約40年にわたってハリウッドを中心に映画記者活動を続けている筆者が、その期間にインタビューしたスターは星の数。現在の大スターも駆け出しのころから知り合いというわけです。ということで、普段はなかなか知ることのできないビッグスターの昔と今の素顔を語ってもらう興味津々のコーナーです。今回は、第95回アカデミー賞で主演女優賞を受賞したミシェル・ヨーについて。彼女の持つリーダーシップや芯の強さが垣間見えるエピソードが盛りだくさんです! (文・成田陽子/デジタル編集・スクリーン編集部)

成田陽子
ロサンジェルス在住。ハリウッドのスターたちをインタビューし続けて40年。これまで数知れないセレブと直に会ってきたベテラン映画ジャーナリスト。本誌特別通信員としてハリウッド外国人映画記者協会に在籍。

アジア人がハリウッド映画に配役されるのはもう特別なことではない

画像1: 筆者とミシェル

筆者とミシェル

ついにアジア人女優がオスカー主演女優賞候補に!

ミシェル・ヨーはここまでの道をアメリカ風に啖呵を切って話している。

「英語がお上手ですね! なんて言われる度に『ファック! 何をいまさら!』そういう人にはアジアから飛行機に乗って15時間の間に英語を学習したのですよ! なんて答えることにしている」等とアジア人への軽視を批判、加えて、「もう、アジア人が配役されたからと特別扱いするのは駄目。アジア人がスクリーンに登場しているのは『ノーマル』で『ごく普通のこと』という認識が成立するまで私達はベストを尽くします」とアジアン俳優たちの女親分としての責任を感じているのも素晴らしい。

この記事が掲載される時には既にオスカー受賞式(3月12日)が終わっているだろうが何しろオスカー受賞常連の強豪ケイト・ブランシェットとの競り合いである。ここでミシェルが勝ったら歴史的瞬間となって、ハリウッドはもっともっとアジア人パワーを認めていくだろう。

主演作『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022/あまり題名が長いので、EEAAOと略されている)という殆どオール・アジアン・キャストの映画での髪振り乱し、めちゃくちゃメークのワイルドな活躍にファンは少し呆然とした後、改めてミシェルの健闘ぶりに盛大な拍手を送っている。

画像: 1997年ころのミシェル Photo by Getty Images

1997年ころのミシェル

Photo by Getty Images

さて、ミシェルに初めて会ったのはハリウッド・デビューの『007/トゥモロー・ネバー・ダイ』(1997)で007役2回目のピアース・ブロスナンと同等の女スパイ・アクション・ヒロインを演じた時。今までのボンドガールとは違ってベッドインなどの場面はなく、もっぱらマーシャルアーツを取り入れたアクションと知的能力に焦点が当てられ、最後のシーンでやっとボンドとちょっぴりキッスを交わすのみ。

当時35歳のミシェルは素肌が美しく、落ち着いて、上品な人となりを漂わせ、バレエ修業や、その他の滞在からロンドンで鍛えられた英国アクセントの英語がエレガントだった。ハリウッドのスターたちと一緒に居ても毅然として、育ちの良さと教養が感じられた。

リッチな二番目のパートナーとの自宅はジュネーブに

画像2: 筆者とミシェル

筆者とミシェル

マレーシアの両親は父親が弁護士で後に政治家になったほどの勢力家、4歳からバレエを始めたミシェルが15歳になった時、英国に送る程のコネクションと財力があったようで、20歳で帰国後、すぐにミス・マレーシアに選ばれている。

「今までのボンドガールから質が変わって逞しい女性を起用して、それに選ばれて本当にラッキーでした。ボンド自身も進化と変化に対応して、男女平等を全面に出すようになりました。アクション場面は絶対にスタントを使わず、全部私が一人でやったのですよ!」

と誇らしげなミシェルの表情が記憶に残っている。

私生活をあまり話したがらないが最初の夫も2番目の夫(パートナー)も起業家でリッチなビジネスマン。レッドカーペットに一緒に連れ立って現れたりせず、女優としてのミシェルを尊敬し、サポートし、距離を置いて見守っている模様。二人の自宅はスイスのジュネーヴと重要なヨーロッパ人達の究極のロケーション、エレガントな暮らしぶりが想像できる。

今年の1月21日、カルフォルニア州のモントレー・パークで11人のアジア人が殺された事件の後、ミシェルが先頭になって『EEAAO』の出演者たちと共に独自のメモリアルを開催して故人たちを追悼している。

そういうリーダーシップを持つ美しい心とルックスの持ち主なのである。

前回の連載はこちら

>>これまでの連載はこちらから

This article is a sponsored article by
''.