売り払われる寸前の農場を建て直そうと納屋に「キャバレー」を開いた実話を基にした『ショータイム!』(12/1(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開)で本作のモデルとなったダヴィッド・コーメット本人のインタビューが到着した。
画像1: なぜ田舎の農場をキャバレーに?『ショータイム!』モデル本人のインタビュー到着
画像2: なぜ田舎の農場をキャバレーに?『ショータイム!』モデル本人のインタビュー到着

3代続いていた農場を自分の代で終わらせたくないダヴィッド。民事裁判所の判事から与えられた猶予はたったの2か月。まさに背水の陣。ここまで追いつめられて俄然力を発揮する人とそのまま沈んでしまう人がいる。人生の転機はほんの偶然とひらめきから生まれるもの。ダヴィッドは潰れかけている農場の納屋を改装してそこにキャバレーを作ろうと奔走し、反対する人たちを納得させ、パフォーマーを集め、喧嘩を制裁して華やかなショーを演出する!そんなフランスの田舎であった実話をもとにした笑いあり涙ありのエンターテインメントが、日本中に笑顔と感動を届ける。主役のダヴィッドには『セラヴィ!』(17)で大きな感動を与えたアルバン・イワノフ。相手役のボニーは社会派作品に多く出演、ダンサーとしての才能も開花したサブリナ・ウアザニが務める。

この度、自然豊かな田舎の農場にキャバレーを作り、人生の一発逆転を狙ったダヴィッド・コーメット本人のインタビューが解禁された。
                                         
—―奇抜だけど面白い“農場キャバレー”のアイディアはどこから来たのですか?

2010年以来、フランスでは1日に27軒の農場が消滅しており、そのうちの3分の1が飼育農場です。毎年350人以上の農家が自殺しています。ほぼ1日に1人の農家が命を絶っていることになります。この厳しい現実は、私たちの住むギャリーグ村(タルヌ県)も例外ではありません。1950年代には村の250人の住民のうち半数以上が農業関連の仕事で生計を立てていました。現在も人口は同じくらいなのですが、農家は約10人しか残っていません。私は村で唯一の、そして最後の飼育農家です。2007年家族の農場が最後まで残っている唯一の農場となっていたため、私は農業専門学校の運営責任者の職を辞して、この最後の農場が消える前に引き継ぐことを決意しました。このことは多くの人々を驚かせました。家族は大反対でしたし、村の長老たちは私を“愚か者”と呼びました。農業組織は私の成功をまったく信じていませんでした。私は“愚行は後悔しない唯一のことだ”と確信していたため、農家に多様化と革新の機会を与えればフランスで農業を救うことができることを実際の行動を通じて示すことができると思いました。このことから、「ファーマーズ・キャバレー」(農場キャバレー)が生まれました。私にとって、賢明な人々が後に追随する扉を開けるのは、狂気のある人たちだけだからです。

—―飼育からキャバレーへ、全く異なる世界への挑戦をどのように考えたのですか?

最初に「ファーマーズ・キャバレー」のコンセプトをA、B、Cの3つの部分に分けて考えました。Aは農業(救われるべき農場)、Bは生産者の小売店(仲介業者を排除するため)、そしてCはキャバレーです。目標は、精肉店(B)とキャバレー(C)が財政的に(A)に救いをもたらすことであり、2022年現在、農業は赤字であり再び収益を上げる方法をまだ見つけていない状況です。この方程式により、農家やアーティストは自分たちの仕事で生計を立てることができます。そして、私の田舎の町には地元の事業が存在せず、A、B、Cの結合は私たちの村最後の飼育農場を救うだけでなく、2つの事業(小売りとキャバレー)を創造することができました。したがって、全てのプロセスは完成したのです。今は妻と私は3つの仕事も持っていますが上手くいっています。

—―農業高校で機械工の教師としてキャリアを経て、どのようにしてそこに至ったのですか?

中学生の時、両親と祖母が私に非農業の学業を進めたがっていましたが、祖父は私に農家になってほしいと望んでいました。結果私は機械工になりました。そうして私は農業機械、モーターシステム、機械工学の免許を取得し、一般的な機械工学の学士号で学業を修了しました。機械工を教えた後、農業専門学校の運営マネージャーになりましたが悩んでいました。学校では生徒たちを農夫に育てる訓練をしていましたが、収益性の不足から、私の家族も農業をやめることになりました。やめてしまうと、私の地域ではもう飼育が行われなくなるでしょう。だから私には選択肢がありませんでした。職を辞して農夫として落ち着き、自分の牛たちを救うしかありませんでした。

—―当時、すでに消費者を農場に呼び込むことを想像していましたか?

