歴史小説界の巨星・司馬遼太郎が、幕末の風雲児と呼ばれた、越後長岡藩家老・河井継之助を描いた国民的ベストセラー『峠』がついに初の映像化!松竹=アスミック・エース共同配給作品にて、『峠 最後のサムライ』は6月17日(金)より全国公開される。
監督・脚本は、黒澤明監督の助監督として数々の名作に携わり、日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した初監督作品『雨あがる』以来、人間の美しい在り方を描いてきた日本映画界の名匠・小泉堯史。主演の“最後のサムライ”河井継之助を演じるのは、日本映画界を代表する俳優・役所広司。さらに、松たか子、香川京子、田中泯、永山絢斗、芳根京子、坂東龍汰、榎木孝明、渡辺大、東出昌大、佐々木蔵之介、井川比佐志、山本學、吉岡秀隆、仲代達矢ら錚々たる豪華俳優陣が一挙集結!
一介の藩士でありながら、諸国への遊学を経て培った先見性とグローバルな視野をもとに、領民のための斬新な藩政改革を次々に実行していた継之助。しかし、時流は倒幕へと傾き、サムライとしての使命と庶民を先導するリーダーとしての狭間で葛藤しながらも、継之助はやがて強大な武力を誇る明治新政府軍に立ち向かっていく。「最後のサムライ」として本当の正義を貫こうとするその姿は、奇しくも幕末と同じ動乱の現代を生きる私たちに深く突き刺さる。日本人の生き方、リーダーとしてのあるべき姿を問いかける歴史超大作が誕生!
原作者の司馬遼太郎は「私はこの『峠』において、侍とはなにかということを考えてみたかった。その典型を越後長岡藩の非門閥家老河井継之助にもとめたことは、書き終えてからもまちがっていなかったとひそかに自負している」(「峠」あとがき)と記しており、サムライの理想像を河井継之助に見出したと明かしている。主演の役所広司も、 “理想のリーダー像”を体現する継之助を「未来を見据えた、毅然とした態度から出てくる決断力は、リーダーとして理想の人物だと思う」と惚れこみ、熱演した。
幕末の時代に坂本龍馬と並び称され、敵対していた西郷隆盛や勝海舟さえもその死を惜しんだと言われる知られざる英雄・河井継之助。
「生きた学問、生きた知識」を必要とした当時の長岡藩は、42歳という異例の若さで継之助をスピード出世させ、家老上席に抜擢した。これまでのルールや慣例に囚われず、藩のため庶民のために次々と大胆な財政改革を成功させ、当時多額の負債を抱えていた藩の財政をたった3年で立て直し、そこから黒字に変える偉業で藩を救った。類まれなるビジネスマンとしての才能を発揮する。
さらに来たる戦乱の世を見据え、当時最新鋭のガトリング砲を仕入れるなど、国内有数の軍備を揃えた上で、「武装中立」を宣言。ただスローガンを掲げるだけではなく、きちんと軍備増強し足元固めにも抜かりが無かった。先を読む力とビジネスの才覚に長け、戦となれば軍師としての才能をいかんなく発揮する、まさに攻守一体となった理想のリーダーと言える継之助。
そんな彼の意思を継いだ者たちの中には、継之助の没後の日本で名を馳せた逸材たちが多く出てきている。
北越戦争で継之助が重傷を負った際、永山絢斗演じる松蔵とともに、その傍に従っていたのが沖原一生演じる外山脩造だ。外山は「戦争が終ったら商人になれ」と、臨終まぎわの継之助に諭され、戦後はその通り実業家になった。大蔵省に勤め、日本銀行初代大阪支店長に就任。現在の阪神電鉄の初代社長となり、アサヒビールの創設に尽力するなど関西経済界の重鎮となった。越後人である彼の心のなかには、常に師・継之助の存在があったという。
AKIRA演じる、継之助とともに北越戦争を大隊長として戦った山本帯刀もまた偉人の先祖だ。新政府軍に捕らわれたのちに処刑され、断絶となった山本家だが、明治16 年に再興を許される。元・長岡藩士・高野貞吉の六男・五十六が山本家へ養子に入った。彼がのちの日本海軍の連合艦隊司令長官であり、役所広司がその役を演じたこともある山本五十六である。
継之助の同志・小山良運の子で、坂東龍汰が演じている小山正太郎は、映画の中でも継之助にその画才を認められているが、明治維新後には洋画家として名を馳せ、東京高等師範学校の教員となった。
ほかにも「米百俵」の逸話で知られ、長岡の近代教育の基礎を築いた小林虎三郎、長岡の復興のため新産業や、市民生活に欠かせない銀行・学校・病院などを立ち上げ、近代化を推し進めたのちに北海道開拓に従事した川島億次郎(三島億二郎)など、継之助と関わった人物には、近代日本の発展に貢献し名を残した偉人たちが多い。
戊辰戦争に散るも、その思いは散らず。後世にまで多大な影響を与え、受け継がれた“知られざる幕末の英雄・河井継之助”の生き様を本作を見て確かめてみよう。
峠 最後のサムライ
6月17日(金)全国ロードショー
配給:松竹、アスミック・エース
©2020「峠 最後のサムライ」製作委員会