人気バラエティ番組を多数手掛けた名プロデューサー吉川圭三さんが今まで影響を受けた映画の数々をを独自の視点で、溢れる映画への想いや、知られざる逸話とともにご紹介します。今回は今やハリウッドで絶対的ヒットメーカーになったマイクル・クライトンについて語っていただきました。

吉川圭三

1957年東京・下町生まれ。「恋のから騒ぎ」「踊る!さんま御殿」「笑ってコラえて」の企画・制作総指揮・日本テレビの制作次長を経て、現在、KADOKAWA・ドワンゴ・エグゼクティブ・プロデューサー。著書も多数あり、ジブリ作品『思い出のマーニー』では脚本第一稿も手掛ける。

Illustration /うえむら のぶこ

クライトンが生んだ “大型エンタメ・ビジネス”として、ドラマの在り方を変えたもの

2人の巨人がある日出会い、現代の「コンピュータ・グラフィックス(CG)を縦横に使う映画の世界」と「見始めたら止まらない徹夜必至のイッキ見のドラマの世界」を作り出してしまった。

マイクル・クライトン(1942-2008)

画像2: 絶対的ヒットメーカー マイクル・クライトンが変えたドラマの在り方【連載:吉川圭三の墓場まで持っていきたい映画】

アメリカ合衆国の小説家、SF作家、映画監督、脚本家。多くの作品が映画化された。ベストセラー作家であり、テレビドラマ『ER』では製作総指揮を務めパイロット版の脚本も手がけた。映画化された主な作品には『ジュラシック・パーク』(1993)『ディスクロージャー』(1994)『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(1997)『スフィア』(1998)など。

前後の歴史と資料から推測するに、それは1990年のある日の出来事だった。人気作家マイクル・クライトンが映画監督のスティーヴン・スピルバーグの自宅を訪ねた。クライトンは小説家・映画監督・脚本家と多彩な才能の持ち主で、名門ハーバード大学の自然人類学を学び、1965年には英ケンブリッジ大学で人類学の客員講師を務めた。

その後ハーバード大学医学部に進み、1969年のテクノスリラーの金字塔「アンドロメダ病原体」では、膨大なリサーチ結果を基に予言的に“科学者VS未知のウイルスの戦い”を描きベストセラー作家となる。その後『ウエスト・サイド物語』の初作を撮った巨匠ロバート・ワイズ監督がリアルに映画化した。だが、この読み始めたら止まらない小説「アンドロメダ病原体」は批評家から“人間が描かれていない”と酷評された。

そして、1990年のある日の事、クライトンはお互いに私淑するスピルバーグ監督邸を訪ね、ある提案をする。それは連続テレビ企画の提案である。原案は彼のノンフィクションの「五人のカルテ」。クライトン自身が研修医時代にボストンの総合病院の救急救命室で体験した壮絶な記録である。原因不明の高熱、複雑骨折、治療困難な火傷、突然の心肺停止、原因不明の劇痛。昼夜問わず運ばれて来る患者と対応する医師を描く実話だった。クライトンはその連続ドラマ化をスピルバーグに監督として手伝って欲しいと言った。

一気にまくし立てたクライトンと少し雑談になった際、スピルバーグが「マイクル、それも良いが他に何か企画は?」と聞いた時にクライトンが恐る恐る提示したのが「古代の恐竜を最新テクノロジーで現代に蘇らせてしまう物語」つまり後に映画『ジュラシック・パーク』となる企画の話だった。スピルバーグはこの企画に惚れこみすぐ映画化の準備に入る。ジョージ・ルーカスが主宰する世界最高峰の技術を持つCG会社・ILM (インダストリアル・ライト&マジック社)に恐竜の映像化を依頼する。やがて出来たサンプル映像のティラノサウルスのあまりの迫力とリアルさを観てスピルバーグはその場で全面的にCG利用を使う事に決める。

ストーリーテラーの天才・クライトンが書いたのは、ハイテク技術によって生まれた恐竜達がコントロール不能になり様々な防御処置を施した鉄壁のテーマパークで徹底的に蹂躙する物語だった。

スピルバーグ監督により果敢にそして効果的にCG(恐竜が余り見えない夜の豪雨で出現する場面や各恐竜の質感や動きに拘ったシーンなど)を初めて大規模に使用したこの恐竜映画により、世界のエンターテイメント映画関係者は度肝を抜かれたのは間違いないだろう。僕は良くも悪くもあの映画をきっかけに映画世界は変わったと思う。

そして1997年にクライトンが来日したとき講演会に潜り込んだ私は彼が「1973年に『ウエストワールド』(最新技術で作られたテーマパークでロボット達が暴走する映画)を脚本・監督した時、ロボットの視覚で見た人間のCGを10秒作るのに1週間もかかったが、今なら1時間で出来ます。『ジュラシック・パーク』の様にCGが映画を変えるのは間違いない」と言っていたのを思い出す。

そして、あの医療ノンフィクション「五人のカルテ」は1994年にワーナー・ブラザースの手で米国NBCで放送が決まったクライトン初めての連続ドラマ「ER緊急救命室」である。

「ER緊急救命室」

画像3: 絶対的ヒットメーカー マイクル・クライトンが変えたドラマの在り方【連載:吉川圭三の墓場まで持っていきたい映画】

NBCで放送された、マイクル・クライトン「五人のカルテ」が原作のテレビドラマシリーズ。緊急救命室(ER)で働く、医療従事者達の日常を描いた作品で様々な問題や人間関係を魅力あるキャストが演じる人気ドラマ。アンソニー・エドワーズ、ジョージ・クルーニーなどを輩出。1994年から2009年にかけて全15シーズン・計331エピソードが放送された。

このドラマは実に巧妙に作られている。これまで連続ドラマに多用されていた1話の起承転結で全てが終わる“一話完結方式”ではなく、医師や看護師や患者など複数の人物や仕事や人生などの出来事が複雑に魔術的に絡み合い1話を見始めると2話を、そして3話と視聴者は続けて見たくなる仕掛けが意図的に施されていた。私もまだ映像のネット配信が普及していない当時、レンタルビデオ店で借りて貪る様に長時間見た記憶がある。

この「ER」は「グレイズ・アナトミー」や「DR.HOUSE」や「ドクターX」他まさにこの後次々と世界中で制作される「医療モノ」の起爆剤になるばかりか、1994年から2009年まで、実に全15シーズン・計331エピソードというのは関わったスタッフ・キャストを潤し、ハリウッドから一流の監督や製作者をテレビやネット配信動画に呼び込む事になる。

まさにクライトンが生んだ“大型エンタメ・ビジネス“であり“怪物的ドラマ”となったのである。

Photo by GettyImages

This article is a sponsored article by
''.