「電波少年」シリーズでは人気バラエティー番組を演出・出演。欽ちゃんのドキュメンタリー映画では監督も務めるなど、今なお幅広い活躍をしている、伝説の「Tプロデューサー(T部長)」こと土屋敏男さんが、幾多のTVドラマから映画を紐解くおすすめのお話などや予測不可能な未知なお話等、テレビと映画がこれからどうなっていくのか?を中心にさらに熱く、紹介していきます。今回は「M-1」を例に日米の賞レースについて、必見です。
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土屋 敏男
日本テレビ社長室R&Dラボ社外アドバイザー。ひまわりネットワーク(株)アドバイザー。WOWOW(株)新規事業アドバイザー。みんなのテレビの記憶(同)代表社員。Gontents(同)代表社員。1964TOKYO VR(社)代表理事。

今回はアカデミー賞作品賞のアメリカ『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022)(以下、『エブエブ』)と日本『ある男』(2022)のそれぞれを見たのでそれについて思ったことを書いてみようと思っています。

そしてその前に全く別の賞レース「M-1」について。

お笑いの賞レース「M-1」で思ったこと

昨年の「M-1」の優勝者はウエストランドだった。僕は決勝を見て対戦相手のさや香だと思ったのだが外れた。予想が外れたことはいいのだがウエストランドの優勝に関して審査員のコメントが気になった。何人かの審査員から「今のテレビはコンプライアンスが厳しくなって」とか「こういう〝人を傷つける笑い〞や〝悪口〞がやりにくくなっている現状」と言った発言が審査の理由としてあった。つまり審査員自身が真っ只中にいる『テレビのお笑い』の現状で感じていることが今回の評価に関係しているということだ。

さらに言えば「どちらが面白かったか?」というのが本来の「M-1」の唯一の審査基準なはずが〝今テレビのお笑いが抱えている現状〞が審査基準に影響した。もっと砕いて言えば「最近こういう笑いはやりにくくなっているけれどやっぱりこういう笑い(悪口または人を腐すことで起きる笑い)は無くなってはダメだよね」という現状に対する思いの発露がウエストランドの優勝に関係したということだ。

決してそれがいけないことだとは言っていない。と言うより『どちらが面白いのか?』と言う審査基準自体が移ろいやすいものだから審査にはいろんな要素と感情が評価に関係してくるのが必然だ。だから『テレビのお笑い』の真っ只中にいる審査員たちが〝今のテレビのお笑いが抱えている現状〞についての思いが、今年のお笑いの1番を決めることの影響力を意識したときに発露されるのは当然であろう。

つまり今『テレビのお笑い』だけでなく『テレビ』そのものの存在が変わりつつあって(いやもう本当は完全に変わっていて)その中で審査員たちもその激しい変化の流れの中で『テレビのお笑いの一番』を懸命に見極めようとしていると感じたのだった。

そしてそれは同じ賞レースである世界と日本のアカデミー賞の結果にも同じことが言えるのではないかと思った。

米アカデミー賞で思ったこと

基本的にアカデミー賞の作品賞受賞作品は見ることにしているのだが、それは大抵発表後に見ることが多い。しかし今年の『エブエブ』は発表前に見た。その正直な感想は「なんじゃこれは? これが最多ノミネートか? これが作品賞を取るようになったらエライことだな」だった。僕が思う〝今年最も評価されるべき映画〞と言う概念からは大きく外れたものだったからだ。

しかしその想いは大きく外れて『エブエブ』は作品賞含む最多7部門を受賞したのだ。それを聞いて思い出したのが去年の「M-1」だった。審査をしたアカデミー会員たちが〝今のハリウッド映画の現状と問題〞を当然の如く認識して2023年3月時点での『今最も優れた映画と評価すべき作品』としたのが『エブエブ』だったと言うことだ。

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M-1で意識された単語が「コンプライアンス」としたら、今年のアカデミー賞で意識された単語は「多様性」だろう。多くの人が言っていることだがそれは2020年『パラサイト 半地下の家族』から始まった変化で、それは僕のような古い感覚を持った映画ファンからには正直違和感があるのだが、しかし不可逆なものだろう。それが「映画が時代を映し取るもの」であることの宿命なのだろう。

日本アカデミー賞で思ったこと

そして日本アカデミー賞作品賞『ある男』。これは発表後だいぶ時間が経ってしまったが都内でも近くの映画館でも上映されていないので1時間以上電車に乗って厚木の朝一回上映で見た。

M-1が「コンプライアンス」米国アカデミー賞が「多様性」とするならば日本アカデミー賞は「内向」だった。本場アカデミーがアメリカ大陸からアジアに広がっている今、日本アカデミーが地方都市の小さな物語に収束しているのは映画だけでない日本の現状を非常によく表しているなと思ったのでした。

つまり「テレビ」も「映画」も生まれてきて数十年、100年以上経って経験したことのない大きな変化の中にいると言うことが改めて明らかになった気がします。そしてそれは間違いなくインターネットまたはデジタル革命と言われるものによるもので、シネコンやNetflixやYouTubeなどが生まれてきたことでそれぞれの概念、存在意義が全く変わっているその真っ只中にいると言うことでしょう。

それらがどこに着地するのか? その解をこの夏のジブリ作品『君たちはどう生きるか』が示してくれるような気がしていますがその話はまた次回。

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