成田陽子
ロサンジェルス在住。ハリウッドのスターたちをインタビューし続けて40年。これまで数知れないセレブと直に会ってきたベテラン映画ジャーナリスト。本誌特別通信員としてハリウッド外国人映画記者協会に在籍。
スターぶらず、できることは自分でする感覚を持ち続ける
新作『ナイアド~その決意は海を越える~』(2023)では、キューバからフロリダまで110マイルの大海を完泳した60歳のダイアナ・ナイアドのサポーターにして、親友のボニーを演じて再びもろもろの賞候補確実と言われるジョディ・フォスターももう61歳。
「今まではほとんど独演という状況の作品ばかりだったのが、今回はいつも尊敬しているアネット・ベニングをサポートする役で、それが凄く目新しくて演じがいがあったわね。あんまり意気投合したものだからこれからの映画はずっと二人でやりましょう! なんて話し合ったほど。」
「お互いにパートナー、子供、などを持つ忙しい家族がありながら強い友情を保っているという幸運に恵まれて、感謝の気持でいっぱい。」
「アネットが気張りすぎていつまでも水の中にいるのを引っ張り出したり、私は私でカメラが回っている時だけ、精一杯お腹を引っ込めてスリムに見える努力をしたり、お互いに助け合っての撮影は最高だった。彼女と一緒でなければ不可能な映画だったことは確かです」
と満足の表情を浮かべるジョディだが、彼女に初めて会ったのは1988年の『告発の行方』の時。まだ26歳。
雨の日、ビバリーヒルズのホテルに会見に現れたジョディは滴が垂れる傘を携え、しっかり濡れた傘を部屋の外のパティオに置くという配慮を見せたのである。ハンドバッグさえお付きに持たせるスター達の中でジョディの普通の人の生活を貫く姿勢がピカと光って見えた。
「郵便局とか、銀行やドライクリーニング等の用足しは出来る限り自分でする。そうやってなければ宙に浮いた存在になってしまって自分の生活が把握出来なくなるでしょう」
と傘のことを指摘すると、にんまり笑って答えていたのが、まるで数年前の様に感じるがもう35年も前の事とは!
ロバート・デ・ニーロは子役だった私の演技観を変えてくれた
その時、『タクシードライバー』(1976)の思い出も語ってくれた。
「私は私立の学校に通っていたから、清楚なピーターパンカラー(襟)の制服を着て、とてもきちんとしていたのよ。それがあのふしだらな衣装でしょう。でも自分と全く違う女の子になるっていう楽しさを覚えたの。キャラクターを創るってこんなにエキサイテイングなのだって。」
「共演のロバート・デ・ニーロは色々な事を教えてくれた。何時間も一緒に座って、私が淀みなく、自然に台詞を言えるまで、助けてくれたし。勝手に私がアドリブを言ったりするのを叱ったり。」
「それまで私は俳優業なんて楽なものだとたかをくくっていたのね。彼の指導と情熱がすっかり私の考えをひっくり返して、それからはじっくり演技について考える様になったのよ。いつも120パーセントの努力をしなければという姿勢を」
この少女娼婦の役をしたのが13歳の時。そして初めてアカデミー賞(助演賞)にノミネートされた時である。
さて『告発の行方』の裁判に勇敢に立ち向かうレイプ犠牲者の役で、彼女は1回目のオスカー主演女優賞を受賞。
ロスアンジェルスのフランス語学校、リセ・フランセーズを首席で卒業、名門イェール大に入って間もなく、病的なファンが手紙や詩を寮のドアまで届けてくる様になり、無視された男は,まず彼女の前で自殺しようと試みたり、次はレーガン大統領を射って世界中の注目を浴びたりしたが、ジョディは深く静かに潜航して、1985年に最優等生として大学を卒業。
それから3年後に最初のアカデミー賞受賞なのである。
以後2回目のオスカー受賞作『羊たちの沈黙』(1991)など主演作、監督作が公開される度に彼女に会ってきたが、壮絶と言えるレベルの知性と冷静さに驚き、感心し、適度のウィットにほっとして笑ったり、と内容豊かなインタビューを重ねてきたのである。