山下敦弘監督にしては珍しく、仕掛けのある作品に
──本作は監督のフィルモグラフィーの中では新境地と言っていい作品ですが、監督はもともと本作のような映画がお好きだったそうですね。
学生時代に初めて入った現場が熊切和嘉監督の『鬼畜大宴会』(1998)でしたし、元々はこういった作品が好きでした。
原作は2人の男の心理戦ですが、企画から撮影までに時間が掛かり、準備していく中でどんどん過激になっていき、完成したらかなり激しい映画になっていました。
──原作は福本伸行さんが物語を書き、かわぐちかいじさんが作画された人気コミックです。どこにいちばん魅かれましたか。
怖いけれどけっこう笑える部分があって、そういう福本さんの笑いのセンスに魅かれ、映画にしてみたいと思いました。しかし、主人公の頭の中のセリフが多く、原作はほぼモノローグ。それをどう映画に置き換えるのか。そのままやるという選択肢もありましたが、映画ですからアクションで魅せたい。そこは悩みました。
──先程、企画から撮影までに時間が掛かったとおっしゃっていましたが、脚本開発に時間が掛かったのでしょうか。
それもありますが、コロナ禍にぶつかってしまったことが大きかったです。撮影スケジュールを組んでは延期になる。企画から撮影までに5年近く掛かりました。
──原作も映画も主人公の浅井が妄想に苛まれる話ですが、どこが妄想なのか、原作でははっきりしていますが、映画では見る人によって捉え方が違うように描かれています。
ある地点から妄想に入っていきますが、ここというポイントを初見ではわからないようにグラデーションで描きました。もう一回見ていただくと、ここからはおかしいというのがわかっていただけると思います。
──それによって浅井の人物像が深くなった気がします。
原作は浅井と石倉という日本人同士の話ですが、映画は日本人と韓国人という設定に変えて、生田斗真さんとヤン・イクチュンさんが演じています。原作の浅井は記号っぽいところがありますが、今回は生田さんがやってくれたお陰で、そこが立体的になりました。
原作の石倉は浅井よりも人間臭いのですが、イクチュンさんが演じたジヨンはモンスターのように人間離れした怖い存在です。しかし、何かちょっと切ないというか、気の毒に思えたりするところもある。短い尺ではありますが、2人の存在感がちゃんと描けたと思っています。
──ジヨンは怖いのですが、笑いも誘います。
ジヨンがどんどんモンスター化していくというか、恐ろしい存在になっていくのは狙いですが、その中のどこかで笑ってもらいたいと、脚本の段階で脚本家の幸(修司)くんと相談しながら書いていました。
ただ、僕にしたら珍しく、仕掛けのある作品なので、なかなか語れないのですけれどね(笑)。
──脚本は幸修司さんの他に高田亮さんの名前もクレジットされています。
脚本開発は高田亮さんと2人でスタートしました。その頃は1/3くらいが回想シーンで、3人の関係性において何があったのか、さゆりが亡くなるまでのいきさつなども描いていました。それが脚本開発の段階で回想シーンをかなりカットしてしまい、ほぼ山小屋だけのワンシチュエーションになったのです。
それでも浅井やジヨンはセリフの中に演じる上でのヒントがありますが、奈緒さんが演じたさゆりはほとんどセリフがないので、ヒントもない。それでも滲み出るような存在感を見せなくてはなりません。そこで、浅井、ジヨン、さゆりの人物プロフィールを作って、生田さん、イクチュンさん、奈緒さんに配りました。初稿があったので、作りやすかったです。