私の信念は変わることなく、生産者と消費者の間の絆を構築することでした。たくさんの人々が農場を訪れてくれました。そこで私はまず、肉を直接彼らに販売することで絆を深めました。これがAの部分です。生産者の小売店(Bの部分)の開設、精肉店や惣菜、地元産品の販売はこの親近感を一層強調し、消費者は農場に来ることを楽しんでいました。彼らとよく会話をすることで、彼らはスーパーマーケットから離れることができ、さらに動物園の開発が徐々に加わりました。子供たちは動物園の動物をよく知ってはいますが、農場の動物についてはほとんど知識がありません。元教師として、この教育的な側面を持つことは興味深いと感じており、ご両親たちは評価してくださっています。

—―2012年から2013年にかけて、計画の一部である(C)に取り組み、農場の宿を設立していたのですね。

ウェイターを雇うだけの収入がなかったため、自分たちで自社の製品を提供することにしました。肉の生産者は自身の肉を提供し、ワインの生産者は自身のワインを提供し、チーズの生産者は自身のチーズを提供していました。しかし、最初の数年間は困難でした。お客さんは週に15人を超えることはなく、会計士は説明を求めていました。

—―その時に農場にキャバレーを作ろうと思いついたのですか?

ある夜、妻のレティシアが私に言いました。「皿の上のショー(地産地消レストラン)についてみんなに話すのは親切だけど、私は踊り手やマジシャンなどの本物のショーを好むわ」私はそれを聞き、カントリークラブを招き入れ次にズンバクラブ、そしてクロード・フランソワのそっくりさんを呼びました。その情報はしだいに広がり、人も来てくれるようにはなりましたが、当時はまだキャバレーとは程遠い存在でした。キャバレーとなったのは、SACEM(フランス音楽著作権協会)が、国が指定している年6回という規定を大幅に超えていたことを発見し、文化省の規則に従うためにショーライセンスを取得しなければならなかった時です。

—―2016年にオクシタニー地域の農業スタートアップとして選出され、2019年にあなたの物語の本が出版されました。そして今映画の題材となっています。ジャン=ピエール・アメリス監督との出会いについて教えてください。

ジャン=ピエール監督は私たちの物語を追跡する番組を見て、それからすぐに私に連絡をくれ、会うとすぐに共感が生まれました。家族の農場を救うための闘いは、真実の物語であり、さらに成功で終わったものだったのです。しかし実は最初、私と妻は少し怖がっていました。書籍化、そして映画。てんてこ舞いの目まぐるしさでした。脚本があり、それを一気に読みました。監督は私が言ったことのないことを見抜いていて、とても驚きました。母と祖父の関係、パフォーマーと農家の間にあったトラブルなど、70%が真実で30%は監督がコメディとしてアレンジしていますが脚本には私が伝えたかったすべてのことが含まれていました。

—―映画ではダヴィッドがダンサーのボニーを農場でのパフォーマンスに説得しようとしています。実際にもそのようなことがありましたか?

キャバレーとして確立してからアマチュアのクラブではなく、私は独自のショーを行いたいと思いました。そして地元トゥールーズ周辺でパフォーマーを探しました。ですが、「キャバレー?農場で?興味はありません!」とダンサーたちに断られ続けました。訳を聞くと「農夫たちが妻を見つけるために仕組んだ計画」だと思っている人が多かったのです。最初から条件を提示する人もいました。「行きたいけど、泊まりたくない。」まさにボニーがダヴィッドに伝えていたことです。私自身も、「ファーマーズ・キャバレー」では農場を救うために闘っているということを説明しました。農家とパフォーマーは共に生活することを学ばなければなりません。私のお気に入りのシーンの一つは、ボニーが牛を撫でる場面で、子牛を出産する直前です。アーティストと農家の間に作られた共感がこの出産につながり、救われる農場の再生を象徴しています。

—―異なるバックグラウンドを持つ方たちがやって来たとき、周囲の人々の反応はどうでしたか?

最初のパフォーマーたちが農場にやって来たときはショーの準備をしているときでした。両親は私が狂ってしまったと思いました。祖父は長い間何が起こっているかを観察した後、私たちに説明しました。「農場では土地を耕し、動物の世話をし、お尻を見せることはないんだ」と。パートナーの生産者たちはダンサーを見て喜んでいていました。しかし「ファーマーズ・キャバレー」プロジェクトが、現実のものになるように自分たちが奮闘することになるとは考えていないようでした。

—―あなた自身も知らなかった世界と向き合ったのですね。

エンターテインメントの世界でも、パフォーマーたちが私たち農家と同じように情熱的な人たちであるということを理解しました。私たちは同じ使命と情熱に駆り立てられています。彼らは農家の生活にすこし芸術をもたらし、私たちは彼らの芸術にすこし人生をもたらしました。間接的に監督の映画も農業界が経験するドラマを描いています。多くの農家と同様に、私も絶望に直面したことがあるのです。農場を救うためにすべてを投資しているにもかかわらず、常に困難を突きつける人たちもいます。オクシタニー地域から補助金を受けていましたが、「ファーマーズ・キャバレー」の拡張は行政によって拒否されました。私は絶望的になり、映画と同じように首からロープを外し、どれだけ激しく戦わなければならないかを決意しました。

—―最後に、あなたが行っている今の仕事を自分自身どのように定義しますか?

芸術家農夫と言えるかもしれません。この言葉がかなり気に入っています。一日の中で何度も衣装を着替えるように、アーティストのように振る舞い、そして私は私の愛する土地に足をしっかりと根付かせていることを誇りに思っています。

ショータイム!
12/1(金)、ヒューマントラストシネマ有楽町 ほか全国順次公開
配給: 彩プロ
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