナルなサウンドの合体。「まずは音楽を考えて、映画作りを始める」と生前語っていた監督だけに映像や演技だけではなく、いつもサウンド作りにも凝っていた。
英国映画の枠を超え、ハリウッド映画の名匠として存在感を示しつつあったが、2008年に病気のため、突然の他界。享年54歳。『こわれゆく世界の中で』は彼の遺作になった。
『コールド・マウンテン』の宣伝で来日したミンゲラに取材をしたこともあるが、優しい笑顔が印象的で、すぐに人と打ち解けることができる人だった。この映画では国籍が違うスタッフやキャストを集めていたが、「映画作りに国籍は関係ないと思う」と語っていた。映画だけではなく、芸術全般に幅広い知識を持つ知的な人物でもあった。
「あなたの『リプリー』がすごく好きで、サントラ盤も愛聴しています」と言ったら、とても喜んでくれて、「僕にとって、とても、パーソナルな映画なんだよ」と言っていた。マット・デイモンが演じる貧しくて、上昇志向もある青年にかつての自分を重ねていたようだ。
多くの俳優やスタッフたちを引っ張っていけそうな寛大さを持ちつつ、繊細な雰囲気も秘めた人物だった。生前はアメリカの名監督、シドニー・ポラックと共に製作プロダクションを作り、ポラックも彼の映画に製作で参加していた。
ジュードのキャリアをふり返ると、オスカー候補になったのは『リプリー』『コールド・マウンテン』の2回で、いずれもミンゲラ作品だ。ジュードの内に秘めた繊細な感情をミンゲラ監督ほどうまく引き出した監督もいなかった。
監督が亡くなった年にジュードは、英国の新聞<ザ・ガーディアン>(2008年12月14日号)に追悼文を残している――「人間的にも、芸術家としても素晴らしかった彼のあまりにも早すぎる死が悲しい。今後作られたかもしれない作品を考えると胸が痛む。(中略)その死で世界には悲しい空白が生まれてしまった。温かく、複雑で、愛すべき人物が、もう自分を受け止めてくれることがないのだから」。
彼はミンゲラとの関係が“特別なもの”で、彼が書いたセリフを話すことに大きな喜びを感じていたという。とても心がこもった文章で、ジュードの深い思いが伝わる文章となっている。
ジュードとミンゲラ監督のコラボ作は3本だけだが、深い信頼感で結ばれることで、それぞれのキャリアにおいて忘れがたい足跡を残すことになった。
次回はヒット中『帰らない日曜日』の伝説の女優、グレンダ・ジャクソンの登場
ジュード・ロウとほかの監督とのコラボ作は、改めて紹介予定
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