成田陽子
ロサンジェルス在住。ハリウッドのスターたちをインタビューし続けて40年。これまで数知れないセレブと直に会ってきたベテラン映画ジャーナリスト。本誌特別通信員としてハリウッド外国人映画記者協会に在籍。
映画に出始めたころは
ハリウッドの水に慣れない様子も見せていたが……
ジェニファー・ロペス、今年の7月24日に53歳をマークしたというのにリミットを知らない迫力でフルスロットルの連続である。先日、初志を貫いたベン・アフレックとの結婚を果たし、パリでの新婚旅行、その足でイタリアの公演に出演、帰国すればふたりの「世紀のウエディング」を開催。この露出エネルギーは、自身が宇宙の真ん中にあるという凄まじい自意識と責任のなせる技であろう。
初めて彼女に会ったのは『セレナ』(1997、日本はDVD公開)でメキシコ系の人気歌手を演じた時。28歳だったがまだまだハリウッドの水に慣れてなくて、答える度に「ユー・ノー、ユー・ノー」(分かるでしょ、分かるでしょ)を繰り返し、ナーバスの極地だった。ツーショットを見ても、恥じらいのある乙女の風情が感じられる。
「4歳の時から踊りと歌を始めて、高校でも片っ端からステージに出ていた。『シンクロニシティ』のツアーに選ばれて日本にも行って来たのよ。残念ながら忙しくて観光なんて出来なかったけれど。その後2000人の中から選ばれてテレビのバラエティー番組『イン・リビング・カラー』(1990)のレギュラーになったの。そこでジャネット・ジャクソンのバックアップにも選ばれたのよ! 自分のベストを尽くしていれば絶対にチャンスを掴める! っていう自信が出て来たのね。しばらくはテレビの仕事に集中して、いつかは巨大なスクリーンの映画に出よう! 映画スターになる! って決意を固めていたのよ」
話すに従って、どんどん野心と熱意がギンギンと湧いてきて、ジェニファーのあくなきガッツに皆、それなりに感銘を受けたのであった。
20年前に熱愛状態だったベン・アフレックと破局→再燃→結婚へ!
『ザ・セル』(2000)辺りから、女優としてのスター意識が滲み出し、カメラを向けると、あの睨むような表情を決めるようになった。
「私は自分の体に凄く誇りを持っている。小さい時に母に言われたとおりアルコールも煙草もドラッグも一度もしたことがないからほら、肌なんかまだまだピチピチでしょ! 苦労しなければ成功しないとも母に言われて苦労を端折ったりしたこともないし、苦労こそ成功への第一歩だと信じている」
2002年のジェニファーの誕生パーティーでベンとキッスをしている写真が出回り、以後、猛スピードで二人のロマンスが報道され、その年の11月に婚約を発表、翌年挙式と言われていたが破局を迎えてしまった。「過度の報道騒ぎ」が原因だったと言う。
それから20年たち、現在の再びのロマンスから結婚までの展開は又もやパパラッチ・サーカスそのものである。『ハスラーズ』(2019)のベテラン・ストリッパー役で渾身の演技を見せ、オスカー候補の前哨戦と言われるトロント映画祭では1日に8回ぐらい衣装を変え、カツラやメークを変えて題名並みにハッスルしていたのだが残念ながら賞候補にはならなかった。余程がっかりしたのだろう。あとから「今度こそ!必ず演技賞を狙うわ」とコメントを発表。あまりに激しく活動を続ける彼女にリラックスする時はあるのかと聞くと
「オフの時もすぐにアイデアを思いつくと仕事モードになってしまう。でもそれが好きで好きでしょうがないから今の所スローダウンする気はさらさらないのよ」ときっぱりと答えてきた。
ワーカホリックのジェニファーの前途をたたえて乾杯しよう。
Photo by GettyImages